みんな「辞める練習」が足りてない

昨日の何気ない連続ツイートが1万リツイート超えて驚きました。

日本ではいじめや過労死で自殺する人がいるというと、マレーシア人にはなかなか理解してもらえません。マレーシア人は、嫌な職場や嫌な学校は辞めてしまうからです

「やめ方がわからない」と人は辞めることができない

実は私も最初の会社を辞めるのに5年かかりました。

テキトーな性格なのに金融機関に就職してしまい、そもそも仕事の質が全く自分にはあっていませんでした。それでも周囲には「5年は続けなさい」と言われ頑張ってしまった。それまでの人生で、寄り道や途中でやめるという経験がなく、どう辞めていいのかすら、わからなかった。周りの人は「こんないい給料は2度ともらえない」「大会社にはもう行けないよ」と脅してきますし、ホント混乱しました。

そんなある日、千葉敦子さんの「ニューヨークの24時間」という本に「自分の能力と関係のない仕事をしている人に、ちょこちょこ時間の節約を教えても意味がない」という趣旨のことが書いてあり、ガーンと頭を殴られた気がしました。

彼女は時間こそ人生であると定義していました。つまり私の人生自体の無駄だというわけです。なんという厳しい言葉でしょうか。
それでようやく目が覚め、大企業をやめ、ものすごく悩んだ挙句に雑誌編集者になり、20年以上続けています。自分の適性に合っていることならば、人は続けられるんですよ。

「石の上にも三年」と言われるように、長く続けて初めて見えて来ることも確かにあります。ただし、私があのまま大企業にいたら、すごく嫌なお局になってたと思いますね。自分の人生を諦め、辞めようとする人の足を引っ張って意地悪でもしてたんじゃないでしょうか。

今思えば、小さい頃の「挑戦」「挫折」経験が少なすぎました。
親に言われて始めたピアノを続け、中学、高校、大学と寄り道や途中でやめる経験もない。自分で「何かを選んで初めて失敗する」という経験、ほとんどしてないのです。

「職を転々とする」人には、この訓練が足りてない人が多いんじゃないかな。私の場合、「自分探し」を小さい頃に済ませておかなかったツケは大きかったです。

一度始めたらやめないことを前提に作られた社会

学校も会社も、「一回始めた人が最後まで続ける」ということを前提に、社会が作られています。受け皿がなければ、簡単に辞めさせることもできないです。だから「辞める練習」には適さない国なのですよね。

マレーシア人はハッピーじゃなければ会社を辞めます。以前いた職場で一ヶ月に五人も六人も辞めるのでホントびっくりしましたが、会社<人生なのですよね。

マレーシア人の知り合いは長男の小学校を何回も変えてます。理由は「本人がハッピーじゃないから」とシンプル。彼は優秀な成績でシンガポール大学を卒業し、社会人として働いています。

我が家も小学校から3回学校を変えました。挙げ句の果てに「理数系だけ勉強したい」と言いだし、学校を辞め、小規模なホームスクールに通い始めました。毎日一人だけ夜遅くまで勉強しているのでハラハラしますが、好きなものが見つかって幸せそうです。

「自分で選択し」「その結果を引き受ける」訓練は重要です。もちろんいいことばかりじゃありません。ときには学校時代の友達が懐かしくなり、約束して遊んでいます。ハッピーじゃなければ、また彼は移動するでしょう。突き詰めた結果、数学を諦める日が来るかもしれませんね。けれども、とことんやった経験は、無駄にはならないと思います。

適性把握は小さい頃にした方がいい理由


欧米型の教育は「適性把握」と言って、小さい頃にたくさんの経験をさせて、自分が何者なのかを知るという訓練を始めています。

我が家の子供もかつての学校で物を売ったり、大勢の前で芸を披露したり、Youtubeビデオを作ったり、アニメを作ったり、プレゼンしたり、子供たちにPythonを教えたり、ボランテイアで幼稚園児の相手をしたりと、学校でさまざまな経験をしてきました。クラブ活動も毎年変更するので、アニメやコーディング、チェスに各種スポーツ、チェロ、アート、科学クラブと各種手を出しては辞めています。

その度に、「あ、俺はステージで喋るのには意外に向いてないな」とか「Youtube用の映像編集はずっとやってると飽きる」とか「コーディングは何時間やってもハマれるな」「楽器演奏は向いてない」など自分の適性に気づいていきます。小学生・中学生の頃からこうした経験ができると、極端なあがり症なのに歌手になりたいとか、細かい作業が苦手なのにYoutuberになりたいとかいうことが減ります。自分を観察でき、ハードルが見えて来る。

この適性把握、年齢が長じると、どんどんやりにくくなると長男は話します。「自分より小さい子がうまくできて恥ずかしい」「今からでは追いつかない気がする」など色々と余計なことを考えてしまうのだそうです。「もう歳だから」と勉強を諦めてしまう人なんてまさにそうですが、それはティーンエイジャーからすでに起こっていると。

勉強も良いですが、「適性把握」とても大事です。魚に木登り教えてもしょうがないですからね。色々やらせてみて、合うものを選んでいく、合わないものは捨てていく作業をした方が、人生はハッピーになると思います。



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野本響子

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コメント18件

はじめまして。花山航大と申します。
自分の人生を主体的に生きる。
選択する経験を保証する。
だから幼児期は「あそび=主体的」が大事なんですよね。
とても考えさせられる記事でした。ありがとうございます。
花山さま コメントありがとうございます。見逃してて遅くなりました。おっしゃる通り、幼児期の遊びがずっと続くのが、多分理想的な教育なんじゃないかな、と最近考えております。
コメント失礼します。辞めるという選択肢がないと、諦めることしかできなくなりますよね。小学校や中学校などの義務教育は、転校したいと言っても親の許可がないと辞められないし、学区が違うとかで認めてもらえなかったりするので主体的でいようとしても許されないという環境があるのが辛い所です。辞めることができず、自殺する子供が沢山いる現在、もっと選択肢が増えれば親も子供も幸せになるのに…と思います。
100円スマイル様
そう選択肢がないと、諦めることしかできなくなります。義務教育もおそらくこれから少しずつ変わって行くのではないかな、と思いますね。世界を増やすことが必要になる時代かと思います。
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