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他人のコトに熱くなりすぎる人々

こんにちは。今日のメルマガは「他人が気になる」人についてです。
有料マガジンなので、本音で書きますね。

昨日はこんなツイートが流れてきました。

ホントそうですね。どれも根っこは割と同じで「他人に熱くなりすぎ」かな。他人のことにどうしてそこまで夢中になれるのか、私にもよくわかりません。

一方、私が住んでいるマレーシアではあんまり他人のことをどうこう言う人が少ないです。日本と何がどう違うのか、ちょっとご紹介しましょう。

「ズルイ」が蔓延する社会になっている

こういう他人に対しての批判の根っこの根っこにある感情、多分、「ズルい」だと思うんですよね。

他人を心配しているふりをしてるけれど、大勢の本音は、「自分は我慢して宿題頑張ったのに、一人だけやらないなんて、ズルい」じゃないでしょうかね。だから「真似する人がいたらどーするの」と続くのでしょう。

「真似する人がいる」想像するってコトは「いいなぁうまくやりやがって。自分もやりたい」って感情が隠れてるってことじゃないかなー。いいなと思わなければ、真似しようと思わないでしょう。

他人のことなんて、放っておけばいいんですよ。

みんな、他人を見る時間がありすぎです。
嫌なら見なきゃいいんですよね。
そして自分のために時間を使いましょう。

失敗したらかわいそう、という人もいますが、余計なお世話というものです。子供だって立派な人間で、自分で挑戦して失敗する資格があると、私は思います。

学びって学校に行かなくてもできます。マレーシアではホームスクールと呼ばれる学習方法は普通です。そしてホームスクーラーが集まって遠足行ったりしてますよ。学校行ってない子、ふつーにいます。

日本のような一律の学校教育はもう時代遅れだ、と考える親もいるのです。議論する気は無いですが、要するに放っておけば良いんです。

「そんなんで責任取れるの?」って言うかもしれませんが、結局がその親子が自分の頭で考えて、自分で責任取るしかないんですよ。日本の学校に入れたら入れたで、リスクがあると考える人もいるんです。

厳しいようですが、そんなものです。

ハッピーじゃないから他人が気になるのです

他人を道徳的に縛ろうとする人も多いですが、一方で他人のハッピーな話にもやたら敏感な人が多いです。

英語がちょっとできると思って自慢された
友達に子供ができてつらい。私はできないのに
おのろけ聞かされてつらい。ズルい
あいつ上手くやって金儲けしやがって
子供いるからって早く仕事上がってズルい

いやわかりますよ。私だって長年子供できなかったからよーくわかります。
英語できなかったから羨ましい気持ちもわかります。
残業も嫌いだったからわかります。

自分が手に入れられなかったものを軽々しく手に入れているのを見ると、羨ましくなるんですよね。

でもね、だからと言って他人といちいち比べなくていいんですよ。
他人と自分はごっちゃにしちゃいけません。
他人は他人、自分は自分で、比べてもしょうがないんです。
見れば見るほど不幸が増すのが他人だと思いますよ。

そうやって、他人と自分をごっちゃにして、「相手を刺激しないように」生きてたら、自分の幸せを表現することが一切できなくなります。自分を表現するのに、いちいち他人の目を気にすることになるから。
不幸自慢なんてしてたら、本当に不幸になっちゃいますよ。

英会話の点数を公表したり、成功体験を話したりすると、いちいち「マウンティングされた!」と怒るひともいるそうです。

相手の幸福をいちいち脳内で自分の不幸に変換してしまうコト、その思考回路自体が不幸なコトではないでしょうか。

最近の日本社会、いちいち小さいこと気にしすぎです。
Daigoさんがいう通りで、みなさんあまりハッピーじゃないことの証左かもしれませんね。

みんな平等だという幻想に縛られてる

日本の教育での一番の問題は、「みんなが平等だ」と言う幻想に基づいてるところじゃないでしょうか。

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