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正義漢で真面目な人は損をする

答えがあると思い込むとどうなるか

正義感が強く真面目な人、いますよね。
ルールやマナーにうるさい人。
あなたの周りにもいると思います。

「不倫はけしからん」「手で食べちゃダメ」「野菜も肉もバランスよく」「夜はどか食いしちゃダメ」みたいな人。
自分でやるだけではなく、他人にも厳しく強要する人。

きっと心がまっすぐなんだと思います。実は私も日本にいた頃は「あれはだめ」「これはだめ」と断罪するタイプでした。今言っても誰も信じてくれないのですが……。

けれども、もし将来、海外で生きていく人になるのなら、または子供を海外に出ていけるようにしたいのなら、「ほとんどのことには答えがない」と言うことを最初に覚えておくと便利です。

なぜかと言うと、海外に来るとルールがガラッと変わるからです。
まさにそんな例を見ました。


マレーシアに来たら、ご飯を手で食べる人はいますし、コンビニの店員さんはケータイで話しながらレジ打ってたりします。おそらく、真面目な日本式にこだわってると、イラっとしすぎて大変です。

柔軟性が必要です。

場所が変わるとルールも変わる

ずっと日本的な価値観で育って、一生日本で働くと決めたような人が、会社の東南アジア進出に伴ってくることが増えてます。で、会社命令でマレーシアに来て、「なんだこの世界は!」ってなってしまうのです。なかには、この方みたいにストレスで辛い人もいます。

マレーシアでは、私たちの常識では理解できない世界が広がってます。

・ご飯を食べたらトレイはその辺に置いておくのが「常識」のフードコートがあります(掃除の人が片付けてくれます)。
・インド系やマレー系の人は右手を使ってご飯を食べます(やってみると美味しいので、わたしも練習中です)。
・子供のベジタリアンもいます(給食もベジタリアンメニューがあったりします)。
・イスラム教徒は条件さえ満たせば奥さん二人もてます(知り合いに1人だけいて揉めてます)。
・仕事はゆっくりお茶飲みながらやろう、と言う人がいます(私もそうです)。
・ムスリムの多くは今月、断食中で昼間は水も飲みません。
・女の方がえらい! って言う少数民族も住んでます。

この人たちに「野菜ばかり食べたら大きくなれないよ」とか「手で食べたらお行儀が悪い」「三食食べなさい」とか言っても無駄どころか、文化や伝統を侮辱したと、揉め事に発展することもあるわけです。

実にいろんな人がいて、マニュアル化して対応することが難しいです。

一方で、モスクの前で短パンで踊った人が警察に捕まったりします。東海岸にはビキニの水着で泳いだだけで、文句言われた人もいます。ポルノは表向きは禁止ですし、お酒飲むことをよく思ってない人たちもいます。ルールが全然違います。そしてそのルールすら、よく見えません。

「知らない」ということは別に良いのですが、「答えが一つだと信じて押し付ける」は危険です。そして、私が書いてるこの原稿だって「正解」じゃないかもしれません。

答えが一つの教育の弊害


ルールは、コミュニティによって、また微妙に違ったりします。

お酒大好きな華人のグループと、厳格なムスリムのコミュニティでは全然違う。外国人に見せている表向きと裏の顔が違うこともあるので、実に複雑です。私もいまだにわからないことだらけで、誰かとあっては新しい発見をする日々です。

だから、「1を聞いて10を知る」ができないです。
自分の知っている部分は一部分、と認識するくらいしか無理です。

こういう「違い」をマレーシアの人は理解し、上手にお互いの違いをスルーして、無駄な議論しませんし、無駄に付き合いません。

議論すると暴動につながることをわかってるんだろう、と思います。分かり合えないんです。

日本人と話していると、「マレーシアで国民的に今流行っているものはなんですか」と無邪気に聞かれることがあり、答えにつまります。

マレーシアには3民族(マレー系、華人、インド系)がいて、それぞれ違う言語で新聞読んで、違うテレビを見てます。さらにインドネシア系など少数民族がたくさんいて、それぞれの文化を守っています。というと、意外そうな顔をされたりします。

日本みたいな国で育つと「答えが複数ない」がいよいよわかりにくくなります。この中途半端な状態が、すっきりせず耐えられない人もいるようです。

実はほとんどのことに答えがない

実は、ほとんどのことに答えがないと思ってます。

サービスも同じ。日本のサービスは型が決まっててマニュアル応対ですが、マレーシアでは相手によって柔軟に変えるのが良いサービスと思っている人が多いでしょう。

編集の仕事もそうです。
仕事の進め方なんて、全員違うんじゃないかな。

私が入れた赤字と別の編集さんが入れた赤字は異なります。100人編集者がいたら、100通りの方法論があるわけです。私が入れる直しと他の人が入れる直しは違ってますし、それで良いのだと思います。

それを「え、なぜここ直すんですか。Aさんだったらこの構成は直さなくていいって言うと思いますよ。どっちが正しいんですか」なんて言われてたら、私は正直、「うわ。これはめんどうくさいなー」って思いますね。

別に正解がどうか、と言うことを争いたいわけじゃないんですよね。良いものを作りたいだけ。

そして、ルールは時代でどんどん変わります。紙媒体が多かった時代と、ウエブの文章が増えてきた今では、文章のルールはかなり変わってきました。

多分、ここでも答えは一つじゃないんですよね。

だから、「正解がひとつ」の教育を受けてしまった人は(私もそうですが)、世界には正解がひとつじゃない、と言うことを、子供たちと一緒に学び直すしかないのだと思います。

そして間違えてしまうこともあるので、「あ、前言撤回します!」と軽く動く柔軟性も、大事です。

ではまた。

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