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他人に判断を委ねないということ

災害時にいつも思うのは、重要な局面は自分で判断しないといけないってコトです。

現場の状況を一番わかってるのは自分です。
お役所や学校は、もはやそこまで頼れない。
周囲がなんと言おうが、自分の判断で動かないといけないときがあります。

マレーシアでは毎年ヘイズという公害があり、ひどいときには視界が真っ白になるほどの大気汚染が起きます。
こうしたとき、マレーシア人の親は親自身の判断で子供を学校に行かせなかったりします。普段から、学校より家庭行事を優先させる家も少なくないので、こうしたことがさっさと判断できるんですよね。その結果は学ぶ本人が引き受けるだけなので、そのことでああだこうだいう親もいません。

インターでは遠足の参加も任意だったりします。危険だからやらせたくないと言う親は参加させないのです。こうやって親も子供も「選択する」と言う経験を積んで行くわけです。

マレーシア人は、政府や公的機関をそこまで信用してません。
必要があれば、国も変える、と言う人も少なくないのです。
実際、今回の選挙の結果をみてダメなら国を変えようと思うと言う人、結構いました。(逆に選挙の結果で戻って来た人もいました)

ところが、子供の頃から親や教師の言うことを全部聞いてくると、この判断力が鈍って来ます
自分で判断するって選択肢が見えなくなっちゃうんですよね。

例えば、おもちゃ消しゴムを持って来てはいけない、と怒られた子供は、色付きの消しゴムを持って行って「じゃあこれはどうですか?」と判断を委ねたりする。教師に「自分が指導する通りに書かないといけない」と怒られた子は、「先生これでいいですか」と聞きに行く。「お母さんがイイと言うまでドリルをやりなさい」と言われた子は、母親に判断を委ねる。こうして「自分で判断してはダメ」と言うメッセージを刷り込まれ続けたら、判断力がなくなって行くのは、ある意味当然ですよね。

他人に判断を委ね、他人に期待しすぎるとどうなるか。
結果として失敗が起きたときに相手に落胆し、失望し、怒り出す。
そこで犯人探しが始まります。

すると役所や学校も「犯人にされてはかなわない」と判断を慎重にするようになるでしょう。ところが、役所や学校も上記のような教育を受けているので、判断ができなくなっています。それに人は失敗する生き物ですから、いくら慎重に判断してもミスは起きます。異常気象が続き、天災が起きまくる現代ではなおさら、過去の経験が通用しないでしょう。
「怒られるかもしれない」
「失敗したら責任を取らされる」
と思えば、いよいよ判断力が鈍り、決断が遅れます。

周りに判断力がないのなら、無視して自分で動いちゃえばいいと思うんですよね。

この人やばいな、と思ったら離れて連絡するのをやめるとか、
このサイト怪しい、と思ったら読むのをやめるとか、
学校の先生を見て、あ、この人たち判断できないんだ、って思ったら辞めさせてみるとか。
この国マズイな、と思ったら国を変えてみるとか

頭と足がついている人が多いのだから、できると思うのですよね。
私たちの祖先だってそうやって、アフリカから遠く日本までやって来たのです。
子供に教えるべきは、自分で判断し、自分で責任をとる能力、そのものじゃないかなと思います。


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野本響子@マレーシア編集者&ライター

編集者&ライター。雑誌編集20年。マレーシアマガジン編集長。40代で外国に来て、驚きの日々を過ごしてます。東南アジアの人に習ったグローバル時代の新しい生き方・教育・考え方を発信。3冊目の書籍「日本人は『やめる練習』がたりてない」が集英社より発売。cakesでも連載中。

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