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インターネットはバイアスで溢れている

今日は久々に会う華人の友人と仕事の打ち合わせしました。

お互い本を執筆中ということで、雑談も盛り上がったのですが、面白いなーと思ったのは、私がマレーシアについて発信しているのと真逆なものの見方を彼女がしてるってコトです。

彼女は、「マレーシアの店員はぶっきらぼうで、ホント恥ずかしくなるわ。日本のように丁寧にしてくれたらいいのに」と言います。

私は逆で、「日本の店員はマニュアル通りに接客はするけれど、融通は利かせてくれない。だから私はマレーシアの方が好き」という感覚です。



そうそう。
こんな風に、同じものを見ていても、全然違う意見になることがあるんです。

彼女は日本語を独学で学んでいます。
そして「日本人の接客はちゃんとお辞儀してフレンドリーで素晴らしい」と言います。マレーシア人から「日本が羨ましい」「日本のようになりたい」と言われるたびに、私は「日本人の接客は確かに丁寧だけれども、長時間労働だし、身内には厳しいし、内心疲れてる労働者も多いだろうし、子供は増えないし、良いことばかりじゃないよ」って内心思ってしまいます。

一方で、その華人の友人は「マレーシア人がフレンドリーだ」という私に対して、「エッどこが。本当に最近、どこでも人が冷たくなったと思うけど?」と感じているそうなんです。

私の書いたものを見て実際にマレーシアに来た人が「思ったよりフレンドリーじゃなかったよ」って感想を持つこと、少なくありません。

そして、この差は、「パースペクティブが違うから」ということで合意しました。

このパースペクティブ、一定のバイアス(先入観)もあると思います。
日本語を習っている日本好きの彼女は日本好きのバイアスがあるし、
マレーシアが好きで住んでいる私にはマレーシア好きのバイアスがある。

面白いですよね。
でもね、これって本当によくあること。

同じものを見ていても、パースペクティブが違うと真逆の感想を持つことがあるんですよ。
つまり、それぞれが自分の見たいように世界を見ているんです。

自分の持っているバイアスに気付けるかどうか

彼女と話しているうちに、もう一つの気づきがありました。

「他人には他人のパースペクティブがある」ってことに気づいている人と、気づいていない人がいる。

気づいている人は、精神的に成熟している可能性が高いです。

逆にバイアスの部分を差し引いて考えることができない人は、トラブルを起こしやすくなります。
相手の事情を考えたり、「自分には理解できない何かあるのだろう」と想像することができないので、ちょっとした情報に過激に反応してしまう。

彼女は「SNSって同じパースペクティブの人を集める仕組みになってるでしょ。だからあまりもう見なくなった」と話していました。

確かにTwitterなんかは、フォローする相手の属性によって、見える世界は全く変わってしまうでしょう。そういう側面もあるかもしれませんね。

バイアスを割り引いて読むということ

インターネットや書籍、テレビなどで収集する情報は、ほぼ全て誰かの「バイアス」「パースペクティブ」で歪められてます。よくテレビの「やらせ」が問題になりますが、ほとんど全ての情報には何らかの意図が入っています。

逆に、意図が少ないもの(どっちつかずのモノ)に人はあまり魅力を感じないのでしょう。読者の目を引くために「マレーシアは天国!」だったり「マレーシアの治安は最悪!」だったり、極端になっていくわけです。そして感情的に揺り動かされていく。

だから、誰かが書いた海外の情報を見て興味を持ったら、その先はやはり、自分の目で見るしかない。

もしかしたら、他の誰にも持ち得ない独自の視点を、あなた自身が持っているかもしれません。というか、多分持っているんじゃないかなぁ。

書籍にしても同じです。
筆者や編集者が「ここはこう見せたい」と思う一定の意図が入っているわけです。特に歴史なんて国家の正当性を強調するためにバイアスやパースペクティブで歪められまくってますから、一つのフィクションとして捉えた方が良いんでしょうね。

私の書くものもそう。興味をもつきっかけにはなる。ただし、実際のところはやっぱり自分で来て、見て、体験するってところが一番大事なのだと思います。

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