「ちょうどいいブス」批判は上から目線で行われる

ちょっと前にこんなエントリが話題になってましたが。

のっけから「ちょうどいいブスという地獄ワード」と言っているようにかなりのお怒りのご様子なわけですが、御本人のツイートを見てみると「いや、お前のツイートのほうが地獄だろ」と思えてしまうものがたくさんあります。


これだけでも「いや、お前のツイートのほうが地獄だろ」が成立してるわけですが、俺が本当の地獄を感じたのはこのツイートです。

「ちょうどいいブス」とか自分で言うことすら否定して攻撃的になってる人間がしてるツイートだと考えるとすごいですね。ブスをスカイツリーの展望台ぐらいから見下してなければこんなアホなこと言えませんよ。つか皇室の人間はブスって遠まわしに言ってるのもすごい。

もちろんブサイクにも容赦はなく。

とまあブサイクになんかされたんかと思ってしまうレベルだしまたブスが馬鹿にされている。

ところでこの人のツイートに出てくる画像が「イケメン」「キラキラ」「ノロケ」ばかりで、ああこれは自分のことブスとか思うのはプライドが許さない的な人ですかと思ってしまうわけですが。

ブログにもこんな記述があります。

自分自身、「ブス…」と鏡の前で鬱になることはあるし、毎日かわいいわけじゃないし、1日毎に年は取っていきます。

かわいい日がある時点でお前どれだけ恵まれてんねん、それとも美意識のネジ飛んどんか、みたいなツッコミが入りそうですがたぶん自分にめちゃくちゃ自信があるんでしょうね。だから自分に自信がない人間の気持ちがわからず防衛行動としての「ちょうどいいブス」が理解できないんだと思います。

俺も顔はいいわけじゃないのでわかるんですが、顔の美醜ってそんな簡単に受け入れて前向きになれるもんじゃないですよ。自分がブスだブサイクだというのは自覚した上で、さてどうやって対外的に表現するかみたいな話になるわけです。

それと同じぐらい大事になってくるのが「自分の気持ちをどうごまかすか」です。いくら着飾ったり化粧したりダイエットしたり体鍛えたりしてもコンプレックスが完全に解消されるわけではないし、すべてを完璧に整えることなんかできないわけですよ。

そんなときに「うん、ちょうどいいブスだな」と思うことで自分を認めるハードルが下がるわけです。ちょうどいいんだから問題ないだろと。これは言葉は違うけどみんな思うことなんじゃないですかね。鏡見ながら「言うほどブサイクじゃないから大丈夫じゃね?」「ちょっとぽっちゃりしてるだけだから」「見られて恥ずかしい格好ってわけでもないし」とか思ったりしてませんか? 俺はずっとしてます。だって妥協しないと死んじゃうもん。世界1位にならない限り人には劣るわけだから、その辺をうまく妥協しないと心を病んでしまいますよ。拒食とか整形依存とかも妥協できないから陥ってしまうわけで、すごい低いハードルで妥協できればもう少し生きやすい人生になると思うんですよ。

でもそれがわかんねえ人も多いんだよ。いわゆる「持ってる人」ね。持ってるから持たざる人のことがわからない。持ってない人も頑張れば持ってる側になれると本気で思っている。なれねえから。持たざる人がなれるのは「前よりは持ってる人」でしかないから。俺が頑張ったらイケメン枠の俳優と戦えるかって言われたら無理だもん。そんな器は持ってないからいくら水入れても入らねえもん。

だからこそ「ちょうどいいブス」に落ち着いて気楽にやっていきたいんですよ、みんな。

ただ「ちょうどいいブス」って人から言うのはどうかと思うんですよ、それは違う。「ちょうどいいブス」は自分の中の妥協点であって他人の評価軸ではないから。そこをごちゃまぜにしちゃうから「ちょうどいいブス」批判が生まれるわけです。それはただの容姿差別だから。

つかそんなに自分がかわいいと思ってるのなら化粧もダイエットもファッションも全部無視してすっぴん頭ボサボサ下っ腹ポッコリのジャージで毎日過ごしてみればいいじゃん。それが嫌だから化粧して髪整えておしゃれして体型に気を使うんでしょ? それも「ちょうどいいブス」と目指してるものは同じだっつーの。ただその高さが違うだけで。

みんながみんなエベレストやヒマラヤを目指してるんじゃないの。富士山まで頑張る人もいれば高尾山でいいやって人もいるの。そうやって自分の目標を持って生きてるの。他人にその目標すら批判されたくないの。人の目標にケチつけるのも「お前ちょうどいいブスだな」って言っちゃうのも同じなの。

ま、「皇室っぽい」なんて言葉使って平気な人には通じないだろうけど。

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