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「褒めてほしい」という感情

投稿3日目。一つの分岐点だと思う。

まず思いつくのは三日坊主。大体の思い付きは、3日で終わる。
とは言え私は三日坊主と”勝負”することが多いため、大抵の思い付きが4日はもつ。3日間さえ凌げればよいというか、そこで勝った気になるのだ。何も成し遂げていないのに。

もう少し分岐点を上げてみよう。
思いつくのは、2週間、1か月、半年、3年。
世間的には3のつく周期で破局を迎えるカップルが多いというが、私の感覚は先のとおりである。なぜかは知らない。私の中のリズム、経験則がそうなのだ。
というわけで、私のnote投稿が3週間、2か月、7か月、4年続いたら褒めてほしい。そこで満足してやめるかもしれないが、そのときはそのときだ。

さて、自らしっぽを出してしまった。今日書こうとしていたのはまさにこの、「褒めてほしい」という感情だ。つまりは承認欲求である。

一昨日知人の勧めを真に受け、自己の発信のためにnoteを始めた。
目的はあくまでアウトプットであり、私の脳内の整理である。もちろんゆくゆくは誰かに刺さる文章が書きたいな~、影響力のあるコンテンツを生み出したいな~と思っているが、それはまたあとでよい。

ところがどうだろう。この短期間で私の承認欲求はむくむくと膨れ上がっているではないか。いるではないかといってもわからないだろうが、実際そうなのだ。
なんでも思いついたこと書いたれ! という気持ちの後ろから、こんなこと書いていいのかしら、もう少し書くこと考えてから書こうかしらなどという気持ちが沸き上がってくる。
もちろん、良い文章を書くためにはそういった意識も必要だろう。しかし、当座の目標は、文章を書くことを習慣にすることである。そのためには自分の中に置く感情はできるだけ少ないほうがいい、と私は考える。

いいねとか、フォローとか、そんなものが数年前まで大嫌いだったのに、気が付けば踊らされている自分に気が付く。
過去の凄まじい集中力を取り戻し、かつ、今の柔軟さをもって軽やかに文章を紡ぎたい。柔よく剛を制す。違うか。まあそんな感じだ。

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