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夢を見ていたのかもしれない。

 大人ってもっと大人だと思っていた。

大人になりきれなかった大人。その言葉を聞いてたった1ヶ月前は笑っていられたのに、成人を迎えた僕には共感性羞恥のようないたたまれない気持ちがちらついている。

一体、僕は彼に何を求めていたのだろう。昔から知っていたことではないのか。今までもうまくやってきたじゃないか。

そうやって問いかけても何も答えは出ない気がして、考えることをやめた。

案外この世界はニコニコしてそうなんだーと相づちを打っておけば物理的にひとりぼっちになることはないと思うようになった(自分からひとりを望んだ人は別として)。合わせるって大事なこと。でも嫌いは嫌いでいいと思う。無理に好きになることにメリットはない。

ただ、うまくやることが大事なのだろう。

「自分の機嫌くらい自分で取れ。」

小学生の頃から言われてきた言葉にこういう意味かと20歳になった今、実感しているし、実際成長するにつれてうまく出来るようになっていく自分に成長を感じられてうれしかった。

20歳まで生きてたくさんのことを学んだ。諦めることの大切さ。妥協すること、頑張ることも。自分の機嫌を自分で取ることも。決めることも。間違うことも。知らないことも。僕は僕だということも。

僕は大人になりたかった。でも、大人って何だろうね。

きっと僕が思う大人って世界にはいないのかもしれないなって思う。誰もが理想の大人の像を自分の中で持っていて、それを目指して生きているのかも。そんな風に考えられるようになったよ。

彼の中にある大人はどんな形をしているのだろう。僕よりも20年以上生きて、社会の構成員として働いて、人の親で。

何が正解で何が間違いか、子供と大人の境目も大人の定義がどんなものかも分からないけれど、少しだけ僕の方が大人なんじゃないかとおもってしまった。


あぁ、理想という名の夢を見ていたのかもしれない。

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