おっさんずラブ最終話 どうかハッピーエンドくださぁぁぁい!!!

 いよいよ今日はおっさんずラブリターンズ最終話だ。残すところあと一時間半。
この一週間は「♪嬉しいような、怖いようなドキドキしちゃう」日々だった。
 「ロス」はもう確定している。有罪無罪が決まっていない未決囚ではないが、有罪は決まっているという状況だ。しかし刑だけが確定していない。最終回の内容で、刑の内容も決まるのだ。
 菊さまと和泉さんが結ばれない場合は死刑。黒澤部長が本当にあの世へ逝ってしまった場合も死刑。春田と牧がまた別れ別れになる場合は無期懲役。
 あんな健気な菊さまのピュアで一途な片思いが、和泉さんとの別れで終わるなら、暴動が起きても不思議ではない。あんまりじゃないか。
「終わりよければすべてよし」と言うが、あれは本当だ。
終わりがイマイチなら、それまでの回がどんなに最高であっても、ダメなのである。菊さまの十五年をすくい上げてこそ、全ての悲しみは美しい思い出に変わる。
 ドラマが終わってしまっても、心穏やかに一話から何度でも見返すことができるのだ。
 私は、和泉さんは菊さまを愛してると信じている。だけど、元教え子であり、恋人だった秋斗の親友であり、うんと年下の菊さまを好きになってはいけないと、恋心に重石を乗せて鍵をかけていただけなのだ。そしてその重しが転がってしまわぬよう、常に自分に言い聞かせていた。「菊は弟だ」と。
口に出すことで自分に言い聞かせ、菊にも「お前は弟だ」と言葉にしてきた。
 それがあの「点滴ス」で、重石が取れて鍵が開いてしまったのだ。まさに「恋は吹き出物」である。
 そしてパンドラの箱の蓋があいた時のように、次々に思い出が飛び出してきたのだ。
 丸いおにぎりを作りながら、和泉さんは泣いていたではないか。
「三角になんかなんねえよ」
 あれを翻訳すると、
「菊…お前がいないと、この世界は俺にとって不完全な辛い場所でしかねえよ。ああ、いつも俺のそばにはお前がいてくれたんだなあ。菊がいたから俺は生きてこられた。菊、すまない。そしてありがとう。いつの間にか、お前は弟ではなくなっていた。いつの間にか俺はお前を愛していたらしい…。会いたいよ、菊。また一緒におむすび作りてえよ」
 パンドラの箱からたくさんのものが飛び出した後に、たった一つ残ったものがある。それは希望だ。
 和泉さんの心にも、希望が残っていたはず。菊様とともに生きて行く未来の希望だ。
「一生一緒にいてくれや」
 そう言って、菊様を抱きしめてあげて欲しい。そうすれば、ご飯粒さえ一人で取れないほど和泉さんに尽くしてきた菊さまの涙は全て報いられるのだ。
 そして黒澤部長。六十歳だから耳が少し遠くなってるんじゃなかろうか。
その上たまたまあたった医者の滑舌が激悪で、「薬は必要ないですね。養命酒なんていいかもしれませんけど、一ヶ月くらいは飲まないと」と言ったのを「薬はもう効かないですね。余命なんて言わない方がいいかもしれませんけど、一ヶ月くらいじゃないかと…」と、聞こえてしまったのではなかろうか。
 黒澤部長、そうですよね?笑い話ですよね。
「ははは、今回は黒澤武蔵が聞き間違えました〜」って言ってください〜!!
今年も満開の桜を見てください〜!!!
 ロスが確定した今、私たちはひたすら次の希望にすがろうとしている。
 それはリターンズの「続編」だ。何年でも待つ!しかしその続編に黒澤部長がいないとなれば……辛過ぎて待たないかもしれない。
 私は作品を書く時、絶対に守っていることがある。それは「ハッピーエンド」だ。これだけは絶対に絶対に守り続ける。たとえラストが誰かの(あるいは猫や犬の)死で終わるとしてもだ。そのラストに、救いがあり納得ができるように終わらせることに心血を注いできた。
 おっさんずラブリターンズはどんなラストなのだろう。私たちの希望を叶えてくれるだろうか。
 もし、もしも、菊さまと和泉さんが結ばれなかったら…。黒澤部長にもしものことがあったら…。
 辛い…。この先、何を楽しみに艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えていけばいいのだ。「艱難辛苦、汝を玉にす」という言葉があるが、玉になるには「おっさんずラブ」のような心浮き立つドラマが必要なのである。だからハッピーエンドで終わらせてくれ〜!!!(号泣しながら土下座)。


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