スター兄妹

私の従兄妹は町のスターだった。美しいK姉さん、秀才のT兄さん。二人には子供の頃から可愛がってもらっていた。
T兄さんの名前はすごく変わっていて、漢字も難しかったのだが、町にはT兄さんと同じ名前の男の子が何人もいた。東京の医大の学生だったT兄さんのようになって欲しくてたくさんの親たちが同じ名前をつけたのだ。
私が中学生の時、K姉さんは、町に一軒しかないスーパーマーケットの跡取り息子と結婚した。
彼は中学の同級生で、K姉さんに恋い焦がれて、何年も追いかけ回した末の結婚だった。二人はとても仲が良く、道の真ん中でいきなり手を握り合って踊り始めたりしていた。姉さんの夫が、その頃大ヒットしていた『ウエストサイドストーリー』を観に連れて行ってくれて、帰りに赤いエナメルの靴を買ってくれたことを覚えている。
ところが、とんでもないことが起こった。K姉さんが妊娠中に、夫がホステスさんと駆け落ちしてしまったのだ。
K姉さんは、スーパーマーケットの隣の家で、夫の両親とともに暮らしていて、大きなお腹を抱えてスーパーのレジに立っていた。一体これからどうなるのだろうと、町中の人が心配している中、K姉さんは男の子を産んだ。
K姉さんは「彼はきっと帰ってくるから、待っている」と言って、気丈にレジに立ち続けた。だけど、半年経っても夫は帰ってこなかった。
赤ちゃんが離乳食を食べるようになった時、K姉さんは息子を置いて泣く泣く婚家を出て行った。義父母に説得されたらしい。
入れ替わりに、K姉さんの夫はホステスさんを連れて戻ってきた。私はスーパーに買い物に行って仰天した。ものすごく綺麗な人が、レジに立っていて、その人は大きなお腹をしていたのだ。その人が着ていたレース生地の真っ赤なワンピースが、私の記憶の中で今でも鮮やかに残っている。
スーパーは私が通っていた中学のすぐ近くにあったので、K姉さんの元夫とはよくすれ違った。彼はいつも気まずそうに、ぺこりと頭を下げた。だけど、私は絶対に挨拶を返さず、完全に無視した。
K姉さんは医大卒業間近のT兄さんを頼って東京に行ってしまった。兄妹の母親は早くに亡くなっていたので、特別に仲がよかったのだ。T兄さんは、妹思いでとても優しい人だったから、一緒に暮らしているうちに傷も癒えるだろうと思った。
K姉さんが上京して間もなく、T兄さんは医大と女子大の合同ダンスパーティーの幹事を引き受けた。
パーティー当日、広い会場で、たった一人ダンスの相手がいない女子大生がいた。地味でおとなしそうなその女の子を気の毒に思ったT兄さんはダンスに誘ってあげた。そして、卒業して間もなくその人と結婚することになった。
T兄さんはハンサムで背が高くて、とても目立つ人だったので「どうしてあの子?」と、まわりは驚いたのだが、K姉さんも私の両親もとても喜んでいた。
「あの子は美人じゃないけど、心が綺麗だからいい」と口々に言った。
可愛いエピソードもたくさんあって、どうやらT兄さんはその「天然ぶり」「可愛さ」に惹かれたらしい。
「私ね、あなたに嘘をついていたことがあるの。それを告白します。私、153センチって言ってたけど、本当は152センチなの。ごめんなさい」
 そう言ってしょんぼりしていたというエピソードをK姉さんは嬉しそうに話してくれた。
「可愛い人でしょう?」
 ところがである。その女は、結婚した途端豹変した。可愛いどころか、とんでもなく気の強い、しかも意地悪で強欲な本性をむき出しにしたのだ。
K姉さんが訪ねて行っても「夫はまだ帰っていない」と言って家にも入れず、舅にも冷たかった。私の両親も憤慨していたが、あとの祭りだった。
彼女のせいで、親戚の私たちとの関係もおかしくなって、T兄さんは私の人生から消えてしまった。
 阪神・淡路大震災の時だったと思うが、テレビのワイドショーを観ていたら、T兄さんが出ていた。どこかの大きな病院の医者をしていて、何か意見を求められていた。髪が真っ白になっていて兄さんだとは気づかなかったのだが、名前が特殊なのでわかったのだ。
 K姉さんはその後、二度結婚した。三度目の結婚の後、縁が切れてしまったので、今どうしているのかわからない。幸せだといいなあと思うのだがなぜか幸せな姿が思い浮かばないのだ。大きなお腹で、大好きな夫と、道でダンスをしていたK姉さんの姿を思い出すと、どこかがチクチクと痛む。
 結婚なんてものは、してみないとわからない。弾倉が六個あっても弾丸は一個しか入っていないロシアンルーレットみたいに、撃ってみないと当たるかどうかわからないのだ。私の場合、今さらどうにもならないので、来世に希望を抱く今日この頃である。

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