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未来の残り香

ただの記憶の残り香である夢の他に、ある種の啓示を、夢で見ることがある。

大概はとても下らない。
翌日に見る光景、なんだったら観るテレビ番組の光景だったりする。あまり意味の無い、『未来の残り香』だ。

精度が高い時期がある。
初夢というか、年末年始に友人の誰かの夢を見る。
友人がコンサートで受賞する夢、後に招待されてその年に開催された結婚式は、演奏と祝福が溢れていた、など。

精度を上げることができる。

夢を見たら必ず話すのだ。
主に身近な夫に。
そうすれば、「あ、これ夢で見たって言ったじゃん」と確認できる。
これを夢で見た気がする、という記憶の書き換えを防止し、否定する。
「すごいね」というちょっとした肯定を貰い、確認する。

すると、精度が上がる。

でも、すぐにやめた。

望まないものに連続して近付いてしまったことがあった。

だから精度を上げようとするのはやめた。

そこまでやってみて、私にとって『未来の残り香が漂ってくる』ことはなんの不思議でもなくなった。

私の夢は、極彩色だ。
モノクロ(色の概念がない)の人のほうが多いらしいけれど、時には目覚めてしまったことが悲しくなる程、極彩色だ。

私の夢には、街がある。
生家とその周りは実物と変わらず、離れるに従って現実には無い、もしくは似た、丘、入り江、竹林、神社、仏閣、山、祠、川、学校、ビジネス街、ビル、公園、植物園、図書館、旅館、ショッピングモール、遊園地、港がある。

それらの場所に度々行くし、移動の距離感もある。
一つの区ぐらいの面積はある。

新しい場所の夢を見ることもある。
でも、夢地区の一画である場所なのか、そうでないかははっきりと違いを感じる。
夢地区内の場所はとてもリアルだ。
夢地区は、私にとっては平行する一つ馴染み深い世界だ。

そしてそれらの場所は、現実世界のどこかの場所とやがてリンクする。

夢地区のうち頻繁に行く場所は、やがて現実世界でも行くことになる。

「あーここ」

その場所に出会うのはやはり、私の人生の転機と重なる時だ。

中でも水場は転機だ。

海。

海面に建つコンビニ。

川。

地底湖。

明るい水場は良い感じ。
暗い水場は、その後、ちょっと。

なぜ今、このことを書いているか。

ここ数日、夢と現実の(夢もある種の現実なんだけど)境が柔らかだった。

それから、5月から終わらない梅雨を、明けるのを待たずに斬ることにした。

斬った。

斬り口は明日見ます。

ではまた、夢の帰り路に。

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