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海と花

去り際がこんなにはっきり分かる季節は夏だけだ。
夏の存在に気づくのはいつも突然で、いなくなったことを知るのも思いがけないタイミングだから、
肝心の夏がいた時間、夏の中にいた時間、というのは現在進行形ではなくて過去のものになっている。

それは、ある日突然いなくなってしまったあの人を思い出すのに似ている。

私たちが語る夏、というものは決して夏そのものではなくて、思い出された夏、永遠に思われるようなたった一瞬のことなのだと思う。

夏になると、いつも思い出す光景がある。
それは私の頭のなかで練り上げたイメージなのか、実際に起きた出来事なのか、何度も繰り返し思い浮かべたらもう分からなくなってしまった。

でも、その年の山陰地方は好天続きで、
しかしまとわりつくような湿っぽさは例年通りで、
体と外気との境目が溶けて滲んでしまったような、
熱された空気のなかを泳いでいるような、
ともかくむっとした熱い空気に包まれていたこと、
これを記憶している。

父が空港のレンタカーショップで借りた軽は照りつける日差しのなかを地を這うようにちまちま進み、
うねる海岸線をなぞり、人気のない港を通りすぎて、山を少しだけのぼったあたりで止まった。
木立を抜けると視界が開けて海がそこにいた。


「危険!」と書かれた低い木の柵は「あちら」と「こちら」の境界線みたい、今にもちぎれそうな紐でなんとか柵の体を成している。
柵を跨ぎ越して到達した岸壁は意外と高くない。
岩陰には息をひそめて揺れる海が待ち受けている。
潮の香りを嗅ぎながら覗き込んだ暗い色の海は、ゆったりとうごめきながら、生きているようにも、死んでいるようにもみえた。

重量感のある鈍色の海が少しそりだした岩の下方になみなみと見え、たぷたぷと打ち寄せては退く。
辺りに私たちの他に人影はなかった。
照りつける日差しの中、私たちだけが、黒い喪服を着て、まるで影のように身を寄せあって海を臨んでいたのだった。

黄色、白、うす桃、色とりどりの、それでいて華美さを感じさせる色は徹底して除かれた清潔な仏花をひと束、新聞紙でくしゅっとくるんで持っていた。
暑さでしんなりとくたびれた様子のその花々の首を指で摘まんでは爪先でぷつ、と手折る母を真似て、私も小ぶりの菊の頭をぷつ、と折る。
そしてたぷたぷと寄せる日本海にひとつ、またひとつとそれを投げいれた。

海へと落ちた黄色や白は、暗い背景によく映え、それはそれは美しかった。
所在なげにゆらゆらと水面を漂い、波に揉まれて沈んでいく。その一連の花の生き死にを、影のような私たちはじっと見つめた。

空はぺったりとした水色で、雲ひとつない。
少しだけ風が吹いて、軽くなった新聞紙の包みは連れ去られそうになり、カサカサと音を立てた。

その時私ははっきりと、この瞬間を一生おぼえているのだろうなと思った。
蒸し暑い空気も、
耳にさわる蝉の鳴き声も、
重く粘度が高い海の質感も、
清潔な色をした菊の花が指先を離れはらりと落ちていく姿も、海にゆったり飲み込まれていく最期も、

あの一瞬は私の中に、夏そのものとして、私の暗い海へと静かに落ちていったのだった。

ふとした瞬間に、あ、と夏の存在に気がつくたび、
あの花が指先を離れたように思う。夏がまた私の中に落ちたと、その行方をみつめる。
私の中の海はゆらゆらと花をあそばせて、
そして静かになる。

海に落ちる花。落ちる瞬間。
私の夏はあの刹那、
そしてそれを思い出す一瞬の中にある。
黄色や白、投げ込まれたその色は海の底で静かに息をして、二度と触れられない場所にありながら、私の中に確かに生きているのだった。

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きよし

街暮らし
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