MITメディアラボ的、TED的な“衒学的アカデミア”に終わりは来るか

「衒学的」(pedantic)は「過剰に学者っぽくふるまう」という意味なので、単に「学者っぽくふるまう」の場合「似非」(pseudo)のほうが良いのではないかという指摘がありました。元の文意を出せるように「衒学的」を置き換えると学問風アカデミアとしたいところです……

※この記事は、下記のまとめの抄録に解説文を付けたものです。


MITメディアラボが組織的性犯罪者ジェフリー・エプスタインの資金を、彼が性犯罪者であることを知りながら受け取っていたスキャンダルが大きく報じられている。

性犯罪者の資金で回っていたMITメディアラボ

この件は当初メディアラボ側からするととばっちりと思われていたが、所長の伊藤穣一は、エプスタインがMITの寄付不適格者であることを知りつつ、分散して匿名寄付にしたり迂回名義を使うなどして資金を受け取る、個人のファンドにも出資してもらうなど、すべてを知りながら行っていた「クロ」であることがほぼ確定した。この報道後、彼は所長の職を辞している。

MITメディアラボが拝金主義の体質だったのは、伊藤穣一以前に創設者のネグロポンテの時代からと言ってよい。伊藤穣一にエプスタインの資金を取るよう勧めたのはネグロポンテであり、そのことを公言したからである。

怪しげな偽科学まがいの「研究」

MITメディアラボについてはもともとあまり快く思っていない人もいた。その多くは、MITメディアラボから出てくる「研究発表」がハッタリ先行で中身がない、と見なしていたものである。

このハッタリ、自己顕示は、結局集金のためであって、エプスタインから金を受け取っていたのと同じ拝金主義的体質から来ているのではないか――というのが外野の勘繰りである。

TED talkは「知的番組」という見方も強いものの、意識高い系のハッタリを前面に押し出した芸風でもあり、ハッタリ先行の人間がよく出演している(ハッタリが先行することを揶揄したセルフパロディ回すらある)。ゆえにエリザベス・ホームズのような詐欺師の片棒も担いでいる。この番組をNHKで放送していた際にプレゼンターを務めていたのがMITメディアラボの伊藤穣一とスプツニ子であった。なお、TEDはエプスタイン事件の実行犯であったマクスウェルを慈善家として喋らせたという点も問題視されている。

また、MITメディアラボがそのようなハッタリにアカデミアの箔を押して飾り付けるファクトリとなっていた、という見方も少なくない。

日本で著名なMITメディアラボ出身者の一人であるスプツニ子氏(ちょうどエプスタインの資金が入ってきたころに教職になった)も、アカデミアの人間というより「研究の真似事」「広告代理店みたいな仕事」として批判的に見られることがあった。

MITメディアラボと直接関係あるわけではないが、スプツニ子氏は「ムーンショット型研究開発制度」の幹事(ビジョナリー会議構成員)を務めている。このムーンショット型研究は怪しげ、ニセ科学、詐欺的と非常に評判が悪いものであった。

また、スプツニ子氏とともに幹事を務める落合陽一氏も、またMITメディアラボと同じジャンルの「研究者」である、と見なされる傾向が強い(ちなみにTEDxに出演している)。彼については〈工学者としては〉中身のある研究発表をしているので詐欺師というわけではないが、宇野常寛あたりとつるんで中身のないテーマだけビッグな〈社会論の〉話をするのは勘弁してもらいたいというのが正直なところである。

試される「ネットリベラル」の真剣み

「日本がほこるフェミニスト様」という言葉が出てきたが、MITメディアラボはアメリカの東西海岸(の特にアカデミア)で受けそうな派手なイベントを仕掛ける「リベラル」の良い例でもあった。メディアラボ産の発表は社会的意義を強調することが多くそれに必要な部分もあるのだが、社会科学の専門的知識なしにアカデミアの箔をつけて社会を語りたがる、というのは落合陽一と共通する困った点でもある。ただ、彼らはよく目立つこともあって、「リベラル」の界隈の中でも持て囃される傾向があった。

例えば、メディアラボは2017年に「既存のルールを破ってでも社会を変革する素晴らしい取り組みをした人を表彰する『MITメディアラボ不服従賞』」なるものを作っている(しかもhuffpostがいかにも東海岸アカデミアの先進的取り組みという風に報じている)。しかし今回の事件の結果、エプスタイン資金を受け取ったこととの矛盾に対する弁明が求められている。

伊藤はリベラルを代表する高級紙The New York Timesの(社外)取締役も務めている。今回の告発者は、NYTに対して洗いざらい喋っていたのに黙殺されたのでThe New Yorkerに改めてタレ込んだと言っており、関連を疑っている。

伊藤に対してエプスタイン資金を受け取るよう促したと公言して物議を醸したメディアラボの創設者のニコラス・ネグロポンテは、同時にWired Magazineの創刊者の一人だが、Wired Magazineは英語版Wikipediaの"List of political magazines"にて(アメリカ英語での)リベラルに分類されている。

前述したスプツニ子もセクシュアリティ、フェミニズムをテーマとした作風で知られている。今回の件では、「リベラル」的ポーズを取りながらその実「リベラル」から特に批判されているエプスタインの金をとっていたということがアメリカ国内でも非難の的となっているが、彼女の場合は中心テーマがフェミニズムであることから、その批判が直撃するだろう。

一方で、今回の告発についてはラボ内部のMeToo運動であったことも指摘されている。

また、彼らは右派議員に取り入る政商としての顔も持ち合わせている。これは、伊藤穣一にしても、あるいはムーンショット研究に取り入ったスプツニ子や落合陽一にしてもそうである。

ド派手に目立つように行われるリベラルとしてのメディア活動と、政商として右派議員に取り入る活動、政治的に見ると矛盾した2つの立場をなぜとれるのか――という疑問が湧くが、自己顕示集金システムの一環であると考えれば首尾一貫しているとはいえる。

TED的ハッタリが退潮してくれるか

ここまで何回か引用している柏野雄太氏をはじめとして、TED的なハッタリにアカデミアの箔をつけて展開するカルチャーに対して批判的な人は多い。少なくとも、少なくない。私自身もその一人である。

今まではこのハッタリが研究上のものであったが、今回のスキャンダルで、TED風に派手に展開される「リベラル」の政治行動が、研究上と同様、ええ格好しいのハッタリなのではないか?という疑念が現実のものとなりつつある。The New York Timesでさえ取締役の不祥事は握りつぶした疑惑が出ており、一部の跳ね返りの仕業で片づけられない根深いものがあると言わざるを得ない。

メディアラボ的な手法――ハッタリで研究資金を引っ張る「リベラル」の代表例はイーロン・マスクだろう。彼に関しては、ハッタリ先行ではあるが結果もある程度ついてきている。ロケットに関しては実際成功しているし、電気自動車も一定以上の成果をあげている(労災が多かったりまだ軌道に乗ったわけではなく自転車の上で彼のビジネスがそのまま軌道に乗るかは別としても)。脳-機械インターフェースの新プロジェクトも、(倫理的問題で手を付けにくい方法ではあるが)ガチの脳科学者も先進的と認めるものである。なので、個人的にはハッタリが全部間違っているとは言わない。確かに研究開発をドライブする力にもなり得るものではあろう。「リベラル」的倫理面も、無視するよりはよい。「やらない善よりやる偽善」である。

しかし、ハッタリで塗り固めたようなものは正直あまり認めたくないものである。今回の事件で、そのあたりの「綱紀粛正」が少し進むとよいと期待している。








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