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『轍』Lev.2-1 前言撤回Vol.2 

難事業だったC2


“1”の背負う重荷はキツイよ

練馬線建設の機運が高まるきっかけとなった路線がある。

都道317号・山手通り
(東京都新宿区 2023年1月6日撮影)

首都高中央環状線(C2)。
都心環状線(C1)から8km圏を環状に結ぶ路線で、(ほぼ千葉の)江戸川区葛西JCTと(羽田空港目の前の)品川区大井JCTを結ぶ。

C1と接続していた枝路線も、C2の開通によって渋滞の形が大きく変わった。ただ、所詮は後付で、常識外れの構造や元ある出入口の改築で対応している場所が多く、通行台数+αで渋滞が深刻である。

大橋JCTは高低差+楕円形の急カーブ
(首都高ドライバーズサイトより)

多摩地域を通る圏央道より更に内側、杉並や世田谷地域にも延びる筈の外環道は大泉止まり。住民の反対で長い間膠着状態だった計画が漸く動き出したかと思いきや、調布市の陥没事故で遅れに拍車がかかった状態。

都道311号・環八通り
高井戸ICと東京ICを最短で結ぶ幹線道路
(東京都杉並区 2023年6月3日撮影)

4号新宿線や渋谷線のように外環道の恩恵を受けるにはまだ程遠いエリアは、C2開通が相当な悲願だったと思う。関越道の“1”を問題視しているが、東名や中央道“1”はもっと緊急事態なのだ。

高松入口もワケありだった

まず、練馬線が絡む区間のC2の歴史を追ってみる。
大橋JCT↔熊野町JCTは中央環状線を構成する内の一路線、「中央環状新宿線」と言われる。18.2kmにも及ぶ山手トンネルそのもので、池袋線との熊野町JCTをすぎればあっという間に地下に潜る。

最初の都市計画決定がなされたのが1991年8月。元々は全線高架構造の計画だったが、沿線住民からの反対でトンネルへと変更、1999年4月に再度都市計画決定が行われた。

C2・高松入口
(東京都板橋区 2023年7月8日撮影)
要町換気所付近から山手通り北行を眺める
(東京都豊島区 2023年12月31日撮影)

反対が強かったのが、現在トンネル入口となる豊島区要町付近。

構造検討区間との関係等について

1 本都市高速道路の計画は、豊島区内の構造検討区間も同時に供用開始することを前提としているが、同区間を高架構造とすることについては、同区議会が反対を決議している。また首都高速道路公団が同区議会に提出した「高松付近本線潜り込みの計画(検討)」では、高架構造である原案以外は実現困難または不可としている。同区間の問題が解決しなければ、当該道路は高速道路の接続を欠き、池袋南出口付近で著しい交通渋滞を招くことになる。
 構造検討区間について、高架構造としないで建設する見込みはあるのか。

第118回国会(特別会)『都市高速道路中央環状新宿線の建設事業及び環状六号線の拡幅工事に関する質問主意書』より引用

日本共産党不破哲三元議長の兄で、同党の上田耕一郎参議院議員による質問主意書。

ただ、既に池袋線は高架で供用されていて、更に高松出口が要町1丁目交差点付近に辿り着く。そのため、出口機能を維持したまま山手トンネルの入口を作るには、高架を延して現在より南側に設置しなければならなかった。
豊島区議会がそれに反対していたことで、高松出入口付近の方針を巡る検討書『高松付近本線潜り込みの計画』が作られたのだ。

結局検討の末、既設の池袋線高松出口を撤去して高架新設を減らし、元々の高松出口機能は少し南側の西池袋出口を設置し、そちらに移された。

用賀&高井戸「中落合JCTなんてナメてんのかw」

超大トンネルの排気設備

ただ、要町から中落合までの間でもう一つ問題があった。

中落合換気所
(東京都新宿区 2024年1月20日撮影)
中落合換気所は新目白通りとの交差点付近にある
(東京都新宿区 2024年1月20日撮影)

トンネル内の排気ガス処理の為に設置される排気塔のことだ。山手トンネルは日本一の長さを誇り、超大トンネルの基準と言われる5000mの3.6倍にも及ぶ。
それに、通行台数も多く、長い渋滞が発生しやすいことも踏まえて換気装置も機能性が高くなければならない。

練馬線=(新)目白通りの高速道路

二度目の都市計画決定が1999年4月。
その頃には外環道は関越道とつながり、首都高池袋線と東北道が高速を降りずに行き来出来るようになっていた。
それで事実上の解決と思いきや、まだ首都高直結の夢を捨てていなかったのだ。

練馬線は目白通りの高速道路。
江戸川橋での5号線接続は渋滞悪化のリスクで頓挫したが、比較的近い場所にC2が開通することで高架にしろトンネルにしろ、“首都高接続”は検討の余地があったのだろう。
練馬線が新目白通りに沿って延びるならば、C2とぶつかるのは山手通り交差点付近ということになる。

しかし、JCT候補地にはガッツリと巨大な排気設備「中落合換気所」が設置された。関越道と首都高がつながるとなれば大手柄だから、当初はJCT設置を目論んで山手トンネルの計画が練られていたはずだと思ったのだが。

中落合換気所の設置

山手通りと新目白通りの交差点近くにある排気塔「中落合換気所」。

この問題を追っていくと、新宿区落合地区で反対運動を行っていた「環六高速道路に反対する会」のHPを発見した。山手トンネルが全線開通した今は名称を変えて「環六高速道路を考える会」として情報発信をされている。

そのHPの中で気になる記述を発見した。

運動の出発点

会員の多くが住む落合地域は,新宿区内では唯一の第1種低層住宅地域が広がる良好な住宅地です.その一角に25世帯130名を立ち退かせて高さ45mの路外換気所を作るというのが当初の計画でした.説明会があるというので出かけていった住民は,そこで初めて自分が立ち退かなければならないことを知らされました.全くの寝耳に水だったのです.そしてさらにその地下には構想路線の高速10号線と接続する地下インターチェンジができるのです.立ち退き住民の運動を支え,地域の環境を守るために1988年8月「落合地域地下高速道路に反対する会」を結成したのが運動の出発点でした.

『環六高速道路を考える会』HP 「環六高速道路に対する私たちの活動」より引用

先程掲載した写真をもう一度。

中落合換気所は山手通りの中央分離帯に延びる

良好な住宅地の中に、高さ45mの排気塔を建てる計画があったという。そしてその地下(山手通りと新目白通り交差点の地下)に高速練馬線との地下インターチェンジが設置されるとある。
ここから察するに、現在の排気所の位置は高速練馬線を諦めた姿と言える。同会はチラシも作成していて、そこに描かれた将来図は中落合換気所が山手通り外に設置され、新目白通りの地下に練馬線が通る。

その段階でも練馬線は構想路線だが、5号線との設備が目指されていた時期の資料には、「都市計画決定された都市高速道路」として「新宿区早稲田鶴巻町付近 2箇所」とある。

5号線29箇所の決定箇所のうち、2箇所とある
(首都高速道路公団 年報昭和45年度より)

昭和45年は1970年。関越道(東京川越道路)開通を翌年に控えた時期で、他の高速道路のように首都高とつなげる事を目指していた。
現在の早稲田出口は1箇所だから、2箇所というのは「練馬線→池袋線」と「池袋線→練馬線」の上下線1箇所づつと言う事か。

新宿線と渋谷線が優先

関越道と首都高の接続は、1994年3月に外環道埼玉区間全通で別料金ではあるが果たされた。別にそこまで無駄のないルートだと思う。
だから、練馬線建設を見据えた形で中落合換気所を設置する事は、立ち退きという負担に対して相応の効果を産むものでは無かったのだ。
更に、外環道東京区間(大泉以南)の目処が全く立たない為、交通量の多い新宿線と渋谷線をC2で分散させなければならないのは明白だった。遅れたとはいえ、外環道を介して池袋線接続が約束された状態の関越道はC2利用のメリットは2路線に比べて非常に薄い。

C2新宿線には現在熊野町、西新宿、大橋と3つのJCTがあるが、C1に行けるのは大橋JCTのみ。池袋線とつながらない練馬線は必然的にC2が終点となるが、C1へ向かうには大橋JCTを利用するか、結局元通りで新目白通りを走って直接池袋線へ行くしかない。

用賀(すぐ東京IC)高井戸(中央道)の2つの地からは、C2建設に対する焦りとともに、練馬線の開通を心配している悲痛な叫びがあったはず。
あれから四半世紀、いよいよ外環の産声が聞こえてきはじめた。

                 おわり




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