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『轍』Lev.1 首都高晴海線(晴海〜新富町)早期実現に向けて Vol.1


都心環状線は“梗塞”道路

“日本橋に青空を取り戻す”
そんなスローガンの下で行われている、首都高日本橋地区の地下化事業。それが未完の高速道路が繋がる伏線になればいいのだが‥。

日本橋の上を都心環状線が通る
(東京都中央区 2023年11月25日)

結局問題になっているのは“都心”なのだ。
既に都市化された都心で高速道路を完成させることが如何に難しいのかは、実際に走るとすぐにわかる。
東名や中央道、東北道のように東京近郊から延びる路線は、都心環状線から枝線でつながっている。オリンピックを目前に控えた1962年12月に都環の京橋(中央区)〜汐留(港区)が開通してから、1976年まで14年間で都環全通、新宿線、渋谷線、小松川線が開通、1985年に都県境の荒川を越えて三郷線、1987年に川口線と次々に開通した。

少ない用地、限られた工期、主要高速の整備が進む真っ只中で作り上げられた道路である。1周15km程の短い環状道路に10箇所のJCTがあるのだ。

中央環状線“C2”開通で生まれた差

そう言えば、圏央道のナンバリングは“C4”。
首都高都心“環状線”が“C1”、中央“環状線”が“C2”東京“外環道”が“C3”、圏央道がC4となる。
圏央道は茨城、千葉、埼玉、「ほぼ埼玉」や「ほぼ神奈川」圏の東京都郊外地域、神奈川と東京自体を迂回する環状道路だ。と言うことで走っていても「東京感」は殆どないが、何故か“C4”という表記を見るだけだとそれが強く感じる。

圏央道について国土交通省の説明を読んでみると、都心から40~60km圏を環状に結ぶとある。都心環状線(C1)に対して、C4の圏央道は都心から最も離れた「首都高のバイパス道」なのだ。

中央環状線(C2)は、“都心”から8km圏を囲う道路で、圏央道までの距離の5分の1。
ルートは渋谷、新宿、池袋(付近)、王子、足立、荒川、葛飾、江戸川、品川を経由する。

中央環状線・西池袋出入口
著者の地元でもある
(東京都豊島区 2023年7月8日撮影)

C2〜C4の中で、唯一C4が首都高と直接の接点を持たず、郊外地区の縦移動を首都高に頼らずに担っている。そしてC3の外環道は東西移動のバイパス機能を持ちながら、首都高と4箇所で接続して都心方面への1路線の集中を抑制している

そしてC2は、通過交通の都心への流入を抑えるために建設され、枝線に新たなJCTを設けた。このことが、新設JCTによる渋滞状況の分断を引き起こした。

C2小松川JCT(×京葉道路)は成功例?

千葉から東京への高速鉄道は京葉道路と東関東道の2本がある。両者は比較的近い位置を走り、千葉市稲毛区の宮野木JCTで交わる。

京葉道路の歴史は古く、首都高の出現より2年早く最初の区間(一之江〜船橋)が開通。
江戸川区松島が起点の国道14号バイパスとして建設された。
1971年3月の小松川線開通で首都高と繋がる形でとなった。有料道路として事実上の起点は一之江橋(江戸川区)だが、高速道路としては環七通りの上を跨いでそのまま繋がる。

起点の一之江橋(西詰)と0キロポスト
(東京都江戸川区 2023年12月23日撮影)
“京葉道路”上の高架で小松川線は終点となる
(東京都江戸川区 2023年12月23日撮影)
“京葉道路”専用部起点の篠崎ICには料金所はない
(東京都江戸川区 2023 年12月23日撮影)

そして特に、篠崎、湾岸市川の出口には料金所が設置されていないため、「一之江↔湾岸市川」は無料で通行できる
しかし“無料区間として”開通したのではなく、急激に車が増加した時代を道路建設で必死にカバーしようとした歴史なのだ。

京葉道路は1960年代に整備、延伸が進んだ歴史の古い有料道路ですが、開通後に道路の周辺地域が急速に発展し、交通量も急増しました。そこで出入口を作って対応しますが、料金所の設置が構造上難しい場所や、料金所を設置すると本線や一般道に渋滞を引き起こす懸念のある場所が出てきました。そこで、やむを得ずいくつかの出入口で料金所を設置しなかったため、無料で通行できる区間が存在しています。

乗り物ニュース2022年4月25日『京葉道路無料区間、外環道接続で変わる? 車の流れと料金は』より

そんな京葉道路と繋がる小松川線だが、小松川出入口付近で交わるC2とは行き来できなかった。C1の交通分散を目的に作られた筈のC2の“欠陥”とも言える状態だった。

江戸橋JCT付近
(東京都中央区 2023年11月25日撮影)
中央通り・江戸橋の上は江戸橋JCT
次の箱崎JCTまで1km未満
(東京都中央区 2023年)

現在の小松川JCTがある区間のC2が開通したのは1987年9月で、葛飾区の四ツ木出入口から湾岸線葛西JCTまで。
湾岸線は成田空港からの東関東道と接続し、C1へは9号深川線や11号台場線経由で繋がる。しかし、C2が葛西まで延びても途中交わる小松川線とはつながっておらず、両国、箱崎、江戸橋と3つのJCTの渋滞は変わらないままだった。

そして、外環道が千葉まで延びるのが2017年6月。外環道の開通で高谷JCT(×東関東道、湾岸線)の手前に京葉JCTも設置されて、京葉道路と外環状道路が行き来できるようになった。
それによって、常磐道や江北JCTからの川口線との行き来に避けられなかった堀切・小菅JCTの渋滞が緩和されたという。

しかし、小松川線の起点となる両国JCTは箱崎・江戸川橋JCT方面へしか行けず、更にC2の平井大橋から小菅JCT間の利用に不便が大きく、JCTの開通が期待され、2019年12月に開通。
小松川JCT開通まで千葉からC2へ行くには「東関東道から湾岸線で葛西JCT」しか無かったが、京葉道路と事実上直接つながったため葛西JCTが絡む区間の湾岸線自体の交通量は落ち着いたようにも見える。

小松川JCT開通で小菅問題は悪化したか(要検証課題)

しかし、恩恵は小松川JCTより北側と西側に大きくもたらされたが、C2の特徴「JCTの多さ」がアダとなる形で降ってきた問題がある。

小松川JCTの先に、9号向島線と三郷線、C2が交わる堀切・小菅と2連のJCTがある。向島線と三郷線の行き来はC2を“渡る”形、C2をそのまま抜けるにも一度車線減少ポイントを挟んで向島線↔三郷線の“渡り”の中をくぐる必要があり、長年深刻な渋滞に悩まされている。

小松川JCTの開通で痛みを伴ったのは、選択肢が増えたのと比例して交通量が増えた京葉道路は勿論だが、堀切・小菅JCT先頭の渋滞に拍車をかけるように小松川線からの流入や流出が発生。

C1とつながる箱崎や江戸橋、両国といったJCTに恩恵が訪れたと思いきや、葛西JCT↔堀切・小菅JCTのC2はJCTの増加によって渋滞はかえって酷くなったのではないか。

今回取り上げる晴海線問題は、湾岸線と密接に関わりがある。C2が湾岸線に及ぼす影響を調査すると、同じ湾岸線から延びる晴海線延伸の見え方が変わるのではないか。

                 つづく


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