通勤note#6 少年に大志は必要か

キュウです!

先日、就職活動に関連した記事を書いた。そういえば自分は当時どのようなことを思っていたのか。彼女と話しながら思い出したので書き出してみようと思う。

①就職活動(や他の場面)であなたの使命はなんですか?と聞かれたことがあるだろうか。
あなたは何がしたいの?どんな人生にしたい?など、言い方は人それぞれに譲るが、どこかで誰しもが聞かれる質問だと思う。他人に言われずとも自問自答して思考の迷路に入り込んでしまうこともあれば、自分で答えを出してくる強者もいる(僕には土台できない芸当である)。
これに対し僕なりに考えて出したのが「ぼくはぼくのために生きる」である。別に難しい意味なんか込めちゃいなくて、他人の人生を生きないこと、それだけだ。他人の思想に踊らされたり、悪口や陰口に付き合わずに、自分がこれだ!と思うものを見つけること、それに邁進すること。至極簡単だ。

②今から2年前になるだろうか、酔っぱらってくだを巻いた職場の先輩に4次会に連れていかれ(新橋のカウンター居酒屋だったと記憶している)、「仕事っぷりが甘い」と説教を食らったことがあった。
その中で「大きな意味でも良いから、国に貢献したいとか新興国の発展に寄与したいという思いが無けりゃこの仕事は向いてない」と言われたことを今でも思い出す。
この時は僕の素直な方の性格が出て、そのまましんみりした表情で聞き入っていた。なぜ説教が始まったのかは記憶にもないが、僕の仕事が甘いのは明々白々だった。反論の気力も、また余地もなかった。
この出来事は僕に軽い衝撃を与えた。部署の奴ら、みんなそんなに深遠な理想を持っているのか?!何も無いのは僕だけなのか?!と…。同時に長い自問自答の時期に入る…。

③皮肉なことにこの先輩の嫌味ったらしい説教は最終的に「ぼくはぼくのために生きる」の思想に繋がることになる。
どんなに考えても(考えが足りないという指摘は脇に置いて)僕の中から湧き上がるような大使は出てこなかったのだ。というか、考える過程で「なんで大使をひねり出そうとしてるのだ?」とばからしくなってしまった。大使は湧き上がるものであって、無理に心の耳くそを書き出して固めて某かの形にすることもない、と気づいた次第であった。
さて就活生や若手の社会人に言いたいのは「こんなことで悩んでいても意味無いよ」ということだ。いやもちろん才能ある方なら美しい使命を思いつくのかもしれないし、これを信じ込んで達成せしめるのかもしれない。毎日鏡の前で目標を唱えれば意識、そして行動が変わり人生が変わるという格言もある。が、決して無理に行う行為ではないということだ。
自分が本当にやりたいことは何なのか?と暗中模索する行為も等しくて、大半の人は別に何も見つけずに平常に人生を生きていく。それで良いのだと思う。

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