ラスト4行に込められた思いに救われています

MIRROR

この楽曲のことを綴るには、いつもより少し肩に力が入る。それだけ、GLAYファンにとっては、思い入れの強い楽曲ではないか。この楽曲の事前情報を全く知らない状態で初めて耳にしたライブで、泣いた。しかも、あぁ、泣くかもしれないなという前兆もまったくなかった。気づけば泣いていた。それくらい、何も意識をせずとも、この楽曲が言わんとしてることが伝わってきたし、理解すればするほど、聴くたびに泣ける。
もちろん、泣けるだけではない。何度、心を救ってもらったことか。何度、勇気づけてもらったことか。何度、GLAYファンでいることへの誇りを感じることができたか。この楽曲を作り、演奏できるバンドを好きになれたことは、幸せであり、誇り高きことであると感じる。それほど、この楽曲が持つ力は偉大であると感じる。

イントロど頭とアウトロの最後が同じ音であり、ループしているように聴こえるところに意味があるのだろうが、最初はちょっと冷たいような音に感じるのが、最後まで聴き終わる時には涼やかで、凛とした音のように感じるのが不思議である。確実に聴いている者の心の持ちよう次第で変わるだけなのだが、どのような心持ちで聴いたとしても、最後の音が、冷たく響くことはない。それが、この楽曲が持つ力だと思う。

サビはひたすら「Hello」という単語を繰り返すだけ。初めて聴いた時は、なぜかずっと「Alone」に聴こえていた。その時は、その単語の方が、この楽曲にマッチしているように感じたし、今でも一定の納得感はある。
でも、この楽曲のすごいところは、サビに言いたいことを詰め込むのではなくて、そこを「Hello」という言葉だけで、歌い切るというところ。そこに、GLAYの思いとか、覚悟とか、未来に向かって進もうとするもがきとか、そういうものを感じるから、苦しさもあるけれど、それでも前に向かって歌っている感じに背中を押してもらえる。TERUの歌力の賜物。

そして、何よりも最後のフレーズ。何度聴いても、毎回心にズシズシくる。
この歌詞を書いた時、歌っている時、どんな思いなのだろう。

今日という日が 明日という日が裏切りばかりの毎日でも
今日という日が 明日という日が心殺すだけの毎日でも
今日という日が 明日という日が絶望ばかりの毎日でも
こぼれそうなあの笑顔を探している

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

「こぼれそうなあの笑顔」
探してくれているその笑顔に自分がなれているのならば、喜んで笑おう。胸を張って笑っていよう。笑っている自分に自信を持とう。それだけ大きな力がこの楽曲には詰まっている。

そして、その笑顔で笑顔になったメンバーを背中をいつまでも追い続けていけることを、「夢」と呼びたい。

#GLAY #MIRROR #今日という日が明日という日が #こぼれそうなあの笑顔を探している

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