MVがこれほどまでリンクしている楽曲を私は知らない

the other end of the globe

改めてMVをじっくり観て、音が生み出す世界観をMVの映像が完璧なまでに表現している事実に驚きを隠せなかった。まず、このMVの場所。これほどまでにこの楽曲の持つ景色の広がりを見せて/魅せてくれる場所があるなんて。この楽曲をヴェネツィアのサン・マルコ広場でTERUが披露してるが、その時の印象もあって、水の街のイメージもどこかにあったが、空と山の稜線が見渡す限りに広がっている感じがなんだか似合うというか、しっくりくる。おそらく最初に聴いた時の頭の中の映像として、山とか、岩場をイメージしたからかもしれない。景色は時間によって、ゆっくりと表情を変えていく。空の変化によって、影の位置や大きさが変わる。その事実に改めて気づき、その様子をじっくりと味わうことができる1曲。

どこまでも広がっていく景色は、コンポーザーTERUそのもののようにすら感じる。どこまでも続く山肌を颯爽と歩きながら歌うTERUを見ていると、その景色の尊さを感じ、涙が出そうになる。楽曲の中で一貫して鳴り続けているダッダッダ、ダッダッダというリズミカルな音は、でこぼこしていて、誰の足跡のない未開拓の地を力強く歩くTERUの足音のように感じる。また、そのTERUの足音に呼応するように、山全体が発している音のようにも感じる。自然が、人間が発する音に応えながら、新しいメロディを生み出している、そんな現象が起こっているように感じさせる映像だ。
ギターの流れるようなメロディは、雲の間から徐々に太陽の光が差し込んでくる様子や、風が口笛でも吹いているようにメンバーの全身を撫でていくさまを想起させる。特にHISASHIのギター音は、人工的な音を発しているのにも関わらず、雄大な自然の中では、ここまでも溶け込んで行ける、いや、融合していけるという表現の方が正しいかもしれないと思うほど、景色に馴染む。大地がGLAYの存在を認め、後押しをしてくれているような美しい映像に息を飲む。

自身のことにいっぱいいっぱいで、周りのことに気を配ることができずにいる自分に、「それでもいいんだ」という言葉がどれほど救いになるのか。大きすぎる自然の中に、ポツンと一人歌い、演奏するメンバーの姿は、何を言わずとも大いなる勇気を与えてくれる。「地球の反対側を想像してごらんよ」と優しく微笑んでくれ、その意味するところは自分で考えてみてはどうだろうと背中を押してくれる。そんな心優しき楽曲。
本当に、TERUそのものという楽曲だと感じる。
疲れた時には、このMVに戻ってこよう。

#GLAY #theotherendofglobe #楽曲とMVのリンクが秀逸 #地球の反対側を想像してごらん #大地を踏み締めるリズム

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