別ジャンルで闘う人へのリスペクト

Buddy

この楽曲はTAKUROがTERUに向けて作ったものだと思うところがあったが、やはり2人組というか、ツインズというか、2人の距離感の絶妙さを書いていル事がインタビューからわかって合点が行った。
お店をやっている人の歌だよなということは、歌詞からわかっていたので、それがTAKUROの住まい近くのイタリアンを2人で切り盛りしているモデルの話を聞いた時に、腑に落ちたというか、すっきりした感じがあった。どこか懐かしい味に会える喫茶店のようなところを想像していたから、遠からずという感じか。歌詞でそれを連想させるところは、やはりTAKUROだ。

ライブで初めて聴いた時は、それほど気に留められていなかったが、イントロのベースがエモい(語彙力の欠如がエモいという後天的な単語しか発せられない事実に、もどかしさと恥ずかしさでいっぱいだが・・・)。このベースを平常心で聴けるほどの冷静さは持ち合わせていない。このベースを認識した時、体の中に何か放出されたような感覚に陥った。どうして、JIRO氏波こうも私の心をかき乱すのか。もっともっと純粋にこの楽曲を楽しみたかったのに、ライブでは特に、体の中にはとどめきれない興奮をどうコントロールすればよいかわからないではないか。。。どうしてくれよう、どうして。。。
Aメロ前に、「MY REVOLUTION」を彷彿とさせるシンセサイザー?っぽい音がすっとよぎったり、昔に流行ったメロディや間奏がどことなく懐古的な思いをもたらすと思っていた楽曲だったが、イントロのベースがあることで、落ち着いた精神状態で聴ける自信が喪失した。マイナスな表現ばかりが並んでいるが、それほどまでに心を持って行かれたベースだ。
最近のJIRO氏は、目立つというほどではないのに、ふとした時に現れて、心をさらっていく。「THE GHOST」も然り。
また、「Buddy」のMVが前回ホールツアーのハイライトのような作りになっていて、それもまた目頭の方をじんわりとさせてくる。こういうタイプのMVはいけない。言葉選ばずに言うと、反則だ。だって、何回再生してもホールツアーのことが思い出されて泣きそうになる。

ライブで聴いた時は、正直ここまでの奥深さを感じられなかった。ただ、それをパッケージにし、MVを制作したことで、Buddyの世界観がそこに凝縮され、魅力に気付きやすくなった。その工程を経てライブで聴く味わい深さをアリーナツアーで充分に実感したい。

#GLAY #Buddy #相棒 #芸人へのリスペクト #近くのイタリアン

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