バンドとダンスがここまで融合できるのかとのけぞった話

SCREAM(GLAY×EXILE)

当時の自分の視点からの話をすると、「何故自分が知らない、しかもダンスを踊るグループと一緒に楽曲を出すのだろうか?」という疑問しかなかった。今思うと、EXILEにとってもまったくもって失礼だし、それを楽しんでいたGLAYの決断に対して、何の考えもなし、否定的な姿勢から入った自分の未熟さが恥ずかしい。今となって思えば、バンドとダンスのコラボってさほど珍しいことでもないと思うし、何より、バンドのライブにダンサーの方が演出として入られることだって、それほど特別なことでもないと思うが、まさか自分が好きなバンドが、自分が知らない(当時の自身があまり流行とかには敏感でなかったこともあり)ダンサーの方(ボーカルがいることすら認識として怪しかった)と楽曲でコラボするなんて、青天の霹靂すぎて、なかなか自分の中で受け入れることができなったのだ。

ただ、楽曲としての完成度の高さと、何よりもGLAYとEXILEの関係性のよさを知ると、そんなチンケな感想しか持てない自分にどんどん恥ずかしさが込み上げてくる。確かに表現方法は違う。方や自分たちで楽曲を作り、それを楽器隊とボーカルで外に発信することで、エンターテイメントを創り出している。方や、ボーカル2名でハーモニーを奏で、その周囲をダンサーが取り囲むように踊るという表現方法。表現方法に違いがあるにせよ、その目的は果たして異なるのか。いや、これにおいては全くそうはならないだろう。
リスナーを驚かせたい、楽しませたい。そして、願わくばそれをやっている自分たちもワクワクしたい。そう言う思いなのではないだろうか。だとしたら、それまで表現方法が異なって、交わることが難しかったバンドとダンスを融合させた時の表現方法ってどうなるのだろうか?楽器とダンスってどう絡んでいくのか?一つのステージに同時に立ったことによる不自然感は、本当にないだろうか?そんなことを突き詰めていくと、やらない理由はないし、礎を築けたら、次にも繋げやすい。

だからこそ、この楽曲が持つ破壊力がなかなかのものだ。バンドのかっこよさと、ダンサーが自身を表現する場として、それこそGLAYのメンバーが作る楽曲の中でどんな形になっていくのかが楽しみであったが、初めて耳にした時、EXILEに歌ってもらうために生まれた楽曲なんだと感じたように記憶している。EXILEでも2人のボーカルがそれぞれの声の特性を活かした歌い方をしており、サビはそこにコーラスの役割としてのTERUの声が加わると、音に厚みが出る。それが、とにかく互いの持つ特徴を表現できたことが素晴らしい。

リリースから数年後に、GLAYの単独ライブでやる機会があったが、全てのパートをTERUが全部歌っていて、なかなかのけぞったことも良き思い出。

#GLAYEXILE #SCREAM #バンドとダンス #GLAYコラボ



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