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『すずめの戸締まり』に通底する精神は『日月神示』に通じる

『すずめの戸締まり』には日本の根源的精神が流れている


新海誠『すずめの戸締まり』はご覧になったでしょうか。普通に日本で暮らしている人であれば、この映画には神道の発想が根底に流れていることを感じたのではないかと思います。神道の発想の中でも、特に古神道あるいは幕末明治維新期に生じた新興神道(形式化した神道に対する本来の神道復活の動き)に通じるものがあると感じました。
そうした古来の本来の神道のエッセンスは『日月神示』(「ひつきしんじ」と読みます)に凝縮されて示されていると思っています。『日月神示』をご存じない方は、中矢伸一氏の一連の著作を読んでみてください。ネット検索すればたくさんヒットします。『すずめの戸締まり』の中におけるセリフや考え方は『日月神示』の内容と重なる部分が多く、また一霊四魂という神道の鍵となる精神が表れていると思ってます。
新海誠監督が『日月神示』などを読んだことがあるのかは不明ですが、日本列島の根源に息づく神性を感じ取って映画に取り入れていると思われます。

『日月神示』と似ている点をいくつか


ここでは、『すずめの戸締まり』を観ていて『日月神示』に示されていることと似ているなぁと感じた点をいくつか挙げていきます。なお、ここで挙げているセリフや文章は、基本的に『 新海誠監督作品 すずめの戸締まり 公式ビジュアルガイド』(角川書店、2023年)、中矢伸一『神仕組み日月神示完全ガイド&アップデート』(徳間書店、2022年)からの引用です。『すずめの戸締まり』の方は一部、私の記憶からのものも含まれるので、正確ではないかもしれません。ちなみに『すずめの戸締まり』はドハマりしてしまい、映画館で13回観ました(執筆日現在)。

以下はネタバレあります。

「かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ 遠つ御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ」ではじまる宗像草太が唱える祝詞(?)からして、神道的です。産土とは地元の神様のことです。それと「ひみず」を引用元や映画のパンフレット、小説などでは「日不見」と文字をあてています。そういう読み方もできますが、「ひふみ」と読むことも可能です。『日月神事』は「ひふみ」「ひふみ神示」と呼ばれることもありますが、偶然の一致なんでしょうか。
宗像草太の苗字は「宗像大社」を連想させますし、ヒロインの岩戸鈴芽の苗字は天岩戸伝説の「岩戸神社」「天岩戸神社」を連想させます。ちなみに「天岩戸神社」は各地にあり、宮崎県高千穂町にも鎮座しています。鈴芽が宮崎県から戸締まりの旅をスタートしているのは象徴的です。
以下は『すずめの戸締まり』のセリフと『日月神示』の啓示だけを記しますが、似ていると思いませんか。どうでしょう。なお、『すずめの戸締まり』のセリフがどんな場面のものかの解説は省かせていただきます。

「大事な仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」『すずめの戸締まり』
「人に知れんように善いことつとめと申してあろうが。人に知れんようにする善いこと、神心ぞ。神のしたことになるのざぞ。」(『夜明けの巻』第7帖)『日月神示』

「ひとがいっぱい死ぬね」「繰り返すね」『すずめの戸締まり』
「戦は一度おさまるように見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ」(『富士の巻』第26帖)『日月神示』
「同じこと二度繰り返す仕組みざぞ」(『雨の巻』第14帖)『日月神示』

「ひとのてで、もとにもどして」『すずめの戸締まり』
「神人共にと申してあろが。神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ。」(『夜明けの巻』第1帖)『日月神示』

「私、忘れてた。大事なものは、ずっと前に、もう全部もらってたんだ」『すずめの戸締まり』
「神はあり余るほど与えてあるでないか。何故、手を出さんのぢゃ。」(『春の巻』第53帖)『日月神示』

他にも色々ありますが、今回はこの辺で。

小すずめに語り掛ける鈴芽の場面は一霊四魂

神道には一霊四魂という考え方があります。神や人には和魂(にきみたま)、荒魂(あらみたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)の四魂とそれらをコントロールする「直霊」(なおひ)があるとされます。大きな神社では荒魂を分けて祀っていることもよく見受けられます。
余談ですが、伊勢神宮の内宮第一の別宮「荒祭宮」は天照大御神の荒魂を祀っていますが、それはユダヤ教の唯一神ヤーヴェであるとの説もあります。
さて、古事記の大国主命(以下、オオクニヌシ)の神話では、国造りを少名毘古那神(以下、スクナヒコナ)と行います。スクナヒコナとのオオクニヌシの国造りは順調でしたが、その途上でスクナヒコナは常世の国(『すずめの戸締まり』の後ろ戸の向こうにある世界と同一です)に行ってしまいます。
オオクニヌシが国造りの今後について途方に暮れて海を眺めていると、彼方から神があらわれます。それは幸魂奇魂である大物主神であり、いわばオオクニヌシ本人の一面です。つまりは本人が本人を救うことを象徴しているシーンです。
不二龍彦『夢開運-成功・不成功は、眠っている間に決定される!!-』(学研、1988年)では、この場面を心理学等でいうセルフ=自分自身との対面・統合と解釈しています。キリスト教ではイエス、仏教では釈尊、イスラム教ではムハンマドなどの外部の具体的な理想像がありますが、神道はそうした外部の理想像は存在しない。なんなれば自分自身が神と融合し得る存在であり、それが神道の素晴らしいところであると解説してます。なお、あくまでこの部分は私が不二龍彦氏の著作から読み取ったものであり、不二龍彦氏自身の見解とはズレがある可能性もあります。
いずれにしても、『すずめの戸締まり』で小すずめに鈴芽が語り掛ける場面は、自分のことは最終的には自分で救うということであり、一霊四魂が無事統合されたということと通じると思います。
「私はね…すずめの、明日!」
というセリフは感動しました。ついでながら岩戸鈴芽のCVである原菜乃華さんの声は凄く良いですよね。

まとめ


『君の名は。』以降の新海誠監督の3作品は、災害三部作などとも呼ばれ始めています。いずれも自然災害が底流にあるのですが、これらの三部作は神道の発想が根底に流れているともいえると思います。私自身は、特に『日月神示』と相通じる部分が多いなぁと観るたびに感じてました。
ただ、それらを全て抜きにして、単純に面白い!!『すずめの戸締まり』という映画全体から凄い熱量が伝わってきます。

なお、これらは全て私の個人的な思いであり、所属する組織とは関係なく、また『日月神事』を良く知る方々の見解とは異なる可能性があります。それと引用については誤りがないかチェックしてますが、チェック漏れがあるかもしれません。その場合は、ご指摘いただけると助かります。

2023年4月16日投稿、4月17日一部更新
中里幸聖

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