ソフトウェアの「インフラ化」と向き合う

「コンピュータソフトウェア」巻頭言,2014年2月号,
日本ソフトウェア科学会,岩波書店

今を遡る約20年前,1995年は特別な年であった.Windows 95が発売され,大型電器量販店前で行列を作ってその発売を待つ人々の姿がニュース番組で大きく取り上げられた.この年はプログラミング言語Javaが発表された年であり,また,我が国発のプログラミング言語Rubyが発表された年でもある.この年に生まれた子供達が大学生となる年頃となった今から振り返れば,この頃が,ソフトウェアが時代の花形だった最盛期なのかもしれない.

今日,ソフトウェアは「インフラ化」し,あって当たり前のものになった.ソフトウェアは店頭で買うものではなく,まして行列を作って買うものではない.パソコンやスマホを買えば,必要なものはすべてその中に入っているか,ネットワーク経由で入手できる.スマホやタブレット等の,新しい形態のコンピュータが増え,真に一人一台,いやそれ以上の時代が到来した.こういう時代においては,ソフトウェアはユーザの目に止まることが重要で,そのためには,ダウンロード数が指標となり,ソフトウェアの無料化・低価格化が進行する.さらに近年,一般化したクラウドコンピューティングが,ソフトウェアを見えにくくすることに拍車を掛けている.ネットからダウンロードしたアイコンをダブルクリックないしタップしたとき,それがアプリケーション起動なのか,指定URLへのブラウザアクセスなのか,もはやユーザの関心事ではない.

インフラ化したものは見えにくくなる.これは成熟した技術が辿る宿命である.電気,電話,自動車,飛行機等,いずれも初めて世に登場したときは,時代の花形と持てはやされたテクノロジーであろうが,成熟期を迎えると,あって当たり前の,空気のような存在になっていく.

このような現代においても,コンピュータを動かしているのはソフトウェアに違いなく,今後もソフトウェアの技術発展には優秀な人材が必要であることは変わりない.ソフトウェアが「見えにくく」なった今,その重要性と魅力をどうやって若い人や子供達にアピールしていったらいいだろう?

ソフトウェアの生産性が大きく向上した現在,より重要になったのは,ソフトウェアをデザインするという観点である.あなたが欲しかったものはこんなものではありませんか,あるいは,私はこういうものが欲しかったのですが,あなたのお役にも立ちませんか,と示してくれるソフトウェア・デザイナー.いや,ソフトウェアだけでなく,ネットワーク,センサー等のさまざまなハードウェアを組み合わせたシステムデザイナー,あるいは,システム建築家か.

服飾や建築の分野で,すべての人々がデザイナーや建築家になる訳ではなくとも,それら分野の仕事に携わる人々は,そのデザインを意識し,また,自分が果たすべき役割に誇りを持っているはずである.そしてデザインは,大局的なところから,細部に至るまで,さまざまなレベルで存在し,競われている.

ソフトウエアの世界においても,「成熟の中での前進」を意識することが重要になったように思う.

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