負の感情でやる気を出すのをやめたい話

コンプレックスや嫉妬心のような負の感情をエネルギーの源にしている限り、いつまでたっても足のつかないプールでジタバタしているような息苦しさから抜け出せない。それはヘルシーじゃない。

「あの人を見返したい」

「あいつにだけは負けたくない」

自分自身、10代・20代は負の感情をモチベーションにここまで走ってきた。ずっと満たされない何かを満たしたいがために努力してきた。

しかし、20代も終わりに近づいた今、そのエネルギーの出し方はかっこいいとは言えない。無理やり仮想敵を作って自分をモチベートする、というやり方もあるが、一旦終わりにしたいと思うようになった。

世界認識は、直線から円環へ

そんな時、なんとなく読んでいた哲学用語図鑑という本の中でニーチェの「永劫回帰」の考え方が解説されていた。

石ころを掴んで、地面にばらまく行為をなんども繰り返せば、いつかは全く同じ形で地面に配置される。この行為を無限回繰り返せば、何度も同じ配置になるはず。ところで、原子は100種類ほどあると言われていますが、すべての物質はその組み合わせによるものです。私たちの世界は原子の組み合わせでできています。物事が変化する前後で原子の種類と数は変化せず、時間は無限だと考えると、先ほどの石ころの例のように、私たちが今生きている世界と全く同じ原子の組み合わせは、無限の時間の中で、今後何度も回ってくるし、過去に何度も繰り返されていたことになります。このように考えると時間は円環運動をしていることになり、歴史に進歩や前進はなく、ただ変化のみが存在するのです。ニーチェはこれを永劫回帰と呼びました。(哲学用語図鑑P214−215より引用)

当時、キリスト教やヘーゲルの歴史の考え方は、スタート地点があってユートピア的なゴール地点があり、歴史はその理想に向かって直線的に進歩しているという考え方だった。

それに対して、ニーチェは時間を円環として捉え、すべては巡り、進歩や退化という概念はなく、ただ変化のみが存在してると考えた。

うろ覚えだが、村上春樹の「回転木馬のデッドヒート」の中で似たような言説があった気がしている。みんな、同じところをぐるぐると回っているのに気づかずに一生懸命走り続けている、と。

個人的にもこの世界認識は直感的にしっくりくるところが多く、そうして世界をとらえ直してみることにした。

永劫回帰的世界との付き合い方

円環的世界認識においては、相対的な比較は不可能になる。円環の上にいる僕たちを、直線のものさしで比較することはできない。

そういう世界認識をした時、世界に対する向き合い方は2種類ある、とニーチェはいう。

「超人」と「末人」だ。

永劫回帰の世界において、人は目標に向けて生きる力を失い、だらだらと毎日を生きることを求めるようになる(末人)とニーチェはいう。それでもニーチェは永劫回帰を肯定している。なぜなら、既存の価値観に囚われずに自分自身で自由に目標を定めることができるからだ。
ニーチェは永劫回帰を「これが生きるということか。ならばもう一度」と肯定的に受け入れ(運命愛)、既存の価値に囚われずに新しい価値を生み出す人間を超人と呼んだ。彼にとって超人とは真の意味で自由な存在だ。
ニーチェによると超人は、奴隷道徳に捉われている人たちから初めは理解されないが、奇想天外なアイデアで既存の価値を失った重苦しいニヒリズムの世界に風穴をあける。そして、次に訪れるルサンチマンの存在しない世界で超人たちは子供のように無邪気に楽しく生きることができる。

結果として訪れる世界は「一人一人自分だけの価値を持っている」世界であり、まさに多様性の時代だ。

この話は、答えがある時代は終わり、答えのない時代になった現代をまさに言い表している。

納得できる価値基準をみんなが欲している。だから、世界認識と価値基準を提供している人にフォロワーが生まれている。

ある意味、宗教に近いのだけれど、それは所謂宗教的な形では現れない。それはコミュニティという形で現れると思っているのだけれど、それを語ると長くなるので別のノートで。

30代は、自分自身がモチベートされる自分なりのゴールを規定して、そこに向かって走りたい。


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最近痔になり手術代が40万かかりました。

ありがたき幸せ・・・
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