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見晴らしの良い瀟洒な別荘(温泉つき)

父が松本に来る少し前、
穂高の町に北アルプス標高1400メートルの山の上から
温泉を引いてくる引湯菅の建設が始まった。

何回も頓挫している計画で、
まだみんながこわごわ様子をうかがってるような時に、
「センセ、温泉つきの別荘なんてどうだぃ」
と声をかけにきた人がいて、
気のいい和田先生は
「しもてはごちゃっと家がたたるで、
 ぱーっとひらけたとこがいいに?」
(下の方はごちゃごちゃ家が建つから、
 ぱーっと拓けているところがいいと思いませんか?)
などと言われるがままに、
少し山を登ったところの土地と温泉の権利を買ってしまった。

確かに外れにあるその土地は、
静かでのんびりできる。
が、
ここいいわぁとうっとり出来るのは、
道路ができて、車で簡単に登れる現代だから。
 今の「穂高温泉郷」が出来る前の時代、
そこへたどり着く道はただの未舗装の登山道だった…

松本から気軽には行けないところではあったのだけど、
特急あずさの運行が始まったのもこの頃で、
戦前は関東で暮らしていた和田家には
少しずつ懐かしい人たちが訪ねて来るようになっていた。

せっかく信州に来るんだから、
山でゆっくりしてもらいたいよね、と
簡素な造りだったこの山の中腹の小屋に
少し手を入れることになったのが、
父が入り浸り出した頃。

小さな和室とキッチン、お風呂だけの小屋は
女性ばかりで男手は和田先生ひとりという和田家の状況から
「女の園」と名付けられ、
来客に開放されることになった。

さて、お客さんがしばらく滞在するということは、
数日暮らせるだけの家財道具が必要になる。
適宜食料なども必要になる。
山に慣れていない都会の人がたどりつくには
案内&荷物持ちが出来る人もいた方がいいだろう。
しかし、ここは「女の園」。
和田先生には診療がある。

じっと集まる視線を受けて、
父は静かに大きな荷物を背負い、
山への一歩を踏み出した…
そして山登りは、冬になり、お客さんが途切れるまで続くことになる…

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