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必ず行くように。

先輩から後輩へ
ひそやかに受け継がれていく類のバイトがある。
まかないがついていて、シフトがわりとゆるく、店長がそんなにうるさくない…
ドカンとは稼げないけど、
ふらっと姿をくらましても
数ヶ月後にはエヘヘと笑いながら顔を出せるような、
そういうバイト先は求人誌には載らず、
卒論やら彼女やらで忙しくなった先輩から、後輩へ、伝統のように譲られる。

空手部にもそういう伝統のバイトがあり、
ポコっと空いた一枠が、ある日木村さんのところに転がってきた。
たまたまイソガシかった木村さんは父にパス。
まだまだ物もなく、学生がみんなお腹を空かせていた時代、
用もないのに好条件のバイトを蹴るバカはいない。
木村さんとしてはまったくの善意で、
下宿に引きこもりがちな友人にこのチャンスを譲ってくれたのだろうと思う。

が、
極度の人見知りで、どうしようもないうちの父は、
「バイトなんかするくらいなら
 三食水飲んで布団にくるまってる方がいい」
とまで言って嫌がったらしい。
つける薬がない。
かわいくない。
私だったらそんな偏屈は放っておいて
とっとと別の人に声をかけるね、と思うけど、
そういう情のないことをしないのが木村さんで。
コイツ、このままじゃいかん。
と思った勢いのまま先方へ出向き、
父の氏名と下宿と学科を伝え、初日の来訪時間をきっちり決め、
とって返して
「必ず行くように。」
と壁に張り紙までして帰ったらしい。
…情に厚い人の好意を無下にすると、こういう目にあう。

友人相手でも口では言い返せないのが
話下手のつらいところで、
まさか自ら赴いて断る事など出来ず、
「本当に、本当に嫌だった」
というバイト先へ、
父はきっちり約束の時間に向かうことになる。

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