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風をみつめる

大人になるまで
ずっと大きな川のそばで暮らしていた。
歩いていくと視界は堤防で区切られ、
堤防を越えた先には海まで突き抜けるような流れがあるのが
私の「普通」だった。
堤防の上はいつも風が強くて、長く留まっていられない。
これも、私の普通。

すこしだけここを離れて、
すこしだけ、違う「普通」を知って、
また同じ川のそばで暮らしている。
渋滞につかまって、橋の上からぼーっと眺める川は、
水の量を変え、流れを変え、植物を運び、生き物を住まわせ、
でも、そんなことはささいなことだという顔をして流れている。

移動は車が当たり前で、
頬や髪で風を感じることが減ってしまったので、
風の見える景色が特に好きになった。
たとえば春、
麦の穂がまっすぐ伸びて頭をそろえる頃。
堤防から強い風が吹き下ろすと、
いっせいに麦が揺れ、麦畑に風の通り道が見える。
畔には芝桜、遠くに白山。
菜の花が咲いて、
太陽の光を水路の水が照り返す。
麦の穂が鳴らすザァーっという音を、
窓を開けなくても耳が聴いている。

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たとえば夏、
河原で上がっている花火が、
風に流されて形を変える。
すこし遅れて
火薬の匂いと
何を言っているのかは聞き取れない拡声機のアナウンスが家まで運ばれてきて、
次の花火の
ドンという音にかき消される。
大きく、力強く上がった花火は、
パッとひとときだけ形を残して、また風に流されていく。

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秋の落ち葉を巻き上げ、冬の吹雪を吹きつける、
寒い時期に見える風は荒々しく、
あまり歓迎したくはないけれど、
その美しさにはぐっと喉がつまる。

風の見える景色が好きだ。
何もない田舎だけれど、
大きな川と吹き抜ける風、
私のふるさとは、なんて美しいところなんだろうと思う。
すこしずつ、すこしずつ変わっていくこの街で
変わらず風を見ていられたら、
それはしあわせなことなのかもしれない。

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