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のこすこと

いとこが死んでしまった。
ホスピスで息を引きとったので、
元気になることはないとわかっていたけれど、
あー、本当にこの日が来るんだな。
という置きどころのわからない気持ちがある。

年がけっこう離れているので、子どもの頃の思い出はあまりなくって。
叔父の一家は、入院するような病気の時は
我が家の近くの病院に来るのが慣例になっていたので、
時々顔を合わせていたけれど、そういう時は誰かの具合が悪い時だったわけで。
改めてのんびりお互いの近況報告をする機会もなく、
これといった交流もないままあっさりこの日を迎えてしまった。
いつも通りすぐ行ける距離の病院に入院していたのに、
コロナ禍の真っ只中で顔を見にも行ってない。

意識がなくなったのが1カ月ほど前で、
その時からぼんやり感じてはいたのだけれど、
こんなに薄いつながりのはずなのに、なぜかすごく悲しい。
旅支度をされた顔が整っていて、綺麗で、若くて、
「イイ男になってるね」
と泣く親戚を私は後ろから眺めていただけで、
なのに、夜寝つけないほどショックだった。
車で3時間近くかかる叔父宅に何日も連続で通うのはしんどいし、
平日の家族葬だったので、
日曜日に叔父の家で最後のお別れをして、通夜も葬式も出ないよ
と先もって親戚に断っていたのに
けっきょく通夜の会場に足が向いていた。

道中は何かをひっくり返したような大雨で、
水溜まりになった高速道路をのろのろ走りながら
ずっと悲しかった。
何がこんなに悲しいんだろう。
よく言えば飾り気のない、
バサッとした感じのいとこのことは、
別に嫌いじゃないけれど、すごく親しみを感じていたわけでもなかった。
10歳以上年下の私から見ても
生きづらそうな性格をしていて、
同じように不器用なうちの父が
「あいつ、ひとりで都会に出て、ちゃんと仕事できてるんやろうか」と
心底心配していているのを知ってから知らずか
たまに父を訪ねてきてわーわー話す仕事の話を、
私はいつもふぅんと思いながら聞いていた。
とりつくろうということをあまりしない人で、
「こわい」「いやだ」「うえー」
と、すっかりいいおっさんになってからも平気ですぐ口にしていて、
純粋で、変なところでものすごくリアリストで、
わがままなくせに、どこか何もかも全部を赦しているようなところがあって。
キレる若者の代名詞みたいな思春期を長く引きずっていたくせに、
そういえば、怒っているのを見たのはもうだいぶ前だなぁ。
叔母の臨終の時、駆けつけてくるのを待って延命していたら、
「かあちゃんはこんなに苦しんでいるのに、なんで俺を待った。
 一秒でもはやく楽になれればよかったのに」
って。
あーあ、よりによっておんなじホスピスで、
叔母さんより若く死ぬことはないんじゃないの?
通夜の席について、わっと声をあげて泣く家族を見て、
心がもっと「悲しい」で支配されていく。
じわっと涙が出る。

お寺をついだばかりという
いとことほとんど年の変わらないお坊さんのあげるお経はぎこちなく硬くて、
でも聴き慣れた田舎の調子が確かにあって、
熱心な浄土真宗の門徒だった祖母のことが頭をよぎる。
誕生日プレゼントが数珠と経本だったりしたもんなぁ。
そうそう、おばあちゃんは、
こういう時には唱和するのが供養だって言ってたわ。
と思い出して、忘れかけているお経をなんとなくで一緒に唱えだすと、
ぽかんと頭がカラになる。
カラになった頭で遺影を見上げると、
最初のところへ頭が戻る。
で、なんでこんなにかなしいんだっけ。

とにかく仕事がしたいと言っていて、
意識を手放す本当にギリギリまで仕事をしていた。
亡くなるほんの数ヶ月前にデカい賞に名前を連ねて、
記憶に障害が起こるタイプの病気だったので
その頃には自分が応募したことすら覚えてなかったけど、
それでもいくつかの仕事を進めていた。
2年、まではいかないかなという期間の闘病。
出社できる状態ではなかったのに、
退職せずに仕事を続けられたということが、
案外めったにないことだと思うので、
認めてくれた会社も、認められるだけのことをしてきたいとこも、
どっちも本当にすごいと思う。
早いけれど、生き切ったと、言える人生なんじゃないだろうか。
外野の意見で申し訳ないけれど、
内野に入れるほど私はいとこを知らない。

「あなたが亡くなって私、今とても悲しいんです」
そう言ったら、遺影の人は、
「え?お…おう」
とでも言うだろうな。
心底不思議そうな顔で。
縁ある人を亡くすのは確かに悲しいことだけど、
ドラマを見るように悲しむことは、
その人の死を悼むこととは違うよね。
長い読経の間にそんなことをつらつら考えていて、
考えがまとまったタイミングで白骨の御文章が始まって、
緻密に作り上げられたお通夜の段取りにちょっと感心してしまう。
こういう心境の時に、わかりやすい言葉で
人の生涯は儚いから阿弥陀仏を恃んで念仏申せと説かれたら、
南無阿弥陀と唱えてしまうよなぁ。
あなかしこあなかしこ

お通夜が終わっても残ってくれた人たちが、
にぎやかに思い出を話してくれていて、
ああ、いい人たちに囲まれていたんだな。
とかみしめて
帰り支度をして、
最後の挨拶に行く。
前の晩と変わらない、綺麗な顔で寝ているものだと思って
気合いを入れ直して顔を見たら、
不器用なうちの父が持ってお棺に入れたという
頭はぐにゃっとかしいでいて、
心ある人たちになでまわされたせいか
口がぽかんとあいている。
髭もちょっとのびてきていて、
「かっちゃんあなた、
 息が止まっちゃってもしょきんとしとれんのねぇ」
と、心の中で笑っちゃって出てきた涙のぶんくらいは、
私たちはつながっていたんだと思う。
かなしい。さみしい。
でも、しっかり愛されて、認められていたことを知れたから、
心はカラッとしている。
どうぞ安らかに。さようなら。

わざわざ人の目に触れるところに書くようなことでもなくて、
個人的にぼやっと思ったことなのだけど、
「作品」が残るタイプの仕事をしていたいとこの周りには、
本人が口に出さなかった断片がたくさん落ちていて、
形で残すことは大切なことだなぁと
改めて感じたので書き留めてみました。
おつきあいいただき、ありがとうございます。

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