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高校では演劇部に入ったらしい。

修学旅行は後楽園だった。

例年東京ディズニーランドだったのだけれど、
地下鉄でテロが起きたり、神戸で連続殺人が起きたりしていた
きな臭い時期であったわたしの学年の修学旅行は
直前で急遽後楽園ゆうえんち及び東京ドームでの野球観戦に変更になった。
ディズニーランドを心から楽しみにして、
センパイたちから脈々と情報収集してきた
田舎の中学生にとっては大変な衝撃で、
学年全体が沈み込み、納得できないとブーブー騒いでいる中、
同じクラスのサトウ(仮名)くんだけは満面の笑みを浮かべていた。
サトウ(仮)は熱烈な巨人ファンであった。

ドームで行われる巨人×ヤクルト戦のすばらしさについて
熱く語るサトウ(仮)の姿は日常の一部となり、
善良な田舎の中学生たちは
野球観戦を大っぴらにけなすことすら封じられ、
しかし、
ディズニーランドへの憧れをだいぶ引きずったまま修学旅行への準備を進めた。

急遽野球観戦に切り替わった弊害は
旅行の段取りにもうっすらと影を落とし、
我が中学校のために旅行社がまとまって確保できた座席は
たしかレフト側に50席、ライト側に150席だったと思う。
1学年6クラス、引率を含めて1クラス40名くらいだったので、
総勢240名弱の修学旅行で、
まとまって確保できた座席は200。
3年6組だったわたしたち40名は席にあぶれ、
結局どこに座るか知らされないまま
修学旅行は始まった。

昔のことなので、
細かいことは覚えていないけれど、
あいにくの大雨で、
屋内を走るジェットコースター以外の乗り物が全て運休になった後楽園ゆうえんちで、
その唯一稼働していたジェットコースターだけを
回し車を回し続けるネズミのように鬼リピートしている同級生を
眺めていたことは強烈に記憶に残っている。
ディズニーランドへの思慕はつのり
まったく盛り上がらない遊園地の後、
蒸し暑い東京ドームへ詰め込まれた我々は、
固まって観戦している他のクラスを遠くに眺めながら、
5人ずつくらいでバラバラに
レフト側よりもっと三塁よりの外野席に座ることになった。
東京ドームの、
3塁方向の外野席。
そう。
そこは
ビジターチーム応援席。
ヤクルトを愛する熱いファンの集う場所だった。


余談になるけれど、
校長音楽教師、担任音楽教師の我がクラスは、
その年、全国規模の研究会で授業を公開する予定になっていた。
我々生徒は知らなかったけれど、
思い返せば妙に音楽特化のクラス編成で、
女子は吹奏楽部のコンクール入賞者と
合唱部の各パートリーダーが勢揃いし、
学年で1番上手な伴奏者が組み込まれ、
男子は合唱コンクールのたびに燦然と輝きを放つ学年随一の指揮者と、
合唱部に負けないような声が出る賑やかなメンバーが招集されていた。
他クラスとの成績差を埋めるように
周囲に左右されないマイペースな秀才が数名と、
個性豊かなクラスメイトを制御できる
人柄に優れた真の優等生が数名配置され、
学級委員長がずっと
「胃が痛い…」とつぶやいている。
それがわたしのクラスだった。
閑話休題。


長嶋監督に松井に清原、仁志に川相に投手が入来弟だったかなぁ。
スワローズは野村監督に古田に稲葉に池山がいて、宮本慎也がまだ若手だった。
思い出すとすごいメンバーの野球を生で観たんだなぁと、
びっくりするけれど、
メンバーが華やかでも試合が華やかになるとは限らないのが
スポーツのおもしろいところで、
両チームとも得点の気配のしない地味な試合だった。
ホームランはもちろん、3塁側にはファールボールすら飛ばなかったはずだ。
投手戦が熱かったわけでもなかったから、
慣れない旅行で疲れきっていたわたしは、
終始うとうととしていたんだと思う。

わたしよりもさらにずっと後ろの席が割り当てられた
サトウ(仮)は声の大きな男だった。
声変わりはしていたけれど、
高く、よく響く声をしていて、
あの広い東京ドームでも
はっきりと彼だとわかる声で、
熱心に巨人の応援をしていた。
巨人の攻撃のたびに響く、よく知った声にたまに意識が覚醒して、
ああ、まだ5回か…などと思ったことを覚えている。
球場が暑くて、消耗していて、
「そろそろ帰るから準備してー」
と学級委員長が呼びにきた時には
かなり深く寝入っていた。
寝ぼけた頭で
「そういえばサトウ(仮)静かだね」
とクラスメイトに声をかけたら、
委員長がげっそりした顔で
「怒られたんだよ」
と教えてくれた。

時は1997年。
野村再生工場が活気づいていたあのシーズン、
ヤクルトは巨人にめっぽう強かった。
勝つぞー!という気持ちで観戦にきた応援席で、
しょっぱい試合を見せつけられ、
あまつさえ、ビジター応援席のはずなのに
なぜかホームチームを熱烈に応援する奴がいて、
その声が無視できないくらい大きかったら、
不快指数はなかなかのものだろうと思う。
点でも入れば少しは気も紛れただろうに、
こう着状態が続いていて、
味方の応援は少しずつ勢いを失っていくのに、
夢の東京ドーム!初観戦!のハイテンションで
ずっと相手チームの応援をし続ける異分子には、
きっとけっこうなヘイトが集まっていたことと思う。
アルコールが入っている人もいて、
雰囲気がものすごく悪くなっているのを見かねた良識ある人が、
少し声を抑えられないかと声をかけてくれたのを、
テンションが上がりきっているサトウ(仮)が断ったのをきっかけに、
周りの大人が立ち上がって取り囲むような事態になり、
それに気づいた委員長が担任を呼びに行って
なんとか担任が場を収めたらしい。
そんなことがあっても
まだ大声を張り上げようとするるサトウ(仮)を
担任と委員長がふたりがかりでとりおさえていたそうな。
学級委員長というのは、なんて大変な役職なんだろうか。

当のサトウ(仮)はことの大変さをまったく感知しておらず、
まだ応援したい!帰らない!
と駄々をこねるのを無理くりバスに詰め込んだところで
清原が特大のホームランを放って、
その日の試合は巨人の勝利で終わった。
清原のホームランを見れなかったショックで呆然とするサトウ(仮)と、
ひと仕事終えて疲れ果て、死んだように眠る委員長のツーショットで
わたしの修学旅行の記憶は途切れている。
たのしいことはいろいろあったのだろうけど、
野球観戦のインパクトが強すぎて何も思い出せない。

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