アニメーターとイラストレーターの決定的な違い

昔、IEのバージョンの問題で記事が書けず、メインブログからリンクを貼って投稿した事ありましたが、ちょっとした切っ掛けで思い立ったので、こちらにも記事として再投稿します。

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先日「会社に依存する事で起こる障害 」という記事を書きましたが、
その記事の中で少し触れたアニメーターとイラストレーターの話について書こうと思います。

まず、意外とアニメスタジオには、イラストレーターになりたいとか、
アニメーターが儲かると思って来る人が多いです。
私もそういう人を何人も見て来ましたが、これは大きな間違いです。

日本においてはアニメーターは全く儲かる仕事ではありません。 (極々一部の天才を除いて。)
漫画家じゃないのです。
勿論、儲かる儲からないの話ではないのですが、
ただもしもそこに期待したいのであれば、漫画家を目指しましょう。
アニメーターは最初の内は全く食べて行けません。
原画マンとしてある程度使えるようになって来て、ようやく取り敢えず食べて行けるかな…程度です。

ここで一つ疑問があると思いますので簡単に説明しておきますが、
前回記事で書いた通り、アニメーターを社員で抱えている所は稀有です。
しかし作画監督クラスのアニメーターでなければフリーで食べて行く事は不可能です。(アニメだけでは)
そこでよくある形が、スタジオ付きの原画マンたちです。

実際にそれぞれ雇用契約が違う場合もあるので単には言えないのですが、
基本的にフリーでありながら、特定のスタジオ内に自分の作画机を用意して貰い、
作業は自宅かそのスタジオ内でするという原画マンです。
なので通常アニメスタジオには作画机が用意してあって、
作品の状況により空席だったり誰か外の人間が座っていたりするのです。

原画マンはその作品が終わるまでは基本的に拘束され他の作品に携われないというケースや、
明確に言われなくとも圧力的に携われないというケースもあったり、
何れにしてもスタジオからすればカット単価で雇っておきながら社員的に使うメリットがあり、
また原画マンからすれば自分から営業して行かなくても、
そのスタジオからコンスタントに仕事を落として貰えるというメリットがあります。

実際に私がいたスタジオでも、常に仕事を生活に困らない手取りになる量与えるという約束の下、
作画監督クラスのアニメーターを一人カット単価で拘束していました。
ただその方は描ける方だったので作画監督としての監督料もプラスされ、
その方自身のメリットの方が大きかったと思います。(当時は)
ここまではアニメーターの話ですね。
まず一番理解して欲しい所は、アニメスタジオはあくまで、“ アニメを作るスタジオ ” であって、
イラストの様な単発の仕事は基本的に入って来ません。
イラストをやりたいとかイラストレーターになりたいと思って、好きなアニメ的な絵が描けるからと、
取り敢えず感覚でアニメスタジオに来るのは間違いです。
アニメーターとイラストレーターではそもそも求められる役割が全く違うのです。
両者の決定的で重要な違いは、

アニメーターは、“ 絵を動かす事を求められる ” 従って、 “ 動きを付けられなければならない ”
のに対し、
イラストレーターは、“ 静止画を求められる ” 従って、 “ 絵が上手くなければならない ”
という根本的な大きな差があります。

言ってしまえば、
アニメーターはキャラクターが多少崩れたとしても、
絵の動きが違和感なくスムーズに表現出来れば良く、

イラストレーターは止め絵(一枚絵)であり、動きは付けられなくても全く問題ないですが、
キャラクターが崩れる事を許されません。
現代の日本のアニメスタジオにおいて、
原画マンをやっているアニメーターで絵が上手い人なんてほとんどいません。
これは以前別記事にも書きましたが、作画監督クラスの人からようやく上手いな…と感じるレベルです。
その一因になっているのが、今では当たり前の「総作監制」のアニメの造り方です。
全カットの重要キャラクターのほぼ全てを、総作画監督が綺麗に修正して仕上げて行く制作法です。

だからある程度動きを付けといてくれれば、後は顔とかスタイルはこっちで修正するから良いよ。
っていう感じ。
それだと総作画監督の負担が大きくスケジュールが辛くなって来るので、
作画監督や作画監督補佐がいるという具合です。
ではこの人たちは何をするのか?ですが、
あくまで一例ですが、
作画監督補佐がまず動きに修正を入れておきます。
ある程度動きがちゃんとしたのを更に補修と顔を綺麗にするのが作画監督で、
最後に顔だけ修正するのが総作画監督です。
因みに大抵の場合、というかほとんどの場合、
そのアニメ作品のキャラクターデザインを行っているのがこの総作画監督です。
つまりそのキャラクターを作った本人ですから、完璧な顔に仕上がる訳です。

そしてこのキャラクターデザインというのは、大体がオリジナルを作ったという意味でもありません。
原作がある場合は当然作者か若しくはその原作に元々キャラクターを付けた作画担当がいます。
その原作の絵をアニメ化するのに相応しい形に、アニメ用にキャラクターをデザインし直すのが、
アニメにおけるキャラクターデザインです。

イラストレーターというのは、
自分の絵を売って行くという意味で、止め絵を創作する力を求められる訳ですから、
この総作画監督がやっている、或は元々の原作にある本当の意味でオリジナルの
“ キャラクターデザイン ” が出来なくてはいけません。

つまり単純な画力的な話で言えば、
アニメにおける総作画監督クラスの実力が無ければ、イラストレーターとしては使えません。

もう一つ重要な点ですが、
根本的に違うアニメーターとイラストレーターでも、「絵」として考えた時に、
押さえておかなければならない共通する部分もあります。
それが私がいつも言っている
「構図」 と 「パース」 です。
そしてもう一つが、 「人体の構造を追及しておく事」 です。 (人を描く場合)
これがしっかりしていない事には、絵としてそもそも破綻してしまうからです。
意識しておきたいポイントを簡単に言っておきます。

アニメーターは “ 役者でなければならない ”
キャラクターを動かす為に動きを追求する。

イラストレーターは “ 描き切れなければならない ”
兎に角「絵」として格好良く描く事を追及する。

昔、「黒執事」というアニメ作品の制作協力をした時の話です。
向こうの作画は9割型 絵(キャラクター)を売っている大ヒットアニメ制作陣の完全なプロ集団、
キャラクター崩れはあり得ないし、動きもクオリティーが要求されている訳です。
(まぁ、向こうの制作は使えない超低レベルでしたが。笑)
私のスタジオのダメ原画マン(上記記事参照)のカットが作監修後に戻って来たのを見て、
内容を確認した時にその作監のチェックを見て本当に感心しました。
うちの原画マンに対し、
「これでは人間の動きになっていません。 フレーム内で見えている上半身だけでなく、
切れて見えない足元がどうなっているのか考えて動きを付けて行った方が良いですよ。」 と、
とても優しい言葉が書いてありました。 素晴らしいメッセージだな…と。
人格者の言葉でした。

ここがアニメ業界で売れる作品を作っているアニメーターと、
平々凡々と日々適当に過ごしている三流以下アニメーターとの違いです。

“ 見えていない所に注目する目 ”
アニメーターにしてもイラストレーターにしてもこれがとても重要です。

アニメーターは動き、イラストレーターは止め、と言いましたが、
最終的には、どちらも当然「絵」が上手くなければならないという事ではあるのですが、
但し、ここで一つだけイラストレーター特有なのは、先程も述べたように、
イラストは動かす事を求められていませんから、絵が下手な事がその人の個性として評価になれば、
それは作品として通用するという特徴があります。

「下手な事が売りになる」というか、それそのものが “ 作風 ” として認められるという事です。
要するに、美術史で昔からずっと続く「画家」のライン上に存在するのです。

しかしこれもまた別の記事に書いていますが、「型破り」と「形無し」は違うのです。
「ピカソ」 や 「ムンク」 のように、最終的に求めた画風が皆が良く知るあの形であったという事で、
彼らが元々描いていた絵は、誰が見ても「上手い」と思えるようなアカデミックなものもあるのです。

どんなものでもそうですが、先ず、基礎をしっかり勉強し固めて、
それから自分の作風を追及して行くという方が、後々強いのは間違いありません。
私はそのやり方をお勧めしています。
現在活動していませんが、エル・エー・プロジェクトを立ち上げ当初一緒に参加していた
うちのイラストレーターである「森木二羽」は、はっきり言って外注出来る程の実力はありませんが、
そこを私が教えながら一緒に育つ事で少しずつ形にして行こうという始まりでした。
その中で、森木の絵でも良いと言ってくれる人が一人でもいたら、受けようと。
残念ながら諸事情で活動出来なくなりましたが、続けて行けばきっと変わって行けます。

私は音楽で言えば音の良し悪しが分かりますが、
絵でも構図やパースを見れるというどっちにも振れる他になかなか無い強みがあります。
エル・エー・プロジェクトではそういうアーティストや部分においても、
上手く色々出来たらなぁ…と当初から思っています。
まぁ元々美術趣味の映像出ですからね。笑

森木の絵は大分修正させて取り敢えず今はこんなものという所でしたが、
本人は私があまりにパースを理解している事に驚いていました。

ただ、これからは、と言うか もう既に、
自分から何でも発信出来て作品を提供して行ける時代になっているのです。
どんな絵でも作品でも良いと思って貰える可能性は無限に世界中に広がっていて、
そこに誰もが自由にアクセスし参加出来る時代なのです。
物怖じする事なく、堂々と自分の作品をどんどん発表して行けば、
それが仕事になって好きな事で好きな絵で生活して行けるようになる可能性は十分に、
しかも数年前の何十倍も高い確率で起こるのです。

ぜひ、自分が本当にやりたい事を見定め、本質を見抜く力を養いながら、
特に若い子たちには自立型の活動を突き進んで貰いたいと最近特に心から願うばかりです。

大丈夫です。
誰にでも力はあるのですから。

ただ、

貴方が 「やる」 か 「やらない」 か です。

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