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【書き起こし】特別対談「坂口恭平と宮台真司」!(約6万字)

  • この記事は、X(twitter)スペースにて開催された、特別対談「坂口恭平と宮台真司」!(2023年8月23日)を独自に書き起こしたものです。

    • 元の音声は、こちら(配信後1ヶ月間アーカイブあり)

    • お二人の対談部分のみを書き起こししており、その前後は割愛しています。

  • テキストで自分のペースで読み込みたい方や、聞こえにハンディキャップのある方にも、お二人の刺激的な対話を楽しんでいただけたら嬉しいです。

  • 坂口恭平さんにX(twitter)にて許可をいただいた上で公開するものです。

  • 書き起こし中、音声不良等で聞き取れなかった箇所は「****」としてあります。

  • その他にも、主に作業者の知識不足などによって正確性を欠く記述がある可能性があります。もし明らかな誤りなどがありましたら、コメント欄等でご教示いただければ修正したいと思います。



[宮台真司]
(宮台さん入室)はい。宮台ですこんにちは。

[坂口恭平]
こんにちは、宮台さん、お久しぶりです。

[宮台真司]
はい。お久しぶりです。よろしく願いします。

[坂口恭平]
それでは。お久しぶりどころか、もうすごいですもんね。

[宮台真司]
だからもう2011年、12年ぐらいですよね。

[坂口恭平]
だからもう本当11年ぶり。

[宮台真司]
そうですね

[坂口恭平]
そうだから、奥様にはね時々お会いしたことがありまして、実はっていう感じで。

[宮台真司]
あれですか、イベントで。

[坂口恭平]
そうですね、はい。なんかしばらくは、ここしばらく会ってなくて、そんな中ほら、宮台さんがちょっとね、襲われるという事件もあり。そのときにちょっとあれかな、奥様にちょっと大丈夫ですかって心配のメールはしましたけど。さすがの宮台真司、あの、不死鳥のようにしっかり蘇って。最近どうですか、体調は大丈夫ですか。

[宮台真司]
ある程度順調に回復してきたんだけど、ちょっとですね、耳、耳っていうか耳の頸動脈を狙ってね、刀傷が15センチ以上のものが耳の下ぐらいになるんですけど、それちょっとですね、耳にちょっと問題が生じていて、なのでまたですね、ちょっと入院して、1週間ぐらいして、手術をすることにはなってます。しかし、大体は大丈夫です、はい。

[坂口恭平]
フラッシュバックみたいなのないですか。

[宮台真司]
それはね、全くないんですよ。犯罪被害者支援っていうことでね、警視庁から10万円とか出ることになっているんですけど、その前に臨床心理士のカウンセリングを受けるんですよね。チェックリストがあって、例えば大学に行くのは不安ですかとか、現場を通りかかると思い出しますかとか、いろいろあるんですけど。全然僕チェックゼロ。何も別に思い出さないし、大学に行くのも平気だし、ちょっと臨床心理士の方がそれで困っているのもあります。

[坂口恭平]
なるほど。

[宮台真司]
別のね、やっぱり心理士、臨床心理士の方によると、あの自己防衛、セルフディフェンスのメカニズムが働いていて、意識的に気丈に振る舞おうと頑張ってるんじゃないかって

[坂口恭平]
なるほどなるほど、ある意味躁状態にあると。そういう感じですよね。そう思われてるということですよね。

[宮台真司]
そう思われたんですね。しかしあのですね、半年ぐらいした状態で、うん。ちょっと鬱が来ます。それで、かかりつけの精神科医によると、やっぱりこれは自己防衛機制だったんだろう。時間が経って、なんか自己防衛に疲れたというかですね、そうしたある種の環境の変化があって、

[坂口恭平]
ちょっと結構長かったんですか? 鬱状態は。

[宮台真司]
いや僕ね、坂口さんに比べれば全然軽いと思うんで。基本、あの、普通の抗うつ剤で、ある程度緩和しました。

[坂口恭平]
本当ですか。よかった。その時が結構長かったら大変かなと思って。時間ていうか鬱状態の時間がね、

[宮台真司]
そうですね。ただ元々、僕ADHDなんですね。ADHD、ASD併発ってのは普通ですけど、ね。最先端の学説だと、それと双極性障害っていうのが三つ合わせて、実は脳の同じ場所から発する症候群っていうことで、ASD・ADHD、そして双極性、いわゆる躁鬱ですが、どれが前景化するのかっていうのは、何かサイコロを振るようなもので、なかなか周りからも予想できないし、っていうことで。だから元々、いわゆる双極性はあったんですね。その後ADHDの確定診断を受けて。基本この三つがですねぐるぐる回るような場合には、脳にメカニズム的な、場合によっては遺伝的に構成されたメカニズムがあるんだろうということになります。

[宮台真司]
でも坂口さんも、あの躁鬱、双極性だけど、どう見てもADHDじゃないすか。

[坂口恭平]
まさにそうですね、はい。

[宮台真司]
なので、仲間だなと思います。

[坂口恭平]
ありがとうございます。それはね、今回1ヶ月前ぐらいにね、宮台さんに、1ヶ月前ではないっすね、8月入ってからでしたっけ。ふっと突然なんか宮台さんと話す頃かもって勝手に思っちゃって。宮台さんと話す。宮台さんにメールを、DMをして、ね。宮台さんがすぐ受けてくれて、日程が決まったけど、一応俺躁鬱で、イスタンブールも行くんでその後鬱になるかもしれないんで、ちょっと告知はギリギリな感じにしますって言ったら、「僕もリチウム服用してますから」って言ってくれたんで。なんかそうだったんだって、僕ね、意外とわかってなかったです。宮台さんがそんな感じだと。

[宮台真司]
まあね、ちょっといくつか理由があってね。そういうASD・ADHD・双極性のそのベン図みたいなね、集合の中にいると。

[坂口恭平]
なるほど。それがなんか、あの11年前のあのときは、僕は完全な多分な躁の、完全な何か光の中にいたような状態で。

[宮台真司]
すごかったですよね

[坂口恭平]
だからね、宮台さんと対談というか、もうほぼね、僕がもう喋ってしまうっていう感じで。

[宮台真司]
98%そんな感じでしたよね。

[坂口恭平]
そんな感じで。宮台さんとほとんどそんな対談というかそういうこともなかっただろうけど。なんか宮台さんが終わった後に、何か僕に一言二言言ってくれたんですよね。

[宮台真司]
何か言ったねぇ。

[坂口恭平]
僕が覚えてるのは、「君は天才だ」っていうふうに言ったんですよ。それで、なんか僕それがすごい、心に何て言うんすかね。すごい安心したんすよ。何て言うかな。それではっきり言って、それで11年もったって感じでした。だから。

[宮台真司]
うん坂口さんね、やっぱ天才なんですよ。あの天才とはどういう存在かっていうのは前、ダースレイダー氏と、DOMMUNE RADIOPEDIAっていうところで話しました。でね、アマデウスって映画とか芝居で有名なあのヴォルフガングアマデウスモーツァルトであるとか、あるいはですね、いろんなとこに、サーフィンの大天才ですね、アンディーアイランドとかですねいろんな天才についての映画があるんですけど、その天才ってほとんどの場合、生きづらくて、本人は生きづらいっていうふうに意識しない場合もあるんですけど、基本独力で自立して生活できない人たちが多いので。それを周りの単数ないし複数の人間たちがね、サポートするっていう形で初めて生きていける。だから、天才とは、秀才とは違って、まず社会性っていう点から見て、欠けた存在である場合が非常に多いんだけど、天才ぶりに感染したり鑑みたりする人たちがサポートしてくれるので、初めてそれで前に進めるようになるっていう。坂口さんそのものじゃないですか。

[坂口恭平]
そうですね、だからなんかうん僕、時々ね、そういうこと言われても、何かわかってくれないって逆に思っちゃったりしてたんですよ。みんなそんな言葉で片付けてとかね。だけど宮台さんから言われたら、宮台さんから言われたらそうかもしれんなと思って、何か頑張ろうと思ってなんかすごいね、その言葉は何か知らないけど、なんかすごい大丈夫だよっていう感じで言っていただいて。なんかね、それが11年もったなっていう感じで。多分僕の中で今、第二部じゃないけど、あのときに、その躁の爆発によって多分ニュー新星みたいのが始まったんですけど。その新星が、一つ何か落ち着いた温度になって、多分一つ何か星のような状態で今動き出してるような感覚が、実感があってですね、多分僕これからさらにそれを軌道に乗せ、何か軌道を次は描くようなイメージがあって。なんかすごい不安定だけど新星としては生まれてるから、今まではすごい軌道じゃなくて不安定な周期でいろいろ動きがあったんだけど、実際にその躁鬱自体がすごく安定してるんすよ。もうほとんど寝込むっていう状態がなくて、だけど人には会えないっていう、「洞窟時間」みたいな感じはあるんですよ。

[坂口恭平]
そのときはなんか本当に、何か意味が分かってきて、だんだん。僕はその、胎児の記憶がすごく鮮明にあるんすよ、原稿に全部書けるぐらいの。なんかね、なんか僕が感じたのはそのときにおそらくかなり、意識みたいのがピン!と早めに芽生えたんじゃないかなというふうに思ってて。なんか僕のその自分の記憶によると、そのすごい、母親をケア、ケアしてるんすよね。胎児状態で、すごく若くて、多分20代で悩んでいる母親を、ケアしてる記憶があって。何かそのときに僕はいや、そんなに悩むなら、なんとなくですけど、僕の感覚としては堕ろしてもいいし、でもそれだと落ち込むから、私が出ないで死んでもいいよみたいな、なんか一番初めに試みたのが、その生きてる間に試みたのが、何か何となくいのっちの電話と繋がるような、いわゆる人に対するそのケアっていうか語りかけと、その後におそらく自殺を試みてるっていうか、しかも笑顔で。なんていうか、恐怖心が僕やっぱないので。僕も多分宮台さんと同じように多分、そうなっちゃうんすよ、刺されても別に怖くないからやりますみたいな。

[坂口恭平]
恐怖心を完全にカットすることによって行動ができるみたいな。それは、幼少の頃からなんかちょっとそういうところがあって。何かそういうのの元になる時間っていうのが、胎児期に何かあったんじゃないのかな、という記憶があって。僕、幼少期の記憶はないんだけど、胎児期の記憶がすごくあるんですよね。

[宮台真司]
それが面白いですね。ほら一般にさ、人間3歳ぐらいからの記憶を持っているんです、なぜかっていうと、言語ですよね、厳密に言うと言語脳で、声帯を使わなくてもボディランゲージとかですねいわゆるハンドトークを含めたですね、言語的な処理ができるようになると、言語を使って記憶をアーカイブしていく、つまり格納していくので、言語が脳の活動の多くを占めるようになると、基本言語以前の記憶は忘れられていくということになるんです。

[坂口恭平]
うんうん、なるほどなるほど。

[宮台真司]
で胎児の記憶を持ってる人ってね、調べると稀にいるということだけれど、そうするとやっぱり言語脳の、何て言ったらいいんだろう比重あるいは位置づけが他の人たちと違うんだろうなって。

[坂口恭平]
僕の場合はなんかね、イメージとしてはウォータートークって感じですかね。水の会話っていうか、いわゆる羊水状だから、イメージとしては血液なんですよね。血液っていう感覚があって。だから顔も見えないわけですよね、相手の。女性というか母であるという認識すらないので、だから僕生まれてからずっと母親を母親だとあんま思ってないんですよ、今もそうなんですけど。少し心配いつもしてて、だからなおさら父親を父親と全く見てないんで。オイディプスタイムとか全くないんですよ。

[宮台真司]
面白い。

[坂口恭平]
父親からはもう一言、1秒も僕注意されたことがなくて。これをしちゃ駄目、っていうのを小さいころから1回も言われたことないんですよ。4歳の時から普通に何か横断歩道じゃなくて車渡ってたらしくて親父が言うには。だからどうやってそれ身につけたのみたいなことを、僕の場合はほら、何か両親の愛が欠如されたとかいうことがないんですよね、そういう感覚が。元々そうじゃないものとして思ってるんで。

[宮台真司]
あのね坂口さんね、そこはね、多分こういう仮説成り立つかもしれないなと思うんです。僕も小さいときからADHD、確定診断を受ける、昔はそういう概念がなかったんだけど、確定診断を受ける際には小学校時代の通知書を全部持ってくんですよね。僕六つの小学校行ってるので全部持って行ったんだけど、大体全部同じ。まずおっちょこちょい、約束や決まりを守らない、自分の言ったことを忘れる、不用意な行動が多すぎる、でも、根はいい人だって言われて。一度ね、気に食わない金持ちの子供がいて、僕は学級委員だったんだけど、たまたま自習時間になったんで、そいつその日欠席、欠席してたので、みんなで襲撃しに行こうって言って、そいつの家まで行って、みんなで石投げたらですね、警察沙汰になったみたいなことがあったりしましたが。大体でもADHDの子供って、小さいときって、そういうようなエピソードに事欠かないんだけど。だからうちの親もそうだし、ADHDが激しい子供の親は、ちょっとどうやって扱っていいかわからない。溺愛もネグレクトもしない。

[坂口恭平]
なるほどそうね、距離感があるんですね。

[宮台真司]
そう、適度な距離感で接してもらえるんじゃないかと、でね僕がなんか言ったりやったりしても、「ま;ぁた始まったよ」みたいな感じでね。なんか真に受けて真顔で、あの、深刻な顔して「いやそれはね、こうこうこういうことだから」っていうふうに言われないんですよね。ADHDの子ってね。だからそれって楽ですよね、人間って真に受けられると苦しいんですよね。

[坂口恭平]
なるほどなるほどそうね。それでなんか褒めたらとんでもないことになるから、だからそういう同意も絶対しない、同意もせず。その前の話に戻すと、その胎児のときの記憶があって、だからもうそのときにいのちの電話っていうのを、もう僕行為としてやっていて、おそらく一番初めに試みたことが、そのいのっちの電話と自殺がセットになってて。僕子宮にに17日間くらい閉じこもったらしいんすよ。母親も多分出す気がなかったと思うんで、多分お互い同意した状態で、そのまま死産という道を選ぼうとしてるような感じっていうか。なんかそしたら最後多分ちょっと僕の感覚としては母親が謀反を起こして、暴れだす、なんか階段をなんかもうとにかく走り回って飛び降りたりしたらしくて。で、いわゆる僕おっちょこちょいなんで、あの両手両足で粘ってたんだけどそのまま滑り落ちちゃったみたいな感じで出ちゃってんすよ。鬱状態になると、まさにそのときになるような気がしてて。僕ずっと背中を丸めた状態で、ちょっととんでもなく背中に強い力がかかっちゃうんすけど、すごい圧力を感じるんすよ。それで、多分そのときに感じた多分、自分が邪魔者だっていうか、社会の邪魔者っていう、何かその感覚があるんすかね。

[宮台真司]
ちょっとね、面白い。僕は映画批評家なんだけど、時々触れる歴史的に面白い現象がある。っていうのはですね、1960年代って、学園闘争とか公民権の時代なんですけど、リベラルの数が増えた時代とも言えますけど、この時代ってね、枢軸国、日本・ドイツ・イタリアを中心として、胎内回帰をモチーフとする作品がたくさん出てくるんですよ。だから日本だったら若松プロダクションの若松光司監督、足立将生監督作品とかですよね。

[坂口恭平]
そうなんすか。それ結構胎内記憶の話があるんすか、映画で。

[宮台真司]
でね、いや、そうではなくって、胎内回帰願望。だから胎内が水、海によって象徴されたり、理想とされた女に象徴されたり。あるいはですね、ちょっとこれは隠喩的な表現としては難解かもしれないけど、テロリストとしてですね、あらゆるところで爆弾を爆発させて全てをカオスの海にする、そのカオスの海もやっぱり胎内の象徴だったりするんですよね。なぜ枢軸国でこれが出てきたのかってことについての僕の分析があるんだけど、枢軸国っていうのは、旧連合国と違って、個人の人権、自己決定、あるいはですね、個人の試行錯誤で尊厳を獲得するんだっていう発想って、元々ないんですよね。日本の「国体」っていう概念もそうだけど、大いなる精神共同体に、つまりこれが守旧的なものです、大いなる精神共同体に包まれた状態、これが元々のユートピア的な状態。なのに、そこから押し出されて、世に生を受けを、そこで自己、個人として、権利を主張したり、他人と渡り合ったり、様々な困難を自分の責任でチャレンジしなきゃいけないっていうことになって、何かよくないことがあっても、「お前がやり方を間違った。お前の責任。やり直せ」みたいに言われることの生きづらさ。だから、いわゆる、当たり前だと思いがちな人権・自己決定・自己責任みたいなこの社会のあり方を、明確に「生きづらい」っていうふうに理解する発想が、やっぱり旧枢軸国にあって。たまたま60年代後半って新左翼の時代でもあるから、資本主義がすごくブーイング状態になっていたってこともあって、そういう表現が出てきたのかなって思うと、それでやっぱり質問が出てくるんですけども、坂口さんはよく鬱になったんですよね、昔はね本当に。もちろんそれは脳の問題だっていうふうに言ってしまえばおしまいなんだけど、その胎内記憶の話をね今日初めて伺ったので、そうすると、脳の機能の話はちょっと横に置くとして、胎内にいるのに不用意にも押し出されてしまったこの世界を、つまり社会にということですけど、そのことについてのある種のルサンチマンとか、戻りたい、戻りたいっていうのは胎内に。あるいは抽象的に言えば、自分が個人ではない存在としていろんなものと融合してるような状態、さっきずっと水っておっしゃってた、そういう水そのものあるいは、水に浮かぶ何かのような存在に戻りたいって思ってらっしゃったりするっていうことがありますか?

[坂口恭平]
うん、そう、だからその鬱の時にだんだんとわかってきたのが、だからもう僕もどうにかして躁鬱病という病気だと思って捉えるけども、それではもう解決できない問題ぐらいまでやっぱり最終的には行くわけですよね。それ以外のことを僕の場合はある意味継続的に創作をするとか、自分の日課を作ってとか、その人間の付き合い方とか、全部そういうルールでどうにかして自分を安定させてきたけど、それでも何かにぶつかってるっていうか、そういうものと、だから自分がそのとき胎児になってるんだっていうことを何となく感じたときに、そりゃ立てるわけないし、人にも会えないし、日光なんか必要ないし。だからなんか逆に言うとね、うつ病に対して、鬱状態に対して、すごく前向きに意味がわかってきたんですよね。だからこのままでいいんだっていう。「たゆたう」っていうか。そうすると、とんでもない深い、古い記憶っていうか、太古の記憶がもう。もちろんそれを勘違いだと言えばそうなんだけど、でも勘違いと思われてもいいのは、僕そのとき原稿用紙50枚以上書いてるんすよ毎日。その原稿はもうとても人が読めたものじゃないけど、もうずっと、暗い海をずっと船で何か流れてる人間の、人間らしい人なんですけど、自分らしい人間だけど自分でもなくて、どうやら男のようなんだけど、なんかそういうある意味マッチョ的な、女性を性的に何かするような男性ではないっていうか、何かなんか微妙な少年のような感じで、で遠くの植物を見るとその植物が持っている植物の何か、植物っていうのも何か線みたいのを出していて、それが遠くの島の植物たちと何か連携を取ってるとか、歌ってるようにしてる。カメラを開いていると星が流れていくあの線を見るといつもそれを思い出すんすけど、あのような何か空に線が植物から出てて、それを何かネズミとかは読み取ることができるみたいで。それで流木に乗ってネズミはそのもう1個の島にも行きたいと思って言ってるシーンとかをずっと書いてるんすよ。それはもうほとんど自動筆記なんだけど、自動筆記といってもシュルレアリスムの自動筆記とは多分違うのは、僕が見えてる世界しか書いてないんで。だからはっきりと見えてて。何で見えてるのかっていうと、僕胎児のときの家の中のリビングルームのカーテンの色まで記憶してるんすよね。そんなわけないわけで本来なら。だから僕は胎内でなぜか現実が見えたっていう。その胎内にとっての現実っていうのは、今僕たちにとっての夢であるとか、別次元の世界とかそういうことと何かちょっと似てるんじゃないすかね。だから何かそういう、そういう状態になってるみたいで、鬱状態というのは。現実以外のものは全部見えるんすよね。現実だけ見えてない状態で。

[宮台真司]
それね、すごく面白いです。今ね、国立東京博物館ですね、トーハクで、メキシコ展、要するにマヤ・アステカ展ですよね、テオティワカン・マや・アステカ展か、っていうのをやっていたんで、僕元々マヤの文明がすごく好きだったんでいろいろ見てきているんですけれども。その文明って、あの世界観的には、なんていうんだろう、坂口さん的なんですよね。っていうのがまず全てが難しく言うと生態学的な発想の中で、わかりやすく言うと、森の哲学のようなもの。だから全てが連関し合っている。難しくいうと、前提付けるものと前提付けられるものの非線形のネットワークが世界の全て。その中で、人間とか、いわゆるあの社会を含めた人間の界隈っていうのは、あのゴミみたいに小さなもので。全てが関連し合いながら、大きく循環している。なので、例えばもうあのテオティワカン、マヤ、アステカ通じて生贄を捧げる儀式ってやるけれども、これはアステカはちょっと全然違うけど、違ったものに変質するんだけど、要は、喜んで身を捧げる。なぜかって言うと死は再生に繋がるから。というふうに。日本で言えば、土に帰ると、それが芽吹いて、また森の糧になるんだよみたいな発想ですよね、やっぱり世界全体がね、その意味で言うと、分節、articulate、分節されない子宮のような形になっているっていうことなんですね。でまぁマヤっていうのは非常に不思議な文明で。今、最先端の研究だと、なんと紀元前11世紀から紀元11世紀まで22世紀間続いているんですね。**世紀ぐらいからって言われてたのが、いやどうも違うと。紀元前11世紀っていうと、テオティワカンっていうね、少しずれた地域で文明があって、マヤはまだ文明なかったって言われてたのが、実は日本人が発掘して見つけちゃったんですよね。つまり、マヤにも紀元前11世紀から文明があった。んでね、この22世紀も続いた文明って実はないんですよ。エジプトあるじゃないか、ないんですよ。エジプトはね、古王国、で中王国、新王国っていうふうにして、実はぶつ切りになってるんですよね。だからマヤは22世紀間本当に一貫して文明が続いたってのはすごいんだけど、すごく暑くてジメジメしていて、食べるものっていうとトウモロコシがメインだったんで、いわゆるね収穫物も保存・ストックができなかった。だから著しい階級差ってのが出てこない。エジプトっていうのは、要するに王族と神官以外は全員奴隷なんですよね。でもマヤでは全然違っていて、王族、要するに王族ってのは神官の代表なんだけど、恐怖政治って全くなくて。マヤ暦ってありますよね、マヤの細かい暦の計算っていうのをやる、これはつまり、これが何のためにあるかっていうと、この王や神官の言うとおり種を植え、いや種を撒き、そして収穫すると干ばつにも洪水にも遭わないでちゃんと収穫できるし、「みなよ集まれ、さあ空を見よ」っていうと、日食が始まったりするっていう。これを簡単に言うと、統治の道具として使った。だから恐怖ではなくて、「うわーすごい」っていう驚きを統治の道具として使った。

[坂口恭平]
うわーすごいっすね。

[宮台真司]
そうすると戦争も非常に少なく、なおかつね、要するにさっきの生態学的な森の思考の世界観なので、絶えずそれを愛でるお祭りっていうのをね、万の規模で集まって、つまり1万人なら1万人で、ものすごい数、年に何回も何回もお祭りをする。だからみんながお祭り的に繋がってるっていう。そういう感覚もある。やっぱりそうだから僕らは、坂口さんの感覚通り言えば間違ってるんですよ、どっかで間違っていて。だからこんなに生きづらくなってんだけど、22世紀続いたマヤ文明に学ぶと、本当はどういう社会のあり方がいいのかということがよくわかってくるんですね。

[坂口恭平]
なるほどちょっと。いやその喜びが統治の法であるってこととかは、もう、まさにそれ僕がやり一番やりたいことなんですよね。

[宮台真司]
そうなんです。なのでね、皆さんね、トーハクにちょっと、できれば坂口さんも見ていただきたいんだけど、マヤって11世紀過ぎまで続きますけど、その後順次アステカに変わっていくんですよね。アステカっていうのは、これはねちょっとやばくって、16世紀にコルテスによって滅ぼされるまで、アステカってモチーフのカラーが黒・ブラックなんです。しかも、様々な彫像ですよね、彫り物とか、壁のいろんな絵とか、非常に怖いものが多いんですよ。つまり、恐れを使って、統治している。マヤのものってモチーフカラーは赤なんですよ。で全てのですね彫り物とか彫像とか壁画とか、とにかくめっちゃめちゃかわいいんですよ。要するに恐怖の要素、不安の要素を徹底的に取り除く。だから文字もね、だいたい動物数種類と人間の数種類の顔と、あと星と植物を組み合わせてるんです。だから日本の漢字とよく似てて、偏とつくりがあって表意文字でありかつ表音文字、つまり意味と音とが両方とも使えるようになってるみたいな感じなんだけど、それがね洗練されないんですよ、ずっと。だから中国の漢字ってだんだん洗練されていっちゃうじゃないですか。洗練されないってことはね、ずっとかわいい動物の顔があるので。

[坂口恭平]
すごいっすね。洗練されないっていうのも僕のテーマですからね

[宮台真司]
だからそれも、明確に意識してやってることですよね。

[坂口恭平]
うん。なるほどすごいね、ちょっといきなりびっくりしましたね僕も。だから、いや、それで本当にあの2012年のときから始まったのが、いわゆる今いのっちの電話っていう、僕は09081064666という携帯番号を、僕一応世界で唯一、Wikipediaに載ってるんですよね。何度もwikipediaから「これ載せられません。プライベートなんで」って言って、いやこれはもう僕が本人で書いてて、本人が責任を持って、もうこれは人民に必要だから頼みますって言ったら通っちゃったんすよ。それで現状は今携帯番号載っても、警告にならずに。だからやっぱ「死にたい」で検索すると僕のがもう五、六番目に出てくるみたいで、上は全部あのね結局、厚労省たちの関係者でやってるものだから繋がらないわけですよね。それこそ盆正月は繋がらないんで、僕の場合は自分の普通の携帯電話なんで大体いちいち今20件ぐらい。半分は僕のこと知らない人ですから。うん。だからその人たちに大体毎日、だから今だと年間8000から9000人ぐらい電話出てるみたいで。それをずっとあのときから、もう11年目、12年目ぐらいに入ってるんで、もうなんか最近ほぼもう声の建築空間みたいになってて。もう僕建物も建てないんだけどとりあえず俺に電話かければこの完全なシェルターができていて、僕声だけ聞き続けてるのでつまり視覚障害者とほぼ同じ状態なんですよね今。なのでもうその人の声を聞いたら財布の中にいくらあるまで当てれちゃうぐらいなんすよ。だからもう、つまりその人間の声っていうのはやっぱり地面とすごい繋がってるんで。何て言うんすかね、地面の音なんですよね。なんていうか、だから。その個体の問題じゃないっていうか。その人が暮らしている環境と、その人が暮らしてるその周りにいる人たちの足踏みとかまで入ってきちゃうんすよ、その声の中っていうのは。だから親との関係とか、仕事場での言われ方とか、なんか全部それが見えちゃうんすよね。それをなんか僕の場合どっちかというと調律するような感じで。つまりその性格とかじゃないんですね声っていうのは。人間って性格っていうのはほぼないんじゃないかと思ってんすけど。声っていうのは、もっと言うといわゆる悩みっていうかつらいような嘆きのような音色の方の声っていうのはほぼもう、累計が30パターンぐらいでもう決まってるんすよ。

[宮台真司]
うーん、面白い。

[坂口恭平]
で、喜びっていうのは、すごい今俺が探しても探しても喜びってのは無限大に広がってて。だからそれこそ驚きの方は何か法律っていう概念じゃないんで、「こんな法律が見つかった!」みたいな。こんな法が見つかった、って毎日芽生えてるような感じ。だけど、その悲しみの方はすごい類型化できて、もっと言うとすごい捕まえやすいというか、管理しやすいんですよ。だからそこの音を、「この人はこの音だな。じゃあ統合失調症って言われてるな」とか、そういうふうに思えちゃうんすよね。この社会では統合失調症って言われてるよねみたいな。

[宮台真司]
あのね、さっきの厚生労働省の役人とか行政側のいのちの電話にかけるのと、坂口さんにかけると、どこが違うのかって僕が思うに、行政がやってるいのちの電話を担当している方々って、官僚もいるしボランティアもいるけど、基本は「どうやったら社会の中をうまく生きていけるのか」っていうね。やっぱり、社会に戻そうとするような方向性を持っている。少なくとも電話をする人からはそういうふうに感じられやすい。でもね、坂口さんは日本の昔の言葉で言えば、「傾奇者」じゃないですか。つまり、ちょっとおかしいわけ。ちょっとおかしいんですよ。社会の中を生きてないんだけど、それが人々の憧れの的になる。つまり、「あんなふうに社会の外を生きられたらいいだろうな」ってね。そういう意味での「傾奇者」でしょ。だから、絶対に社会の中に戻れとか、こうしたら社会を生きていきますよみたいなことはね、言わないだろうなっていうふうにやっぱり想像できるだろうなって思うんです。

[宮台真司]
あとねもう一つ。LSDってありますよね、LSDって様々なアナログが合法で作られまくるので、LSDそのものは非合法でも、アナログを使うと合法に経験できるような時代がもうずっと続いてるんですけれども。ところでね、いわゆるLSD、麦角アルカロイド体験って本当に面白くてね。何が面白いかっていうと、視覚変容が、つまりあってはならないものが見えちゃうんですよ。ただ、いわゆる妄想的幻覚ではなくって、例えばですね、換気扇が巨大なゴキブリに見えるとか、壁のひびが巨大なミミズとしてのたうち回ってるように見えるとか、自分の身体を見ると呼吸に従って骨になったりまた肉がついたりを繰り返すとかっていうふうにして、知ってるものなんだけれど、そこにあってはいけないものが見えてしまうっていうことが起こるんですよね。で、規範的な意識が強いと、バッドトリップ、つまり本当はいけないことをやってしまったんだってなるんで、そこでね、いわゆるグラウンディング、着地っていう作業がサポーターによって提供されるんですよね。絶対に1人でやっちゃいけない。ダイビングと同じように、必ずサポーターと2人で。そのときにサポーターが、いわゆるバッドトリップした人に対してやるグラウンディング、着地の方法って、聴覚なんですよ。だから僕が言われるとすれば、「宮台さん目をつぶってくださいと。今リズムをとります。机を叩きます。何拍子ですか。」「三拍子です。四拍子です」「じゃあ変拍子を叩きますけど、何拍子ですか」「四拍子と三拍子の組み合わせでしょうか」とかって言ってると、だんだんだんだん落ち着いてきて、バッドトリップから離脱できるんですよね。また変なものがが見えそうになったら、目をつぶる。いわゆる妄想的幻覚じゃなくないので、目をつぶって何か見えるってことはないんですよね。そこで僕が自分なりにいろいろ考えてある結論に達したんですけど、やっぱり視覚っていうのは、感覚の中で一番高度なんだけど、僕たちの社会ってやっぱりすごく視覚ベースで構成されてるんですよ。別にルッキズムだけじゃなくて、ありとあらゆるものが視覚ベースで構成されていて。例えば、よくある話じゃないですか。「人が見えないものがあなたが見えるっていうのは頭がおかしいんだ」みたいな、すごく視覚って、社会性を要求されるんですよね。よく知られてるように、元々生まれつき目が見えない人が、脳の障害を手術で取り付けて、例えばですね、物心着いてから、目に目が見えるようになるときに、しかし最初は何も見えないんですよね、包帯を取っても。どうして何も見えないのかっていうと、目に見えるものと言葉が結びついてないからなんですよ。これはマイクです、これはパソコンです、これはコップですとかっていうふうにして、目に見えるものの輪郭に名前がつけられていくプロセス。つまり簡単に言うとね、視覚って、つまりサイト、アイサイトっていうのはすごく言語的なんですよね。なので、今坂口さんがおっしゃった、「聴覚は地面、土と繋がっている」。つまり簡単に言うと、より本質的。したがって、言葉で作られた、どうでもいい界隈の枝葉によって汚されていないっていう感じ。

[坂口恭平]
逆にね、素直な言葉が、逆に言うと言葉として出てくるんですよね。なんか今のお話だと僕なんか、この前、なんか2回「鳥肌立った」って言われたことがあって、それが、出会った瞬間に鳥肌が立ったって言われて。1人が、石垣島で出会った人なんですけど、その人はアワヤスカがもう好きすぎて。というかメスカルが好きすぎて、メスカル飲みに行くんだけど、そしたアワヤスカにはまっちゃって。

[宮台真司]
じゃあ現地行かれたんだね、日本ではできない。

[坂口恭平]
ずっと現地に行ってはアワヤスカを飲み続けてる人で。その人が僕と会ってなぜか鳥肌が立って。僕って人に会うと、その人の中の街みたいのが見えるんですよ。人それぞれの「思考都市」って僕呼んでるんすけど。その人の中の誰にも侵されてない街があるんすよね。で、その街の形状を俺が言って、その人は更にぶっ飛んだんだけど。もう1回は普通のバーだったんだけどバーに行くといきなり鳥肌が立ったって言って、その人が。で、話をすると、その人はホピ族が好きすぎて、ホピ族の住居区の中に入ったら、絶対に入っちゃいけないところに足を踏み入れてしまったらしくて、そのまま拉致されて。話を聞くと、そこは聖地だったみたいで、「聖地には普通の人間が入ることができないはずなのになんで入れたんだ」っていうことでそのままその人、ペヨーテミーティングに参加させられて、半年間いわゆるシャーマンとしてペヨーテミーティングに参加させられて、最後そのシャーマンの娘と結婚しようと思ったけど、その人が全然タイプじゃなかったので走って逃げてきて。で熊本まで帰ってきて、家まで。だけどサードアイが開いちゃってるんで、物を触るだけでその物が触られてきた全ての人の記憶みたいのが蘇ってくるみたいで。これはもうやばいと思って、太宰府の陰陽師の人に治しにいってもらったっていうちょっととんでもない2人だったんだけど。どっちともそれがいわゆるそっち系、そのサボテン系のやつなんですよね。いわゆるLSDのもっとナチュラルなもので。なんとなくその、その2人から言われたのが、「君自身がいわゆる麻薬体になってる」っていうか。いわゆるサボテンだってその2人は言うんですよ。もう1人はアワヤスカだって言うし、お前はペヨーテだっていうし。だから冗談でほら「I'm acid」っていう冗談で言ってたんだけど。

[坂口恭平]
もう一つそのグラウンディングっていう話でいくと、まず僕に電話してくる人は全員いわゆるバッドトリップしてるんすね、この現実に。現実によってバッドトリップしてて、そのバッドトリップの言葉がもう「死にたい」という4文字なんすけど、僕その死にたいっていう言葉を、その4文字を、「死にたい」というふうに受け取ってないんすよ、その言語が。まぁ「恭平、助けて」ってやつなんすよ。「恭平、助けて」って言われると、僕は同じように「目を閉じろ」って言っちゃうんすよ。で、目を閉じてくれっていって俺が何をするかというと、「今何が見える?」っていうと、初めは「ただの真っ暗だ」っていうんすよ。目を閉じてるから、でも本当にちょっと待って、もう少しゆっくり見てみてって言って。少しだけぼんやり、どっかに光源がないかとか聞いてみるんすよ。「ない」って。真っ暗だって。じゃあもしかしたら夜かもしれない。足はどうだ、冷たくないか、何か感じないって言ったら、「足は冷たい」って言ったりする。それはもう裸足なのかって言うと、「裸足です」と。今君は靴下履いてるのっていうと「靴下履いてます」って。今は8月なんだけどそこは何月、っていうと、なんか「2月ぐらい」とかって。その人の感覚でしかないけど。真っ暗で、歩いてみれるって言ったら、「歩いてみれる」って。で、歩いたらその「濡れてる」って言って。だんだん濡れてきた、海っぽい。その先に何かないって言うと、「船がある」っていうんすよね。それ誰も乗ってない?っていうと、「乗ってないのかな? でも明かりがつ小さくついている」っていうから近づいてみようかって言って、「今から行ってみたいと思います」って言ったところで、もう僕の中でグラウンディングが終わってるんで、それを原稿に書いて俺にすぐ送ってくれって言うんすよ、次は。いわゆるこれは、その現実の世界ではフィクションを書いてる人とちょっと近い方法論なんだけど、僕の中では。そうしたときに、今死にたいとかとか何かいろいろなこと考えてる?って最後に聞くんすよね。「いや、そうじゃなくてその海の先の船の中に人がいるか知りたい」っていう。そうするともう状況が変わってるんで、現実から完全に一応離脱できてるんで、もう全部カーテン閉めていいから、外の世界一切見らずに、それを鉛筆と紙で書いて俺に全部写真か何か撮って送ってくれって言って、そのまま1000枚書いた子もいるんすよ。だからそのときもう完全にグラウンディングできてて。だからそういうふうにすると、僕は結局、これまで5万人以上それをやってるんすよね。それをやった結果、自殺した人が1人だけだったんすよ。その人自殺したのも、最後僕3時間ぐらいかな、僕が書き続けてる2000枚以上の小説があって、それをその人にもう、2日間かけて3時間ずつ僕読み聞かせてんすよね。だからもうほぼお経だと思ってて。それでもう僕の中で唯一判断した、この人は死んだ方がいいっていう人。なんていうか、もう、この今生では満足したというか。だからもう僕が最後許しちゃったんすよ、いいよってね。それで、本当はスピーカーで俺は見たいって言ったんすよ。スピーカーもしくはそのテレビ電話でその状況を見たいっていう。1人で死ぬのは寂しいから。だけどそうするとほら、恭平さんが多分自殺幇助になっちゃうので。多分翌日警察から電話かかると思いますけど、そういうことの問題はないようにはしたいって言ってくれて、その人が亡くなったんだけど。で翌日電話かかってきたんすけどね、刑事からも。刑事も、幼少の、子供の自殺を見過ぎててものすごい心がやっぱ傷ついてるんですよ。その後奥さんが実は千葉西警察署でしたけど、それは奥さんもやっぱそれをもらっちゃっている、その状態を。で、奥さんからいのっちの電話かかってきたり。あと救急隊員がもう砂袋なのか死体なのかがわかんなくなってきちゃってる人がいて。それは札幌の消防局の消防団員だったけど。だからもう、実はね、3万人の死体を見てる人たちがいるから、なんか僕むしろもう最近もうそっちまでも入り込みたいっていうか。現場もちゃんと見てあげないと。みんなが死をもう完全にそっちに放り投げちゃってるんで。うん何かそんなふうになってきましたね、もう12年やってると。

[宮台真司]
なるほど。ちょっと僕のね、違った角度からの言いかえをしてみたいんですけどね。さっきの冒頭からの胎内回帰の話とか、マヤ文明の話とかとも関係します。僕らの社会って、感覚を制約することで、初めて生きられるものなんですよ。つまり、見えるものがこれ、あれは見えませんみたいにして、ちょっと社会的な言葉が許される範囲でしか、視覚の使い方って許容されていない。で、視覚が完全に優位になっていて、他の感覚はその下の方に置かれている。はっきり言って窮屈なんですよ。もう一度言うと、僕たちは元々感覚、視覚だけじゃなくていろんな感覚をいろんなとこに開けるものだし、さっきのメスカリンとか****とか、麦角アルカロイド、これ全部植物性なんだけど、何かこの植物的なものを体に入れると、僕たちが社会的に制約されちゃった感覚の外に出ることができたりするわけですよね。でもこれは元々僕たちはそういうふうな身体の働きを持っているものを、無理やり鋳型にはめて、社会的な働きの外に出ないように、感覚を制約したんだなっていうふうに思われるんですよね。本当はお祭り、祝祭も、昔は、さっきの薬物と同じようにして感覚を制約から解き放つっていう役割があったんだけど、そういうのはほぼほぼなくなっちゃってて、音楽フェスと同じように、あらかじめ登録されていて、はい終わりましたって言ったらみんなぞろぞろその整列して帰っていくような。フジロックでさえそういうものですよね。そういうふうになっていて。我々は感覚を制約されていて、あるいは制約の外に解き放たれているように見えても、「ここでこの枠の中でだったらいいですよ」っていうふうにして枠付けられた解放になっちゃってるんですけど。なぜそうなったのかっていうと、やっぱりそれはね、産業革命の後期以降ですね、重工業化・都市化によって、社会は複雑になって、資本主義、民主主義、いろんな我々が今知ってるシステムを回さなきゃいけなくなった。それを回すための障害にならない範囲でしか生存を許されない、あるいはシステムを回す側から見ると、あるいはシステムから見ると、そのシステムを回す道具として機能する人しか、あるいは人のあり方しか認められないようにやっぱりなってるんですよね。坂口さんは一貫してそれにやっぱり抵抗しておられる。そういうふうにして感覚を制約され閉じ込められた、こんな世界で生きててもしょうがないっていう思う人たちは、それでもなぜかこの社会を生きている坂口さんっていう特異点みたいな存在にやっぱり、なんか明るい光を見るっていうことがあるんだろうなって思うんですよね。

[宮台真司]
さっきあのマヤの話をしました。これ生態学的思考で、世界は一つなんですよね。一つっていうことは、どっかに、世界の外に神様がいるわけじゃない。でも、ユダヤ・キリスト教っていうのは、社会の外に神様がいる。神様だけは神秘的で不思議な存在だけど、神様が作った世界、つまり人の世は、完全に普通、つまり法が支配したり、あるいは人の、社会的に許容された枠の中で、いろんなものが「これは犯罪です」「これは不道徳」「これは道徳です」みたいにして位置づけられるような、そういうものになった。だから、ユダヤ・キリスト教的なものってのは僕らのね、社会の今、事実上母体になっているんだけれど、それってやっぱり元々あの感覚を制約する、つまり、感覚飛ばしていいのは天の遠くにいる神様だけ。そっちに飛ばすのはいいけど、今皆さんが生きているここに、いろんな妖精がいるとか、精霊がいるっていうのは見えてしまってはいけません。という風にして、やっぱりすごく閉ざすんですよね。これが、坂口さん、あるいはあのいのっちの電話にかけてくる人だけじゃなくて、僕にとってはやっぱり、すごく生きづらいんですよね。だからとにかく、僕もある種の胎内回帰願望がやっぱり非常に強くて。昔はある種、あの新左翼運動的なもの、あるいはネットワーク主義的なもの、これ全部胎内回帰的なものを意味するわけだけれども、そういうものに耽溺していた時期があったけど。そっからは、僕の場合は、女ですね、それはナンパ師だったってことはちょっと別の話で。基本、全ての、だから、自分の輪郭を、あるいは「社会が重要だ」みたいな思いを、全て忘れさせてくれるような、性愛的恋愛みたいな相手はいないかなっていうふうに探す、ということに繋がったんですよね。

[坂口恭平]
なるほど。僕自身もね、嫁さん以外にやっぱり、あの、オフィシャルな彼女もいますからね。僕もそうかもしれないっすね。紹介しに行きますもんね、嫁さんに。そのときすごいね、みんなそういう話しましたね、本当に。

[宮台真司]
本当に嫁さんにそういう話をしたのは素晴らしいことでね。性愛って、社会の外側なんですよね。普通はいわゆる常識や、法やなんやかんやの枠の中で営まなきゃいけないけれども、性愛は元々お祭りと同じで、外に出るためのツール、あるいは外という時空そのものだったりするわけだから。その社会の外にある性愛の時空の本質を知っている人は、社会の方ではそれは重婚ですとか、それは不倫ですとか。「その通りですがそれが何か」って話なんですよね。今は、若い人たち本当に感情めちゃめちゃ劣化しつつあって。

[坂口恭平]
いや今もうもうやばいっすよね。

[宮台真司]
本当やばい。テンプレの中でしか見れないんですよ。自分もテンプレートの中で、人々も全部テンプレートになってて、キャラクターとテンプレートを結びつけて、これがデートですね
イケメンですかイケメンじゃないんですか、と。要するに簡単に言うと、社会の枠の中に全部性愛が登録されちゃってるんですよね。昔は坂口さん、違ったよね。例えば友達に、「あなたの好みはどんな男なの? 私の好みなのはね」なんて言ってて、でも実際に恋愛して駆け落ちしちゃったりするような相手って、全然好みと違うじゃん!みたいなことが、あったんですよね。ていうかむしろそれが普通で。だから恋に落ちるっていうのは、落ちるっていう言い方をするぐらい、英語でもそうですけど、基本、そういう社会のカテゴリーとテンプレートの外側に滑り落ちることなんですよね。でもそれがなくて、いつまでも社会の物差しで、性愛も考える、****も考える、だから生きづらい。残念だけど、もう過去30年ですね、登校拒否、不登校、そしてひきこもりっていうのがずっと続いてるし、ひきこもり死、あるいは孤独死もものすごい続いていて、もうこれ大体全部8割から9割男なんですよね。

[坂口恭平]
なるほどね。そうですね。今は僕のところも、10歳から来ますね、電話はね。10歳から来ます。それはもうほとんど夫婦関係が元となってむちゃくちゃになってるけど。もうそのとき、もうそこではもう僕はもうとにかく、それはちょっと父親と母親じゃないから、新しく作っていこうぜっていう会話をしていくしかないんすよ。とにかく毎日連絡していいから、もう俺結構今もう10人ぐらいいるんすね、毎日連絡が来る人が。ある人はもう10歳で、ある人はその嫁と子供が突然いなくなって1人になってしまった人の、嫁さん役してんすよ俺。だからある人はもう男なんだけど、俺が女役でオナニー役やってるとか。もう俺が女形でオナニーさせてあげたりとか、もう何でもやってるんすけど。もう何でも屋なんだけど、大体ね、相方になるっていう感じですね。AIっぽいんですけど僕のやってることが。そういう人たちも、もう僕の結論は、僕が自分でやばいと思ってるのは、僕と触れると全員死んでないっていう。4万9999人がその後に死んだパターンとかはあるんですよ。あとは死にたいやつを殺すやつらがいるじゃないすか。ああいう事件に巻き込まれて警察に僕事情聴取されたこともあるんだけど、その前に僕は助けてたんで。だから、最終的には亡くなってしまった方もいるけど、その電話した直後、周辺3日ぐらいは絶対に死なないんですよね。だからもうそういう意味でもう「頼むから俺を使え!」ってみんなにとにかく今はより思ってて、もう眠れないならもう本当に俺もう新幹線乗って寝かせに行こうかなと思ってるぐらいで。今年に入ってからですね、僕を30年僕の鍼をしてくれてた、15歳から、僕の師匠が亡くなって。その人はもう本当病院嫌いで有名だったから1回救急車で運ばれないと事件性になっちゃうんで救急車で運ばれた以外ずっと家で看病されて亡くなったんだけど。そんときに俺が鍼をやらせてもらって、そしたらなんかすごく気持ちいいって言ってくれて、その瞬間に俺、「今年から人に触れ始めるんだ」っていうふうに思ったんすよ。それまではもう電話だけでやってたんで、声で。最近は僕、爪楊枝でやるんですよね。爪楊枝で背中の脊髄のところをつんつんつんって、ちょっとただ皮膚の上からやるだけなんだけど。今実験をしてるんだけど、85歳で本当にもう歩けなくて死にたいって言ってる人も、やるとやっぱりすぐ歩くんですよね。それで僕自身は一応30年間練習ね、しっかりしてきたから、その素人じゃないと思うけど。これは免許もいらないから、しかもお金も取らないんだし、何にもないからただ自由にできるよって言われて、最高ですねとか言って。今年からその治療院をもう始めようと思って。だからつまり触れると元々はもう僕すぐセックスしちゃうんで、そうするとちょっといろいろ問題になるかなと思って、一応家庭内でも「触れない」っていうのをテーマにやってたんですけど。僕自身も何か一応そのある程度、今はちゃんとセックスをとんでもなく無茶苦茶にできる人はいながら、家庭も家庭で一応収まってきたんで、何となく今その性欲がいい感じで、生き生きとできる状態だから別によそにはそんなに行かなくても済んでるっていう状態で。自分の中で多分コントロールができるようになったのかなと思って。それで何となくちょっと危ないんだけど、なんか自分の中で危ないと思っちゃってんすよ。手を触れ始めると、いわゆるみんなが思うところの教祖になるんじゃないとか、宗教的なものとかとと何か近しいような感じがしてて。でも別に自分は恐れてるわじゃないし、なんか僕はどんなにやってもそういうふうにならないのは、多分お金も何もいらないし、その人たちから。あと僕、あのOrganizationを作るつもりが全くゼロなんで。僕自身がこの10年間でやったのは、ちゃんと自分の法人を自分で作って、その全ての著作権を僕、法人に投げ飛ばしてる。つまり妻がコントロールできるんすよね。うん。なんかそういう感じでこの10年間ってのは多分、ある程度自分が完全自由で、とにかく困った人をすぐ新幹線で迎えに行って、すぐ1人1人助けられるような環境作りをしてたんじゃないかなっていうので。僕のイメージとしては2025年ぐらいにやっぱり革命を起こしてるんすよ、やっぱり僕自身がやっぱり。それは別に現政府に抵抗してるんじゃなくて、すごく優しくてもう腹抱えて笑えるんだけど、ちゃんと自分の中ではかなり明確なレジスタンスとしてやってる感じがあって。そのドキドキ感と武者震いと恐怖心とかそういうのがちょっとあったんでしょうね。だから多分宮台さんに、ここら辺で1回ちゃんと自分の考えと多分覚悟と、もうほとんど僕命のあれはもう全く放り投げてるんで、死はもうほとんどいとわない状態でいるんですよね今の感覚として。ちょっとマジで、本気でやろうっていうのが、その、もうこの社会が崩れてるのはもう全員自覚してる状態だと思うんで。でもまだ何か恐怖心を植え付けられてるから、どうやったらそれが現実的かっていうのを、実際にね、この革命の手ほどきをちょっと今日はね、いろんな話を聞けたらななんて思ってんすけど。

[宮台真司]
あのね、前段の方でおっしゃったことはねとても興味深い。あの宮﨑駿のね、最新作、「君たちはどう生きるか」とも繋がる部分があります。まず抽象的に言うとね、さっき言ったように人はカテゴリーとテンプレートの中に閉ざされているわけだよ。だから自分の目の前にいるこれが母、これが父、なんて自分は不幸なんだ、というふうになる。ところで坂口さんは、レイ・ブラッドベリの「火星年代記」のエピソードの中にあるけど、人が見たいものをそこにね、見つけることができるような、鏡みたいになるわけですよ。だから女になったり男になったり、父になったり母になったりすることができるっていうね。だから、カテゴリーとテンプレートの外に自由自在に出ることができる存在なんですよね。だからそれがちょっと、社会の中に閉ざされた人ではない坂口さんが、救いの光になるっていうことの意味だと思うんですね。ところでね。「君たちはどう生きるか」っていうアニメはね、数年前の「テネット」と同じで、謎解き・当てはめ、隠喩解読動画ばっかりでしょ。見て、また始まったぜって失笑するわけだけれど。宮崎さんのやりたいことは、そんな謎解きじゃないんですよ。あの作品はね、ルイスキャロル、数学者のルイスキャロルの「不思議な国のアリス」アリスインワンダーランドと同じで、穴に落ちて、でたらめを経験して、穴から出てきて、あぁ夢だったのか、なんだ夢か、と思ってみたら「穴はありました」っていう、その話と構造が全く同じで。結局でたらめを経験して、その中で長くそのでたらめの世界にいることで、この世界が非常に制約されて、閉ざされたものだってことに気づく。もっと言うと、それに気づかず、キャラとテンプレに閉ざされた人だらけ、見えるものだけが世界だと思っている頓馬だらけ。元々、科学的に言えば、生態学的全体性っていうのは、元々、宇宙全体、世界全体なんですよね。例えば僕たちがここにいるのもね、少なくとも6回の大絶滅の末で、その大絶滅の大半は全球凍結っていう氷河期によって訪れていて、その多くは矮小銀河とかね、暗黒星雲に僕らの太陽系が突っ込んだってことによって、太陽系っていうか僕らの太陽系がある銀河の界隈が突っ込んだってことによって、成り立っていると。そう考えると、僕たちがここにいるっていうことと、そういった天体の分布ってめっちゃ関係してたりするじゃない。そんなの、実は科学を少し勉強するだけでわかるんだけれど、そういう勉強は学校で教わってない。生態学、あるいは生態系っていうと、エコロジー、自然を大切、みたいに考えられてしまう。でも、いわゆる生態学的な全体性イコール宇宙という観点からすると、大絶滅があって、例えばね、6600万年前の、あのメキシコ湾への隕石の衝突による恐竜の絶滅、あるいは****の絶滅がなければ、僕らの今の社会はないし、人類もいないわけじゃないですか。だから、そこでは死も生も等価なんですよね。死は生を支え、生は死を支え、ぐるぐるぐるぐる回ってるっていうのは、単にマヤの固有文明ということではなくって、生態学的な思考をすればそうなってるってことは当たり前。宮崎さんはやっぱそこにやっぱり注目している。世界は、でたらめ。こんがらがった、本当に全体性なんだけど、そのほとんどは見えなくって、氷山の一部の上の1割だけしか見えない、みたいにして一部だけが見えている。ところが、多くの人はそれが世界だと思ってる。見えるものが世界だと思っている。で見えるものっていうのは言語に拘束された社会的な、キャラ&テンプレの上での牢獄の中にいる人たち。ていうふうな、閉ざされの外を指し示す、指し示すというか切り開く坂口さんはやっぱり光であると同時に、大げさではなくって、やっぱり革命的な営みをしていると思います。

[宮台真司]
だけど、宮崎さんは、今日詳しくは言わないけど、デビュー作のナウシカから一貫して、今僕が申し上げたようなモチーフを展開しているんだけど、なぜか「親も子供もみんな楽しめる物語・作り手の名手」みたいな、そういうこれもテンプレですけど、その扱いの中に閉ざされて、その閉ざされに対して、宮崎さんは、自分自身のふがいなさも含めて、すごい怒っていて、「そうじゃないんだよ、見えるものだけが世界だと思ってるお前は何者なんだ。」というふうに考えている。だから、母は、母だと思えばそれは母。母だと名乗るもの、人がそれを母だと呼ぶものが母だというのは馬鹿げている。だからそのメッセージをね、坂口さんがお伝えになっているだけで、ものすごい革命的なんですよ。僕なんかは、坂口さんのような、何て言うんだろう、詩人的才能がないんで、しょうがなくて、ロゴスを使って喋ってるけど、坂口さんのやってらっしゃることは、僕がやりたいことと、本当に同じ、同じ方向性を持ってるっていうふうに思う。だから見えるものだけ見てんじゃねぇよ。だから視覚ってね、アイサイトの視覚って、やっぱよくないんですよ。実際見える物が全てだと思っちゃう。

[坂口恭平]
だから視覚っていう概念が狭いって思っちゃいますよね。見るってもっと違うから。それこそまぶたを閉じても見えるわけだから。そのことが閉じてるって感じですよね、視覚自体が。僕は最近、パステル画っていうので風景画を書いてるんですけど、と同時に僕はその水彩画で僕の頭の中の思考都市も書いてるんですよ。どっちも視覚なんすよね僕の中では。だけどそれは具象と抽象と言われてるんすよね。風景の方は具象画で、まぶたの方は抽象画で。僕の場合逆、その言葉を使うんであれば逆なんですよ。僕にとっての具象が思考都市であって、それが現実という切片で見える抽象が風景画っていうか。だけど、本当の具象、自分の中の具体的なものっていうと、やっぱり本当に自分が見えるものっていう意味で、具体的なものっていうのが全部言葉にならないんですよねやっぱり。いのっちの電話ってまさにそこをちゃんと自分のランゲージで伝えるっていうのができれば、一瞬で終わるんですよ、だから。そのときにいわゆる、それこそロゴスが使えないんだけど、やっぱり「ムジカルロゴス」なんですよね。やっぱりミュージックがないと駄目で、リズムがないと駄目で、なんていうんすかね、もうほとんどね、僕はその電話で「死にたい苦しい」とか言うじゃないすか。それ全部僕右でメモってんすよね。そしてその後にこうやって「(歌)死にたい、苦しい。母親から虐待され」っていうともうその人の嘆きの電話が、全然変わるじゃないすか、言葉が。その人聞きながら泣いちゃってるんですよ、自分の嘆いた言葉で、「(歌)体も売ってみたけど、Hのとき、イったことない」みたいな。だからそういうふうになんかこうね、ぴゅって、音楽が鳴るとフワッてスライドするから、本当に僕は「何でも屋」でよかったなというか。だけど、何でも屋って、なんで何でも屋なんだろう俺と思ったら、僕はレヴィストロースの「悲しき熱帯」の下巻がすごい好きでずっと読んでるんすけど、その下巻の中に、「気前の良さ」っていうのを書いてて。族長っていうのは、気前がいい。器用だっていうのは、「精神的な気前がいい」ことだっていう。技術的な気前がいいこと。つまり総称すると「気前がいい」ってことなんだと。で、何でもできるっていうのは、気前がいいっていうことだと。気前がいいってやつの唯一の職業が、族長なんだっていうふうに僕は読み取ったんですけど。自分の憧れの職業って全然ないや、なんでも適当にやるのが好きで、僕はほらね、一貫性持ちなさいとか、他のことやらないで、っていつも中途半端中途半端と言われてたから、中途半端どころか俺は楽しいんだけど君たち楽しくないからちょっと離れてみたいな感じで僕は一切そういう攻撃を受けずに育ってたから。多分みんなはそれを強制されてしまってるんすよねほとんどの人が。

[坂口恭平]
僕いまだに、9歳の時に「好きです」って言おうとしたけど引っ越したまま離れ離れになった女の子に、この前30年ぶりぐらいに会いに行って、「メル友になってもらえませんか」って言って。未だにずっと毎日書いた絵と詩と文章送ってんすけど。それで、でもその人が「きょう君は、9歳のときから何にも変わってない。1ミリも変わってない」って言ってくれたんですよ。洗練だけされている、って言われて。ほんとですかって言って。もうそれだけを頼りに僕。あとは小学校一年生のときに、僕に「命のおかわりはありません」って言ってくれた1年2組の担任のさとうのりこ先生という人にも会いに行って、「先生の"命のおわりはありません"という言葉をそのまま全て受け取って今はいのちの電話をずっとやってます」と。そのときは意味がわからなかったけど、なんか忘れてはいけない言葉のような気がしたからって言って、そしたらその先生も僕のお母さんも僕の兄弟のことの細部も全部覚えてくれてて、「きょう君は本当に何も変わらず今もそうやってやってるんだね」っていうふうに。「ウサギが亡くなって、男の子が馬鹿にしたときにあなたはすごく怒ったもんね」っていうふうに言われてなんかね、僕がやってるのって別にそんなに知性でやってるわけじゃないんでね、ほんっとの素直な気持ちなんすよね。ほんっとの素直な気持ちしか通じないから、死にそうな人っていうのは。

[宮台真司]
あのね、知性っていう言葉をね、どう使うかっていうことだと思います。でね、「悲しき熱帯」のレヴィストロースは、僕たちが当時未開人って呼んでいた彼らの知性を「ブリコラージュ」って呼んでますよね。ブリコラージュっていうのは、要するに、あるものを継ぎはぎをする、簡単に言うとないものを探し嘆くんじゃなくて、あるものを何か意外な仕方で組み合わせて、何か意味のある、つまり有効なものを作ってしまうっていうことがある。気前の良さっていうのは、簡単に言うと何でもあり。なんでもありだが、しかし、目的を達することができるっていうところにある。だからその意味ではね、坂口さんがね、ある種節操もなく、何にでもなる、何でもやるっていうのは、レヴィストロースがいう意味でのね、元々の人類学的な知性のあり方ですよね。

[坂口恭平]
だから何でもできるおかげで何がわかるかというと、僕は、出会ったらその人が何をすればいいか一瞬でわかるんすよ。その人の適材適所が僕は多分世界で一番、誰よりもわかると思うんすよ。しかもこれどんだけ自慢しても自慢にならないというか。だってその人の特性がわかるんだから、その人がただ生き生きするだけじゃないすか、なんていうか。そして僕はそこから仲介料1回も取ったことないんすよね。つまり僕自分の経済が完璧できる人間なんで、事務も経理も、僕自分の法人作って、年収もそれこそ5000万あるんですよ。だから何にもいらないから、もういくら足りないかしか聞かないっすよ、その人たちに。しかも速攻で30万振り込めるんすよ、「シングルマザー? はいわかりました、30万」って。ただ僕は「お金をくれ」って言った人には1回も振り込んだことなくて。そういうことじゃないだろうっていう。真面目にちゃんと死と向き合って悩んでたら、支えたくなるっていう感じでやってて。だけど、そういう、なんかね、もう別になんていうか、「金がないなら俺んちきて飯食ってればいいのに」ていうのがなんでできないのかわかんないし。俺はなんでできないのかっていうので、社会に対して怒るんじゃなくて、「全然余裕でできます」ってのを見せつけたいんすよね、みんなに。超余裕でできますっていうか、お前らがなんか焦って、「でも人は心配だけどうちはうちで守らなきゃ」とか言ってる横でボンッて全部蹴り飛ばして、「はい余裕でできま〜す。みんなでご飯食べてますここで」っていう感じで、やりたいっていう、まぁやってきたんだけど。だけど何か、ある実効性を持ってきてるなっていう実感もあるんすよ単純に。今までは馬鹿にされてたけど、もうもはや誰も馬鹿にしてないっていうか。熊本市長なんかも普通に業務委託したいって言い出して。いや、僕をまた公金で囲むなって言って。1円もいらないし、全部協力してあげるからって。あなたたちでやりなさいって。精神福祉士をちゃんと年収300万から400万をきちっと払ってあげて、何百人も雇ってあげて、1人も自殺者が出ない町を作ったら一瞬で世界一の町になるのに、何でお前らそれをやらないんだって。なんて政治的な能力がないんだって思っちゃうんすよ僕は。僕が政治家なら一緒にその町になるよって。

[宮台真司]
でもね、熊本市長、素晴らしいと思いません。

[坂口恭平]
そうそう、そうですよ、僕を受け入れてくれてるんで。

[宮台真司]
それすごいと思いますよ。

[坂口恭平]
だから可能性はありますよ。だから鬱明けに一番はじめにDMくれるのは大西市長なんすよ。「今回恭平君が死んだらもうどうしようかと思った」って言ってくれて。

[宮台真司]
すごいな、あのね。適材適所がすぐわかるんだよねっておっしゃったでしょ。これもやっぱりブリコラージュ的な知性なんですよね。坂口さんの生というかリビングを営んでいる、坂口さんの人生を生きているというそのことによって、他の人が、それこそカテゴリーとテンプレートの枠の中で閉ざされているとすると、坂口さんはそうではなくて、物がそこにあると、物の訴えが聞こえるんで、人がそこにいると、他の人がどう思うかに関係なく、その人の存在としての訴えが多分聞こえるんですよね。だけどいろんな訴えが、これは社会っていう枠の外から紡ぎ出されるものだと思うけど、それを見逃さずに組み合わせ、あるいはそれを何て言うんだろう、上手く配置、つまり「あなたはここにいればいい」みたいなね、ことを言えるっていうことだろうなって思うんですよね。ただ、さっきの大西市長、そういう人がね、もし今の3倍4倍いれば、日本って相当素晴らしい社会になると思いますよ。残念だけど、坂口さんのおっしゃっていることの意味が、今の段階だとまだ多くの人にわかってもらえないっていうのがあるよね。

[坂口恭平]
そうですね。だからって、僕が政治家になればいいわけじゃないじゃないすか。僕はこの状況でいなきゃいけないし。っていうかなんなら、人がやらないんであればもう僕がここで政府を作るよ、っていうのがあのときの新政府だったんで。やっぱり未だに、その新政府は、10年、11年経験を積んだっていうことで、あれはただの僕の妄言じゃなかったんだっていう意識がやっぱすごい強いので。本当に俺は新政府を作って、総理大臣としてやっぱりやってる、やってるのかもしれないって最近は思うようになったんですよ。

[宮台真司]
思います。でね、その逆方向、つまりね、坂口恭平さんは、本当はね、まぁテレビだな。テレビとかに出られたらインパクトあるよね。でもテレビに、出せない。理由は、MCにしろゲストにしろコメンテーターにしろ、坂口さんに全く対応ができないわけ。どういうふうに問答していいかさえわからないわけだよね。

[坂口恭平]
僕と宮台さんの対談だったらいいですよね。

[宮台真司]
だったら多分大丈夫だと思うけど。

[坂口恭平]
でも多分ね、僕はもう、いや僕NHKスペシャルも、1時間半ぐらい特集したいっていうことにもなってたんすよ。だけど、やっぱり僕が今まで経験した結果は、僕の目の瞳孔が映る場合はもうね、上がOKしないみたいですね。自分の経験上。多分わかるっていう、危ないっていう。違うのはわかるんですあの人たちも、だから違うものをやっぱり入れられないんですよ。そういうことかなっていう感じでしたね。もうテレビでやろうっていう意識が僕の中にはないからやっぱり今全部断ってんすもんね。昨日も来ましたけど、おはよう日本でNHKでやりたいっていうの。でもやっても、俺もなんかすごい不完全燃焼みたいな感じでつまらない気持ちになるから。ただ、会いたいから会いに来るっていうのはいっぱいありますよだから。会いにだけ来て、どうせお前ら尾崎豊の「15の夜」すらなかけられない世界にいるんだよねっていう。不良を作っちゃいけないもんね、みたいな。

[宮台真司]
だから難しいと思うんだけれど

[坂口恭平]
でも出た方がいいですかね。

[宮台真司]
そういう気もする。

[坂口恭平]
宮台さんとなら、僕企画してしてくれたら出たいっすよ。

[宮台真司]
わかりました。NHKの人も多分聞いてると思うから、ちょっと参考になる事例です。1995年頃に、NHKスペシャルでね、援助交際特集をやろうというのが立ち上がった。2回とも、部長会、つまりトップクラスの人間たちの中で、これは無理ということになった。その理由は、元々僕が1993年に、援助交際を紹介する朝日新聞に書いた記事、これはデスクが最初NG、これは載せられないって言ったのを、ある記者がですね、本当に徹夜で交渉して、載せさせてくれた。でもその結果。実は僕んとこに取材が殺到して、ネットワークを公開・紹介しちゃったんでその後、連日連夜援助交際の高校生たちがテレビに出て、ブームになるってことになったんだけど。そのね、朝日新聞載せられないと。あるいはNスペ駄目よっていうふうになっちゃう理由が、3人とも、3回とも、全く同じだったんですよ。それは「人々が、不安になってしまうから」。もし不良少女がやっているのか、お金のためにやっている、どうだからっていうことだったらば、不安にならない。

[坂口恭平]
なるほど、ある意味肯定されてしまうとやばいんですよね。

[宮台真司]
だけど実際には、援助交際の出発点というのは、例えば進学科と普通科が両方ある高校で言えば、進学科の子たちが始めてるんだよね。あるいはむしろ、どう言ったらいいだろうな、つまり、女の子たちが「かっこいい」っていうふうに憧れるような高校生たちがやり始めたから、もう突発的に広がったんですよ。もし、不良少女がやっていたら、貧困女子がやっていたら、広がるわけがない、当時はね。それが僕の訴えたいことのポイントだった。「宮台さん、それが駄目なんだ」って。「あなたの言うことを聞いたら、みんな子供がいる親たちは、うちはお金に不自由がない、うちの子は周りの子から憧れられている、だから不良にはならない。」いや、だから、そういう子が憧れられているってことのある種のリソースを持っているっていう状況で、援助交際になるよねみたいな話は、無理ですっていうふうになって、結局全部駄目になったのね。でね、当時に比べるとね今ね、やっぱりある視座から見ると、状況良くなっていると思う。というのは、坂口さんがさっきおっしゃったように、日本はもう駄目だなってことを多くの人が分かるようになった。東京オリンピックの失敗と、コロナ政策の大失敗。これによって、日本は本当にもう駄目なんだってことが分かった。その証拠に、「日本はすげぇ」系の番組って、半減というか3分の1以下に減ったよね。それでやっぱ「日本すげぇ」系の、ウヨ豚系書物っていうのもずいぶん減りましたよね。「日本すげぇ」とかって言ってる奴は頭の悪さがすげえだけだみたいなこともはっきりわかった。だから僕はもう2015年ぐらいからね、この統計を示しながらですね、日本はいろんな意味でもう終わってると。いろんな意味ってのは皆さんツイッターとか見ていただければわかると思うけど、これはもう長期的に回復の可能性はない。だから、昔の逆ですよ。みんなが不安になっちゃうからそんな番組はできない。逆だよ。今は不安になってもらわないと困るんだよ。これで前に進めると思ってるやつの頭が腐ってるよね。

[坂口恭平]
でも逆に言えば、今、NHKの人も毎朝5時から、15分だけ俺に時間くれと。そこで、その公開いのっちの電話をやって、一言、俺がみんなに、朝仕事行く人に向けて、あとは引きこもってる人に向けて、「死ぬなよ」と。死ぬぐらいだったら09081064666にかけろと。それで、俺はもう対応すると。俺朝日新聞乗っちゃったとき1日100件来てたんすよ。で、全部対応したんすよ。もう死ぬかと思ったけど、でも死ぬかと思ってても、勃起してたっていうか、興奮してたんすね、嬉しくて。これいける、と思って。もうなんか俺、自分が、自分で書きたいと思ってる小説の完全なメインキャラクターになってて、こりゃ最高だと思ってて。だから何かそういう状態が毎日訪れたら。なんこの前やっぱイスタンブール行ったら、イスタンブールもやっぱ毎日お祭りな感じだったんですよ、僕からすると。

[宮台真司]
なにしにいったの?

[坂口恭平]
いやもう、ただただ過ごしに行ったんですよ。そこにアヤソフィアっていう世界遺産があって、そこのモザイク画のキリストが俺にただ似てるっていう情報を聞きつけて、そいつと対面してこいって言って行ったら、キリストが俺に何て言ったかっていうと、「お前は肉体を持ってて幸せそう」って言ったんすよ俺に。「お前は触れられるし人に。俺も、今のお前の時代だったらTwitterやってたし、携帯電話でバンバン電話受け取ってたもん」って。「お前は今もう法人で、金も持ってるしパンもなんも全部食わせられるし、幸せそう」って言われて。俺、そうだよそうなんですよと思って。キリスト様、みたいな、俺、頑張るんで見といてくださいって思って。そのまま帰ってきましたけど。どうだった、って言われて友達に、「キリストが羨ましそうに俺を見てた」って言ったらら爆笑しててみんな。

[宮台真司]
僕はね、クリスチャンでしょ。クリスチャンとして、今の坂口さんの話ってね、二つの意味ですごい正しいんですよね。坂口さん今ね、「見る神」の話をしたのね。だから、見てくれるイエスっていう話をしたんです。これはね、ついこの間、東京カテドラル大聖堂、マリア大聖堂っていうところで、東京カトリック教区の事務局の依頼でちょっと喋ったんですよね。あの勅諭のポイントは、「私をお救いください。罪を犯します。犯したけれど、ちゃんと神様にそれを打ち明けて、反省しました。だから救ってください」これは残念だけど、あり得ない発想なんですよね。これはマックスウェーバーっていう社会学者は、神に取引を持ちかける、罪を犯さなかったので、罪を悔い改めたので救ってください、これは、要するに、「罪を悔い改めたのになんで救わねぇんだよ」っていう「神強制」なんですよね。こんなものは、旧約聖書を暗記していたイエスには言えない。つまり、ヨブ記ってそういう話なんですよ。私はなんでこんな敬虔な、神を信じるものなのに、こんな悪いことばかり、災いばかり与えるんでしょうか」みたいな。そういう問答は元々あり得ない。神は「救う神」ではなくて、「見る神」なんですよ。「見る神」っていう意味はね、要は単純なことで、これは前の教皇、ベネディクト16世もちゃんと書いてることだけど、どの世界にも「見る神」は必ずいる。「私は、皆を助けたい。みんなのために生きたいと思っている。頑張っているけど、弱いのでへたれそうです。でも、あなたが見ていてくだされば、私には奇跡の力が出ます」。これが本質的なキリスト教の祈りだよっていう話を、させていただいたんですよね。それと、あともう一つね、これやっぱり前の教皇がちゃんと書いてることなんだけど、短く言うと、よく「エデンの園で、蛇がそそのかしたので、イブが知恵の木の実を食べました」っていう話があるじゃないですか。それで罰として追い出しました。これはでもね、創世記第2章だけで読んでるからそうなる。第1章との兼ね合いで言うとこれありえないんですよ。(音声途切れる)どこまで聞こえたかな。要するに、神はわざと蛇にわざと唆させて、神の善悪判断とよく似てるけど、全て間違った善悪判断をするように人間を作った。なぜそんなものを作ったのかっていうと、これが面白いよね。全能な存在が、完全な社会を作っても、トートロジーで何の面白さもないよね。だから、自分の全能さを使って、全能の自分でも全く予測できない不完全で未規定な営みをする人を作った。全能だから何でも作れる。自分が予測できないものを作れるんですよ。じゃあなぜそんな不完全で未規定のものを作ったのか、「ハラハラして見ていたいから」って言うんですよね。ハラハラして見ていたいから作った。面白いでしょ。これがね、前の教皇が書いてることが面白いんだよ。さらにそれだけじゃないんですよ。「なぜイエスを送り込んだのか」 これは、神はほら、全能の完全な絶対者、人間はほぼ無能の不完全な相対者、相対的な存在。だから、存在する世界のレイヤーが違うので、交流ができないんですよね。話し合えないんですよ。ところがある時、この全能の絶対の神は、相対の不完全な人と話したくなった。だから、ある種トランシーバーのようなものとして、イエスを送り込んだ。この発想すごいなって思うし、これもね、僕は坂口さん見てると、ちょっとイエス的なところがあるなと。僕から見すると非常にキリスト教的なんですよ。つまり不完全であるがゆえに、その不完全さそのものが福音なんだよね、っていう感覚が、ある。だって完全なものなんてさ、見てても何も面白くもないしさ。そもそも見る意味もないじゃん。僕も、坂口さんもそうだと思うけど、めちゃくちゃ不完全だなって思うから、誰かに見てもらいたいなと。見ていてくれればちょっと力が出るかもなっていうふうな気持ちにもなるし、ある意味、不完全であるがゆえに、ちょっとでたらめな、見てらんないような人と話したくなる。おいおいちょっと俺と話さないかっていうふうに言いたくなるっていう感じ。だからそういう意味でね、僕がこないだ東京カテドラル・マリア大聖堂で話したばっかりなんだけど、その話と、僕のイメージの中ではね、坂口さんのその存在のあり方がね、すごく重なってるなって思うんですよね。

[坂口恭平]
うん。いやほんっとそうですね。キリスト教者の人からは結構連絡来るんですよね。だからそれを読んでると、何か僕の行動が、そこにうん、刻印されてるように感じるみたいで。だからなんか、しかも一応キリスト教者なんで、いい感じに盛り上がってもベッドインできないっていういい感じのやらしさもあってね。なんか、なかなかいい感じなんすよね。そういうのもなんか面白いと思ってて。

[宮台真司]
それもね面白いでしょ。つまりさ、もしベッドインして射精して終わると、それで「はい、フィニッシュ」なんですよ。フィニッシュってあんまり良くなくてね。フィニッシュしたあと人は多くの場合例えば賢者モードになったり、なんでこんなやつとしちゃったんだろうなってなったりするんですよ。そういう意味で、「未完で終わる」っていうのは、とても健康です。

[坂口恭平]
僕、だから挿入ってのはしないんですよ。僕、指がすごいいい感じみたいで。僕が指でだいたい6回ぐらいイかせるんすよね女の子。それで僕は挿入もしないで終わるっていうのが大体僕の最近のセックスですね、最高の、僕にとっての。まぁどうでもいいんですけど(笑)

[宮台真司]
いやあのね、セックスの話はね、うちの子供たち3人が、あのね、みんな聞いてんだよね、俺の動画とか。

[坂口恭平]
ですよね、ですよね(笑) 本当はしたいんですよね。ちょっとセックスの話はまた今度ちょっとクローズドでやりましょう。

[宮台真司]
そうですね、本当にその方がいいと思いますが、ただ、要するに総じて言うとね、やっぱりあのテンプレートってよくなくて。やっぱり「こうすれば相手が喜ぶはずだ」ってそれは思い込みじゃない。相手の目を見て、目だけじゃないよね、要は表情、息づかい、体温、顔・肌の色とかを見て、何をすればいいのか、あるいは何が十分で何が不十分なのかってそれで十分わかるわけだよね。ところがアダルト映像みたいなものを見て、今日はこれをやるぞみたいな、いわゆる何とかプレイ系っていうテンプレに進もうとするクズがやっぱり多いでしょ。で、女の人はまぁ自分が好きなね、イケメンくんがそれやりたいって言うならやってもいいけど、みたいな同期の人が大半で。自分でそれをやりたいと思ってやってる人はもう過去20年ぐらいすごい少なくなっちゃったんですよね。だからね、やっぱテンプレを外して、絶えず反応を見ながら、過不足なく相手が喜ぶことを、幸せになることってするっていう。

[坂口恭平]
そうですね。僕自身は、多分挿入なしの遊女のような感じで男性も女性も対応してるんですよね。僕は男性に対しては「さち」っていう人格で対応するんですよ。

[宮台真司]
「さち」ねぇ、うん。

[坂口恭平]
「さちです」って言って、もう電話なんで、女の子の声出せばもう女の子と思ってくれるんで。「(女声で)はい、裸になります」

[宮台真司]
なるほど、出せるのね。

[坂口恭平]
「(女声で)あ、宮台さん、はじめまして。さちです」とかって言って、それで対応するんです。それで「さち」として、その人たちを励ます。だからもう、本当は1人1人、とりあえずはまず日本だと思ってるんで、日本人全員に1人1人面談させてくんないかなと思ってて、俺。もう、それをしたいんですよね本当は。まぁ健康じゃない人、健康な人はとりあえず置いといてっていう。だってその人たちは気持ちわかってくれないから、基本的に健康な人に興味がないんでね。

[宮台真司]
「人間っていうのはあなたが思ってるものじゃない」っていうのを知るには、坂口さんと一対一で喋るのが一番いいよね、きっとね。

[坂口恭平]
だから、「自分というものはあなたが思ってるようなものじゃない」んですよね。だからそれに俺は気づいてほしいから。しかもそれが一瞬で見えちゃうんです、僕の場合。それが見えるっていう。僕の中の一番の「見える」っていうのはその人の街が見えるわけで。それがもう「君は人間だと思ってるけど、実は街で、生命体で、森で、植物で、ミミズだから」。その人の鳥とは何かというのを説明できるんだけど、本当は僕は。でも今んとこね、13万人僕フォロワーいるんですけど、つまり13万人には全員伝わってる自覚があって、やっぱり僕の国ってのは多分ね1億2000万人はいないですね。僕の国ってのはやっぱり13万人、少し多く見積もっても20万人規模の都市国家なんじゃないかなっていう感じで。そういう都市国家をおそらく日本の中に作ってしまうんだろうな、という感じはありますね。

[宮台真司]
よくわかります。今のね、人数規模はとても面白いですよ。学問的に言うとね、定住の前の流動段階では僕たちは150人以下を仲間だと思ってきた。だからもう遺伝子的には150人以上を仲間だとは思えない。ただ、定住っていう条件を前提とすると、ジャンジャックルソーが言ったことだけど、例えばね、ある決定がなされるときに、僕はそれで構わないけど、あの人はどう思うだろう? この人はどうなるんだろう?っていうふうに想像ができて、気にかけてしまう。これはね、2万人っていう規模なんですよね。沖縄でリサーチしたんだけど、30年間以上前だけど。いろんな離島があるんだけど、2万人を超えると突然「匿名圏」が出てくる。その人あの人はって想像するにもなにも知らないから、全然想像も出来ない。当時の石垣島だよね。当時の人口9000だと、大体最近坂口さんに会ってないんだけどどうしてんのかなっていう僕の隣にいるやつ聞くと、大体「あぁ坂口君はね」っていうふうに繋がるっていう規模。この規模だとジャンジャックルソーの言う、気に掛けて、想像できる、これをルソーはピティエって呼んでるんだけど。でね、ヨーロッパではこの規模を基礎自治体、自治体の基礎ユニットって呼ぶんですよ。ところで昔ね、鳩山由紀夫さんの憲法草案というのが出されたときがあります。このときはね、20万、さっき坂口さんがおっしゃった。これ僕もアドバイスしたんですけど、20万っていう規模が、かろうじてね、一つの共同体・国のようなものでありうる一番マックスのボリュームなんだっていうふうになるわけです。それはね、なぜかっていうと、僕85年にできたテレクラの初期からのマニアで、全国もほとんどの割り切っているから。ナンパをしていたんですけど。人口20万が一つのね、上限なんですよ。20万以下の地域にできたテレクラは、残念だけど、潰れます。

[坂口恭平]
なるほど。じゃあ僕の体感人口は結構合ってるんですね

[宮台真司]
合ってる。でね、要はね、人に会っちゃうんですよ。誰かに見られて噂を立てられる。でもね、20万を超えると匿名圏ができる。アノニマスな空間っていうのができるんで、そうすると、そういう、いわゆるナンパ系の遊び、****が誰にも見られず、できるようになる。だから、20万を超えてないと駄目だよねっていうこと。そういう意味で、匿名権が、厳密な意味で存在できる。

[坂口恭平]
できるっていうのがね。匿名権がないとね、知性が動き回らないんすよね。

[宮台真司]
そうですね。だから20万というのは、適切な規模。

[坂口恭平]
なるほど、ちょうどいいんだ。僕今13万人の中で、この前も、両親がいなくなった高校生、お金が必要1、0万円ぐらいあげようかって言って。でも高校生に10万円あげちゃうとちょっとあれかなと思って、ちゃんと10万円稼いでみようかって言って。君何ができるって言ったら文章を書くのは嫌いじゃないかも、みたいな。それぐらいでいいよっつって、何か詩書いてって言ったら、その詩を書いて僕に送ってきて。100枚かけるって言って、100枚かけますと。じゃあ1枚1000円で僕のオンラインショップで今から販売しますと。それがもう30分後には完売するんすよ。それが僕の今の共同体で。もうそれで10万円が僕の口座に2週間後に入金されるから、僕は妻に電話をして、もう10万振り込んでもらっていいって。10万円はうちに口座に入るからと。そしたら即金でオンラインで彼の口座に振り込むことができて。その日に彼が言ったのは、なんと会ったこともなかったお母さんのお母さん、つまりおばあちゃんという人が現れて、その人にもらわれることになりました、って。じゃあおばあちゃんに何かいい飯でも食わしてやんなよっつって。その10万は自分で持っておくと気持ちがいいから、感じがいい人にちゃんと食べさせるんだよって言ったのとか。あとはちょうど僕は絵を描きながらずっといのっちの電話できるんで、絵を描きながら僕スペースをやってて。そこに人生相談みたいな感じで借金で困ってる女の子で、なんかこの子はちょっと払った方がいいなと思って、来月いくら払うのって聞いたら、17万5000円って言ったから、僕の絵は大体16万5000円だから、16万5000円で売れば、値段は変えないつもりだからいつも、16万5000円だけど、その支払いできるよねって。お客さんいますかって言った3分後、5人も「買います」なんですよ。その一番最初の人にお金を払ってもらうようにしたら、17万5000円振り込んでくれて、しかもその人は絵をいらないって言ってくれて、僕の絵を。僕の絵をその女の子に見せたら、「私が唯一楽だったおじいちゃんちと過ごした家とそっくりなんですけど」って突然言い出して。「なんで知ってるんですか」っつって。いやこれは山梨の北杜市でこの前ただ前見つけて気になった家だから描いたんだよって言ったら、そのお金払ってくれた人は、絵はいらないからその子に送ってくださいって。そういうようなのが僕の今のこの共同体では一瞬でできて、30分以内にほぼ全ての金銭的な問題は全部解決しちゃうんですよね。

[宮台真司]
なるほど、今の話ね、すごく印象的で。これ聞いてる若い人が多いと思うんでね、格差社会はいけないっていうふうにテンプレで喋るようになってるけど、本当に格差社会がいけないのかどうかってことは実は条件次第なんだよな、っていうことをね、ちょっと一つの例でお話したいと思うんですよ。今、坂口さんがお話ししたのは、ある種の贈与経済なんだよね。僕らの社会には市場、マーケットはあるけれど、その気になれば贈与経済のサブ領域って作れるわけだ。ところでね、沖縄って、統計的な指数でいうと、すごく格差が大きいんですよ。昔から多くて、今も大きいんだけど。ただこれ例えば、僕が調べた1990年代、2000年期になる前は、あのコザ、コザは何だっけ、沖縄市で昼間から遊んでる、ちびっこギャングみたいなのいっぱいいるわけよね。「いや君さ、どうやって食べてるの」って聞くと、おばあちゃんの軍用地借料、沖縄ではそういう言い方するんだけど、それで食ってます、と。つまり、主に米軍からもらえるお金、これをおばあちゃんからもらってます。つまり、当時の沖縄って貧富の差はあったんだけど、今坂口さんのおっしゃった共同体があったんだよね。この場合、血縁あるいは血族の共同体なんだけど、その共同体の中にすっごい金持ちのおばあちゃんが、あるいはおじいちゃんがいて、そこに貧困のやつらがたくさんぶら下がって、遊びながら食えたりするわけ。あるいはね、当時沖縄って日本一、圧倒的な失業率で、離婚率も高かった。これを沖縄社会が駄目な証拠だよねっていうふうに、あの内地の人たちは使っちゃうんだけど。これも調べれば全然違ってて、その当時、沖縄の一番大きい国立大って琉球大でもね、就職率って5割切るぐらいだった。ここを理解すると面白いんだよね。要はそんなに必死に就職しなくっても、血縁ネットワークの中で食べていける。離婚するのもやっぱり内地とはだいぶ違っててね、嫌だったらいつでも帰ってこいっていう血縁ネットワークの引力があるから、嫌だったら実家に帰ろうという感じで離婚する。だから、共同体があるから階層格差もそこで吸収されるし、共同体があるから無理して就職せずに失業のままでいるし、共同体があるから無理して頑張らないでもう実家に帰るわっていって帰るっていうことがある、みたいなことでね。実際は共同体というサブ領域さえあれば、皆さんがつらいと思ってることのかなりが吸収、あるいは緩和できるよね、少なくともね。

[坂口恭平]
僕の今の自分の共同体のあり方として、いわゆる困ってる人って友達がいないわけですよほとんど。それで僕の場合はこういうふうに伝えるというか、実は多くの人が実は本当に死にたいというときに電話する人は実はいないから、そういう意味では状況としては一緒であるどころか、君は、死にたいときにに速攻で電話して午前3時でも1コールで出る人がいるよねっていう、俺なんですけど。ってことは、深い友達がいるっていう。深い友達っていうのがすごい重要だから。深い友達が1人いれば十分だから。もう僕の共同体としてはマンツーマンの完全フルオーダーメイドの1人の完璧な友達としてその人の前で存在できるかっていう実験みたいで。それが実現できれば、どんな密室で、つまり見えてないわけですよね。僕がその人をどう助けてるかってのは。だけど、その人を本当に助ければ、僕救うという言葉も好きじゃないんだけど、助けるってことなんすけど、困ってるから僕は助ける。一生懸命素直にその人に向かって助ける。で、その人を助けた後にその後仲介料とかもらわず、できるだけ自分のものは投げ合ってみる。で、その後に助けた人・助けられた人っていう関係を作るんじゃなく、ちゃんと友達としてその人の名前を最後に聞いて、電話番号を登録していく。その人が楽しくなったら楽しいときにもメールしてよって伝えてあげる。ていうところまで行くと、もうその人は何か虐げられた人ではもう全くなくなってしまって、今は女の子で1人、かなり厳しい状態から立ち上がった子が「自分の携帯番号も、私も死んでいいから、晒してください」と。「あなたの協力をしたい」と言ってくれる人まで現れたりとか。僕が見る限り、全然できるじゃんって思ってて。この日本でも全然そういう共同体みたいなの作れるし。僕はもう斎藤環さんから、「いや、坂口くんがエビデンスだよ」って言われて。それがなんか嬉しかったんすよ、世の中のエビデンスより坂口くんがエビデンスだよって言ってくれて。

[宮台真司]
わかります。要はね、何のエビデンスかってちょっとまた若い人たちがたくさん聞いてるだろうから言うとね。本当にね、友達がいない、どうやって友達を作ったらいいかわかりませんっていう人多いんですよ、本当にこの10年プラスアルファぐらい。大学生で言うと、何でも話せる、困ったらどんな困ったことでも話せますっていう友達がいる人ってね、今100人に1人もいないくらいになっちゃってる。だから当然そういう、どうやって友達作ったらいいですかっていう疑問が出てくる。でも答えってただ一つで、困ってる人を助ける。そしたら、すぐに友達になれるよ。だから助けるっていうのは、さっきの贈与なんだよね。贈与ほどありがたいものはない。だから、この人は友達になりたいなっていうふうになる。そうすると、でも最近誰が困ってるのか見ただけではわかりません。自分を盛る状態だから、なんつったらいいんだろう、これはねジョック・ヤングっていう人が90年代に過剰包摂社会って言ってたんだけど、昔は地方出身者って訛りがあったりとか、なんか汚かったりして、ブルーカラーもすぐ分かった。でも90年代は年収200万だろうが、年収2億円だろうが、スターバックスラテを飲みながらスマホいじってる。でGAPかユニクロを着てる。服装も同じ。全然見分けがつかない。見分けがつかなくなると、足元見られないように、つまりマウンティングされないようにみんな警戒するようになっちゃうんだよ。ですから一見すると、見ただけで弱者かどうかわからないっていうのは良いように見えるけど、でも連帯ができなくなっちゃうんだよねっていうこと。、

[坂口恭平]
本当にそうなんですよね。それがもう僕んとこにね、それこそ芸能人から、普通の人、10歳まで電話かかってきて。それこそ臨終の人まで電話かかってくるんすよ。もうやっぱ老人ホームで、もうホスピスにいるんだけど、寂しくてしょうがないって言って。みんな寂しいってやっぱ言うから。もうおかあちゃんゃんって、その人には俺ずっと死ぬまでなんか歌ってあげましたもん。で、何を歌ってほしいっていうのを聞いたら、その人英語の歌が好きだったから、「星に願いを」って言ったら、全部日本語に変えて。僕速攻で詩をかけるから。「(歌う)月に腰掛け。昔を見てた。川流れ子鹿が走る〜」みたいな。それだけで、うわーって泣き出して、ありがとう!とか言って。俺もそれも高円寺の電車のホームで電話来たから、それでそのままホームで歌ってて、僕ん中でも楽団が弾き始めるんすよね、いきなり。オーケストラが。もうその瞬間なんかむっちゃ気持ちいいと思って。本当にお母さんありがとうって。俺からもいっつもありがとうなんすよ。

[宮台真司]
僕はね、この人ならば打ち明けてもいいかなって思う人を、今ネットの時代だから見つけ出せるっていうところが、数少ない救いの一つでね、あの誰が困ってるか分からないときには、自分が困ってるんだってことを言うんですよ。不用意に言えばマウントされるのかもしんないけど、一生懸命探してこの人に言えば大丈夫かなっていう、大学で探してもいいと思うし、ネットで探してもいいんだけど、自分が困ってるって言ったときに、助けてくれる。つまり、贈与的な構えになってくれる人がいたら、それが友達の候補、あるいはもうその段階で友達になれている可能性があるよね。だって、困ったことを相談して、坂口さんが歌ってくれて、そしたらもう絆ができてるじゃん。

[坂口恭平]
そうなんすよね。そしたら本当にもう一瞬で治るんですよ。今痛みある?って言ったら、いや、恭平さんと電話してるときは痛みがないです、って。じゃあもう今日はヘッドフォンして24時間俺と付き合えって言って付き合ったこともあるぐらいですよ。その間は他の人は繋がらないけど、でも不思議なことに僕の共同体は、僕が鬱のときには電話がかかる数が減るんですよ。つまり、苦しいけど、俺が倒れてるのを知って、もうツイート更新しないのでもう分かるわけですね、すぐ。だからそれで我慢してます、でも恭平さんもしオナニーしたかったら何でも見せます、みたいなことまでメールでしてくれるぐらい。いやもう本当ありがとうございますって言いたいんだけど、メールの返信もできないんですよ僕そのとき、もう日本語打つのも。頭おかしくなってるんで。なんかそれを、多分俺も、いわゆるダンスのように鬱である状態を見せてる可能性があるから見えないけどみんなには。みんなに見えるわけですよね、多分ね、俺が多分家の中でずっとぐるぐる回って、壁に頭ぶつけて、なんかもうカッターで体切ろうとしてんだけど、家族の前で、っていうか妻の前でやっぱり俺拳で頭をバンバン殴っちゃうんすよ。こんな男いなくなればいいとかって。それが鬱状態。まぁ今はそんなことなんでするんだろうと思っちゃうんだけど。そのときはもう社会の声がむっちゃ聞こえるんで。もう妻は「あの人」って言ってるんだけど、「またあの人が出てきたの」っていう。そういうすごい厳しい人がいるんすよ。「君のやってることのここが悪い。ここが悪い。君の作品の、文章の、ここが悪い。絵のここが悪い。それらを中途半端にやりながら、人々を騙しながら金銭を獲得している坂口恭平!」とかいう人がむちゃくちゃ出てくるんで。今は全く思わないんですけどね。でもそれを想像してくれてなんか電話が減っているっていう。なんかそういうのも含めて多分みんなが、僕が思うところの今のフォロワー13万人ぐらいを周辺とした20万規模の僕の中の「声の共同体」って僕は呼んでるわけですけど、ボイスアーキテクチャ・ボイスコミュニティじゃないけど、なんかその声による、音声だけの、共同体をまず作ろうと思ってるんすよ。それはもうどんな締め付けにも締め付けられないので。いわゆるサティアン作ってないわけですよね、僕の場合は。サティアンを音楽の中に作ってるんで。もう強制捜査がされない状態を作ってるって感じですかね、初めから。はじめから弾圧されることは前提でやってるみたいで。いつか弾圧されるから、弾圧を絶対にされないように、どういうふうに徒党を組まないで徒党を組むかっていうか、そういうことに、なんか頭がめっちゃ向かってまして。

[宮台真司]
坂口さんね、弾圧があるとすると、それはね、嫉妬・ジェラシーだと思います。なぜかっていうとね、坂口さんがおっしゃっていることは、さっきの、要するにクリスチャンの祈り、「私がが皆を裏切らないように見ていてください」とよく似ていて、「誰が見ていなくても僕が見てるからね」っていうふうに、どんな個人も「見てもらえる存在」になるっていう意味での共同体なので、七、八個すぐにここでも喋れるんだけど、僕が今、若い人に一番伝わりやすいのは、あなたを見てくれている人。つまり、わかりやすく言うとそれは心配ってことでもいいんだけれども、もっと見てくれる、何をしているかっていうのを見て、いろいろ感じてくれる人、やっぱり「どっかに変な奴がいる」じゃなくて、「宮台真司」っていう名前を持つ僕を宮台真司として見てくれている人がいる。でもそれだでけ人って、頑張れるじゃないですか。いつも繋がってアドバイスをもらうみたいな、心配に対するアドバイスじゃなくて、いざとなったら、坂口さんに繋がれば、声をもらえる。だから、それがわかってるから、坂口さんが厳しいなっていうときには、電話しなくても大丈夫。なぜかというと、依存するわけじゃなくてね、見てくれてるから大丈夫っていう感じ。これが、僕は共同体の今一番わかりやすい、言い方だなっていう気がする。よく共同体っていうと、多くの人がね、すぐまた依存的な発想をしちゃうんだよね。依存する場所というよりも、やっぱりホームベース、ホームベースっていうのは、今この社会で本当に作るのは難しいけど、見てもらえる人、あるいは人たちがいるっていうことが、創造的なホームベースになるんで。そういう人は元気になる。でもそういうふうに見てもらえる人がいる。そういう個人たちって、さてこの日本にどれだけいるでしょうね。アメリカにどれだけいるでしょうね。もうはっきりほとんどいないっすよ。

[坂口恭平]
本当に処方薬依存症を、キッチンドランカー、ギャンブル依存症、僕めっちゃ対応得意なんすけど。まずギャンブル依存症には、もしお金をくれって言われたら全額振り込んでるんですよ。その瞬間に、名前も聞かずに。それだけで、そのお金、ギャンブルに使わないんですよね。僕が感じたところです、もちろん。それは完全な寂しさから来てるから、それだけでびっくりする。その後は、もうその人の得意なところを見つけるの僕得意なんで、得意なとこを伝えれば、その料理が得意じゃない?って言ったら、その作った料理を僕に写真で1枚ずつ撮って送ったりするようになってくるんですよ。そんときにお酒の肴はちゃんと作った方がいいし、なんか適当なチップスじゃなくて、やっぱ作った方がいいよねってだんだんわかってきて、お酒もなんか、たまにはちょっとそういういい感じのお酒を買うとかっていう話をしてるとだんだんお酒をたしなむいい感じの大人に変わるんで。僕の場合はアルコール依存症って治らないっていう概念とかないんですよ。あとアルコールを禁止しないんで、飲んでいいからって。俺と一緒に、また飲んだら電話してって。1人で飲むってことが駄目なんですよね、はっきり言うと。本当にギャンブルも、1人でいることがギャンブルになるので。俺と電話してたら、ギャンブルしたいの?って言ったら「いや、ギャンブルより恭平さんの方が面白いです」っていう。そういうことなんですよね。処方薬も最近はもうデパスの方も大変だけど、きつかったら電話してって。音楽ってのがすごいデパスには効くので、詩を書いてもらってその詩に曲をつけて、またすぐ送り返してあげる。それだけでもう。その人をほぼ好きな人と同じ等価の目で見てるっていうのでもうガーンって人間変わっちゃうから。

[宮台真司]
そう、だから、嫉妬が起こる可能性がある。深堀TVっていう番組で、ひきこもり死を特集したときに申し上げたことだけれど。例えば坂口さんにね、自分は困っているっていうふうに訴える、坂口さんにアクセスするっていうだけで、実際かなり大きなハードルを越えてるんですよ。今ひきこもり死、孤独死する多くの人が、まぁそこもある種情弱なのかもしれないよ、よく見渡せよって、いろんなやつがいるんだよっていうふうに見えてなくて、社会って何か灰色の壁みたいにして見えてしまっていて、それゆえに自分のことを見てくれる人なんかどうせ今までもいなかった、これからもいないだろうっていうふうに思う。そういうときに見る見られる関係で、絆を作っている界隈があるというふうに考えると、思い込み的な無力感というかですね、それゆえに、やっぱりこの野郎っていうふうに腹が立つんだろうなっていうふうに思いますよね。特にさっきセックスの話になったけど、セックスの話って、特に女同士ってね、アドバイス難しいんですよ。すごく。なにが難しいのかっていうと、こうすればいいよ、ああすればいいよっていうふうに、あるいは私だったらこうするよ、こうしてきたよとかに言う度に、「マウンティングするのかこの女は!マウンティングしやがって!」みたいになることがめちゃめちゃ多いんですよね。これはもちろん男にもあることなんですよ。だから、困ってるなら相談しろよ。困ってるなら、例えば君ならどうする?みたいに聞いてみろよ、っていうことを、それができない人たちが、本当にうようよ増えてる状態にあって。この人たちはね、いわゆるやっぱり、嫉妬だよね。根源的な嫉妬ですね、自分ができないことをしているという。

[坂口恭平]
だから多分もう俺がテレビ出始めて、多分言葉が通じたと、通じたような神回をやってしまうとちょっとやばいんですよね。多分ね、やられちゃうんだろうなって感じするから。それこそ僕ドラッグもやってるし女性関係むちゃくちゃなんで、なんか潰そうと思えば何でも方法があるから。税務的にもちゃんと全部、だから完璧な状態にしてますけど。****とも全然違うから。そういう意味での、弾圧される前提だからこその、地雷を踏まないようにするセッティングは完全にしてるけど、まだ僕が多分テレビとかで本気で、本当に人の心を変えるような言葉を言う瞬間っていうのは、ちょっと宮台さんがいない限りはやる気がないなって感じすよね。ちゃんと宮台さんとかがいるならやりたい。

[宮台真司]
うん、そういうコンビネーションで企画をね、持ってくる人がいたら応じてくださって結構で、僕もちろん引き受けますが。嫉妬の話ってね、僕もう30年前からしてるんだよね。1990年にね、ある雑誌の依頼で、東大で調査をしたことがある。東大だけじゃなくて立教と青山も入ってたんだけど。1990年の段階で、例えば東大法学部のトップエリートは、官僚にならないんですよ。もう当時の段階で、外資系のコンサルとか金融に行くっていうふうになった。で、その頃からですけれど、要はですね、役人・キャリア官僚です、国1を受かるキャリア官僚にすごくね、ダメ意識、あるいは劣等感を持つやつが増えていくんですよ。で、僕のその官僚仲間たちを見てみても、多彩だったりすると、やっぱりすごく嫉妬される。つもり自分ができないことをやりやがっていう嫉妬。要するにいじめとかね、外しの対象になる。この人たちは、いろんなことができる多彩な人であるがゆえに、スピンアウトっていうか途中で抜けちゃうんですよ。結局、上の方に上っていって、局長とか事務次官とかまで行くやつって、あのね、はっきりいってクズが選別されてクズが濃縮されたような状態だっていうふうに思います。つまり、元々トップリートでない人が30年以上前から官僚になるようになるんだけど、それでもまだ見所があるようなやつが、その中で更に潰されていき、クズの中のクズの中のクズだけが上に上っていくみたいなね。それが今の霞が関の基本的なメカニズムで。そのメカニズムをよく知ってる政治家が1人いた。それは菅義偉っていう男なんだけど、1回相手を冷遇し、劣等感に打ちひしがれそうになったところで、「俺のケツをなめるんだったら取り立ててやるぞ」っつってケツををなめさせるってやり方ですよね。これはずいぶん前からこのやり方を皆さんに紹介してるけど、でもねこれは無条件じゃないんだよね。だったら辞めるわけやりゃいいのに、やめれない。自分のプライドもあるし、僕は「勉強田吾作」って言ってるんだけど、遊びも勉強もできる人ではなくて、勉強しかできないがゆえに遊びができる人に嫉妬する。多芸多才な人に嫉妬するの。これアカデミアというかね、いわゆる哲学、社会学、様々な、特に人文系の学会にもあるよ。

[坂口恭平]
千葉さんとかね。

[宮台真司]
千葉さん典型じゃん。多芸多才じゃん。僕も映画批評とか音楽批評とかやってるじゃん。当たり前だけど、当然「くそ、できないことやがって」ってなる。とにかくね、友達がいないクズどもって、そうなっちゃうんだよね。友達がいて、お互いに見る見られる環境にあるということになったら、「面白そうだな。千葉さんって面白そうだな」と思ったら繋がるだろう、普通。

[坂口恭平]
そうだから、僕とほら千葉さんと宮台さんだったら全然会えるじゃないすか。僕が思うには、宮台さんって嫉妬されつつも、ちゃんと生き延びてる、僕のやっぱ先人なんですよね。僕は逆に言うと、僕って嫉妬あんまされてないっていうか、僕を嫉妬してるって口にしにくい人物であるようにセッティングしてるつもりなんすよ。

[宮台真司]
確かにそうかもしれない。

[坂口恭平]
だから僕の作戦は結構成功してるような気がしてて、うん、「僕に嫉妬すんの?」みたいな感じで。逆に言うとその人の格が下がっちゃうんで、嫉妬できないような感じの下っ端の方の状態を演出するっていうとあれだけど、自分としてはそこの場所をちゃんと右足だけはそこにいながら、左足がどこまでも伸びるんで、いろんなとこ移動できるって感じですかね。

[宮台真司]
わかります。でもね下に下がるんじゃないですよ。あのね、坂口さん持っている物差しがわからないので。何をやってるのか意味がわからないから。

[坂口恭平]
でも宮台さんは通じてるわけじゃないすかある意味。

[宮台真司]
だからそれが、研究者の端くれとして物を喋るっていうところからくる、やっぱり縛りなんですよね。だからそんな縛りはどうでもいいんじゃないかっていうふうに言う人もいるし、僕もそう思う。正直、そういうふうに思う。別にもう関係ないやつはどうでもいいんだよっていうふうに思うところがあるので、昔はね、世直しモードとか言ってましたけど。今は風の谷の戦略とか、ミュニシパリズム・共同体自治主義って言ってますけど。

[坂口恭平]
そういう意味で僕が一つ面白いと思うのは、非常に今経済的には安定しているってのも面白いと思うんすよ、僕が。これで大体売れないんすよね。売れてないけど、その経済を回せなくてちょっとずつ駄目になっていくっていうパターンもあるんだけど。僕、前年より下回ったことがないんすよ、僕、2012年から。

[宮台真司]
それすごいね。それはなに、やっぱりいろんな作品を売ってるってこと?

[坂口恭平]
もちろんもちろん。僕基本的に今年の決算で3000万円以上を絵で売ってますから。書籍が大体1000万ぐらいなんすよ。あともろもろのやつで大体それで5000万近くなってるっていう。それも僕言うんですよ、子供にも全額言うし、読者にもちゃんと全部伝える。で、普通だとそれお前稼ぎすぎだろみたいな話になってるんだけど、意外とそういう状態じゃないという。別に僕は罪滅ぼしでお金あげてるわけじゃなくて、実際そのために基金として自分で貯蓄してるんで、全額入れてんすよ、ほとんど。だからもちろんそれは節税対策でもあるんですけど、これを所得にしちゃうと全部税金なっちゃうんでそうじゃなくて、プールしてて、そこから借り入れするようなセッティングで経理上やってたりとか。だから僕を潰しても潰してもあと20年ぐらい余裕で活動できちゃうんすよね。だからそれはその金銭的に僕の首を絞められないっていうのは、一つ僕がテレビに出なくていいっていう理由でもあるんですよね。テレビに出る理由もあるじゃないすか、ある程度食いたいっていう。ある程度良い生活をしたいとかもあるから。そういうのはもう僕の場合は自給自足で基本的にできちゃってるっていうのは、かなり強いなって自分では思いますね。誰からも外されないっていうか。絵を全部自分で売ってるんすよ、僕。自分の美術館で。だから仲介料ゼロで、俺が売ってあげてる、っていうふうに俺を上から見る人が1人もいない状態で。むしろギャラリー、各地のギャラリーで展覧会すると3割その人たちに払えるから、わざわざ地方でもやってるっていう感じですかね今。だから逆にギャラリーの人からは「ありがとう」っていう、そういうような感じで、僕の場合はやっりオイコノミクスっていうかエコノミクスが何かっていうのをとにかく設計するのがもう趣味で趣味で。それと、いのっちの電話で24時間365日常に俺の携帯に繋がるってのは全部リンクしていると思ってんすよ。お金がなければ、俺に言えばお金をもらえるかもしれないっていう予感は常にあって、さらには、絵も、買ってくれた人もお金がなくなったら僕に送りさえすれば全額、1枚16万5000円で売ってんすけど、16万5000円でレンタル料も抜差し引かずに全額戻してるんすよ俺。だからただの貯蓄なんすよ。貯蓄として僕の絵を買ってるだけなんで。だから僕もお金を使わないようにしてるんすね、みんなのお金を。そのお金だけで、僕5000万貯蓄してます、本当に。だからそれをみんなのために、最終的に使わなきゃいけないときはみんなにもう全額返しますっていうときは返せるんですよ。

[宮台真司]
わかる、わかります。あのね、僕が、それでもね、こうあった方がいいなと、さっきマスコミも出た方がいいとお伝えしたところなんだけど。坂口さんってね、よくできた自律系、自律ってのはオートノマスなんだよね。つまり簡単に言うと、地球、永久ジャイロスコープみたいに安定してありながら、その近接っていうかその近くに良い影響を与えている。でも自律系すぎるっていう感じがして。僕はもったいないなって思う。僕はフォロワーが22万弱かな、よくわからないけどそれくらい、しかもさ、多分ね、坂口さんのフォロワーと僕はね、あんまり重なってないと思うんだ。

[坂口恭平]
重なってないと思います、僕もその感覚としては。今日こんなに見に来てらっしゃるから。

[宮台真司]
なのでね、今回もその坂口さんっていう人がいるっていうことを、初めて知る人っていっぱい。

[坂口恭平]
多分1500人は、1200人ぐらいは宮台さんところから来てますね、今回。今2300人いらっしゃいますけど、半分以上は。僕んとこで最高で700人か800人ぐらいだったんで。だから1500人はね、宮台さんところから。

[宮台真司]
だから先ほどからね、喋ってくださっている坂口さんの話って、そのね、1300人1500人、それではやっぱり勿体ないんですよ。坂口さんはさ、なんだろう、ちょっとシャーマンじゃん。僕はシャーマンの方がいらっしゃるときには、ヒメヒコ制のヒコというかね。要するにシャーマンのおっしゃってることを、多分こういうことじゃないのかなっていうふう。

[坂口恭平]
そうですよね、王仁三郎の立ち位置ですもんね。

[宮台真司]
そうなんです。出口なおの言っていることを、王仁三郎が翻訳するみたいな、そんな感じ。こないだ、こないだっていうか最近ですね、三島vs全共闘で有名な芥正彦と2度ほどトークをしたんですけれども、僕の役割はやっぱり、芥さんってシャーマンなんで、しかも劇作家であると同時に詩人だから、もうその会場で、本当に今の坂口さんと同じように、歌ではないけど、もう朗唱するんですよ。朗々と、なんていうんだろう、即興で、詩を歌うような感じで喋る。それは本当素晴らしいんだけど、学生の顔、観客である学生たちを見るとみんな口を開けてポカンとしてるから、これはちゃんとその意味を伝えないと駄目だなっていうふうに、やる。僕はそういう役割ができるから、なんていうんだろう、自律した地球ゴマって、坂口さんの世代って知ってるかな。昔はね、そういうジャイロスコープのコマが売ってたんですよ。

[坂口恭平]
はいはい、わかりますよ。はい。

[宮台真司]
綱渡りさせたりとか色々した。坂口さんがそのジャイロスコープであるのはよくわかるし、素晴らしい。

[坂口恭平]
むしろそこが聞きたいとこですよね僕の。今のままの、完全に自活できてる状態まで持ってこれたんだけど、それ以上に光を出すのか出さないのかゲームみたいな。そこを「出せ」って宮代さんは思ってくれてるんだろうなと思ってたんで。

[宮台真司]
そうです、出してほしいなと。

[坂口恭平]
僕と宮台さんで宗教法人作ればいいんじゃないすか。

[宮台真司]
でもちょっと宗教かどうか……

[坂口恭平]
冗談ですけど(笑)

[宮台真司]
宗教でいいんですよ。ただ日本って宗教教育してないので、宗教概念がすごく狭くて、嫌われてるんですよ。

[坂口恭平]
そうですよね。だから文化空間として作ればいいんですかね。

[宮台真司]
そういうことですよね。

[坂口恭平]
ある共同体を、だから例えばもう下世話な感じでいくと、僕と宮台さんで、Abemaで番組持つみたいなところから民放へ向かっていくぐらいの。

[宮台真司]
まぁそうですよね。とにかくね、Twitter界隈って、僕はTwitterってこれ大事だと思ってんですよ。それはね、クズがどれだけ分布してるのかってことが、Twitterで初めてわかったんですよね。あるいは95年、インターネット元年って言われてるけど、2001年のアルゴアとの戦いでG・W・ブッシュが大統領になって、最初全然支持が不安定だったのが戦争だっつってある種デマ情報でイラクを潰したりするってことで、どんどん支持率が上がる。これをアメリカではね、南部高卒白人問題って呼んでて。それまで政治参加する機会がなかった、あるいは動機もなかった連中が、インターネットを通じて簡単に参加できるようになっちゃった結果、要するに悪貨が良貨を駆逐する原理でクズだらけになるっていうね。これは、実は90年代半ば過ぎぐらい、インターネットは人々が社会、政治に参加する重要なツールになるから、より社会は民主的になるんだっていうふうに言う人たちがいたのって、僕本当腹抱えて爆笑したんですよ。絶対にそうならないっていうね。実際僕の予言、予測通りでしたよね。ありとあらゆる国で、ヨーロッパ含めて、実際にはポピュリズムが蔓延したっていうふうに言われてる。人気主義。任期主義ってのは昔のね、20世紀初めの自民党のいわゆるいい意味での人気主義と違って、クズを釣るんですよね。クズの嫉妬を釣る。その釣った相手を攻撃性、あるいはですね、排外主義的な方向に連れていくことで、カタルシスをね、体験させるというふうなメカニズムになるに決まっているのがそうなったよね。

[坂口恭平]
僕炎上するんすかね。僕炎上したことないんですよね。僕テレビとか出たら炎上するのかな。

[宮台真司]
いや、あのね、僕は結構炎上してますけど、炎上って、全然そんな問題はないんですよ。なぜなら、人ではないクズだからですよ。なぜ僕はウヨ豚と呼ぶのかっていうと、右翼なのではなく豚だからですよね。なぜクソフェミと呼ぶかっていうと、フェミを名乗るが、実際にはただのクソだからなんですよね。でも、何か動物愛護協会から豚を使うなってきましたけど、困ったなってずっと思ってるんですけど。そういうことなんで、炎上するときもね、あのどんな豚やクソが、この社会にはどういうふうに分布しているのかをむしろ勉強するのでいいと思うんですよ。こういうね、インターネットあるいは特にTwitterみたいなものは社会の害悪だって、いや違うんだよ。この程度のツールがあるだけでクズぶりがあぶり出されるような豚野郎がね、こんだけいるんだってことは、Twitterがないとわからないでしょ。

[坂口恭平]
わからなかった。しかも面白いのは、僕にいろいろ文句言ってくるやつはいっぱいいるんですけど、それが完全集合体にはならないだけで。僕にね、電話で文句言ってくるやつは1人も今んとこいないんですよね、12年間。それが面白いと思ってて、本当の声を通すことはしないから、声じゃないんですよね、だから、インターネット上のは。

[宮台真司]
だから面白いよね。このねこの、いわゆるインターネットであぶり出されるクズどもってね、なんかね、それぞれ非常に特性が単純で、ある言葉に反応するんですよ。で、それ以外の情報には一切反応できないっていうね。そういうタイプのもの。だから中国とかいう言葉に反応する。あるいはシスジェンダーとかっていう言葉にだけ反応する。ちゃんとした学問すればね、保守とはなんたるか、保守と右翼はどう違うか、トランスジェンダリズムとはそもそもどういうものであるのかとかって、勉強すればそうコストをかけずにわかるけど、わかっていれば絶対にやらないような、カテゴリーと結びつけた差別を平気でやるんだよ。だから本当にこれ面白いのはね、判で押したようにそれぞれ1個だけフックがあるんだよ。その言葉だけたかるんです。

[坂口恭平]
ある意味僕はそれを使わないからかもしれないですね。

[宮台真司]
ウンコにしかつかない銀蝿とかさ、なんかそういう感じ。そのイメージ。

[坂口恭平]
確かにそうかもしれない。僕はある意味で意識的にそれを避けてるっていうことでもあるかもしれないから。だからそういう意味ではそこを避けずに、もう少しちゃんと、無駄な矢やなんかが刺さっても大丈夫だから、もうちょっと広い状態で、自分の考え方を、行動を、メディアに載っけますか。そういう気持ちになりましたね。

[宮台真司]
それでいいと思う。あのね、僕はね、すごい若い学生達さんたち、高校生とか聞いてたらね、ちょっとわかってほしいんだけど、やっぱそういうふうに炎上に強くなるっていうのはね、「見てくれる人はちゃんと見てくれている」っていうふうに確信することなんだよね。逆に言うと、炎上させることでこいつにダメージ与えられると思ってるやつが、そのことによって、実は友達がいない、見てくれるやつがいないことを自ら暴露しちゃってるんですよ。本当にちゃんと見てくれるような信頼できる人間関係の中に包摂されている人間は、そんなウンコにたかる銀蝿みたいなね、言い方をされても何の効果もない。

[坂口恭平]
僕んとこには結局そういうなんかよくわかんないけど文句言う人は来ないんだけど。やっぱり刑務所から出た人が、刑務所の中にPOPEYEはあるらしくて、POPEYEのコラムに僕書いてるから、それで僕を知って、差し入れで僕の本を全部読んだっていう人とかが結構来るんですよ。それでやっぱり大体闇バイトなんですよ全員。それでおばあちゃんを殴ってしまって、強盗して、そうすると4年ぐらいもらっちゃうんで、そのあと死にたくなっちゃうんでどうすればいいかとか。あとそういう人たちには、僕のところではもうちゃんと出所したんだから、罪をね、一応償ったからそういうふうに思わないで俺も接してあげれるからちょっとずつやっていこうっていうふうにできるし。あとはヤクザの下っ端で命令されて鉈で手足を切ってったっていう、しかも捕まっていないしどうすればいいんだっていう人とかも来るんで、もういわゆる何かちょっと社会的には一番危ないとこに行っちゃったやつが来るんすけどね。その真ん中のよくわかんない蠅とかは来ないんで。その人たちにはむしろもう俺との間では、もう本当にここの間だけではもう俺はお前とちゃんと人間として接するからちょっとやってみようって、自首しろとも言わんしみたいな。でもそいつは自殺しちゃったんすけど後に。それを聞いちゃったけど。でも不安で、断末魔、なんか叫び声がやっぱ聞こえるって、その電話をよく出てあげてましたけどね。でもそういう人たちも僕は何か多分もしかしたらもう全部受け入れちゃうかもしんないすよね。もう1個1個俺も反応しちゃいそうなんすよね。もう炎上しても1個1個。君はどういうふうに困ってるのかな大丈夫かなみたいな。

[宮台真司]
それは危ないね。

[坂口恭平]
危ないでしょ。だからそういう意味で危ないですよね。今んところの13万人だと僕はそういう人たちも全部向き合えるんで。だから、そこら辺を宮台さん的に、いわゆる、ある程度切り捨てるんだっていう、技術を教わろうとしてるのか。僕多分素直すぎるんでやっぱ切り捨てられないんですよね。だからそこら辺、どうしますかね。ていうか大丈夫ですか。一応ね、9時までの予定で、一応延長もOKしてくれてはいたんですけど、大丈夫すかね。

[宮台真司]
でも話も終盤。やっぱりね、見てくれる神様がいることが大事だよねっていうことなんですよ。でね、要するに今ツイッター見たらね、「ウヨ豚がダメならネト蠅はどうですか」「ウヨ蠅」まぁなんでもいいけど、それはいいとして。それはいいとして、あのね、すごい単純なことでね。例えば僕を襲撃したやついます。これ親がエホバの証人ですよね、母親がね。岸田を襲撃したやつもいた。安部の襲撃犯もいた。遡るといろんなところに無差別殺人犯・殺傷犯というのがいて、古くは日本で目立ったのは2008年の秋葉原事件だよね、加藤智大。死刑になっちゃったけど、今年の8月にね。いや7月か。この人たちって、僕は「誰か何か言ってやれよ問題」ってずっと呼んでるけど、見てくれている仲間がいる、友達がいるっていうふうに、彼ら自身が感じることができていたら、絶対にそうならなかったっていうふうに確信してるのね。今ね、坂口さんがおっしゃった。特殊詐欺とかですね、広域強盗、これは上は暴力団なんですよ。でもこれは全部それこそテレグラムとかシグナル使ってるしってことと、送金は全部ブロックチェーンっていうか、仮想通貨を使ったんで、全然要するに証拠をつかむことができない。ので、フィリピン・東南アジアで指示役やってたりとか、その下はリクルートやってたりとか、いわゆる受け子・掛け子ををやってる連中っていうのは、本当下っ端なんですよ。この下っ端の人間たちも、結構いい大学の学生とかも捕まってるけど、やっぱり「誰か何か言ってやれよ」問題、つまり何か言ってくれる、ちゃんと見てくれる仲間友達が、いないんだよね。だってさあのね、マスコミって言えば馬鹿な奴が多いんで。「こういう特殊詐欺とか広域強盗って、部分的な、本当に集団犯罪なんだけど、その一部だけしかやらないからね、運びました、降ろしましたとかね、だから犯罪の重大性に気がつけない」と。そんなことねぇよ、と。どれだけネットに上がってるんだよねってね。結局は自分は全体は知らない、部分だけしか知らないっていうのは、完全な免罪符なんですよね。自己弁護の免罪符で、普通友達がいたら通用しない。なにいってんだよお前、お前も知ってるはずだよ、で終わりなんですよね。だから僕はね実はね、切り捨てているのではない。彼らはダメなやつらだけど、好き好んでダメになろうとしたわけじゃない。友達がいないやつらだけど、一応友達がいるっていう場合もよく聞くと、ただの知り合いなんですよね。

[坂口恭平]
まあね。お金がないって言えないメンバーなんですよね。

[宮台真司]
そうそう、そうなんです。だから友達いないのも、彼らも好き好んで友達を切り捨てたわけじゃなくて、友達になってくれるとか、カテゴリーを超えてね、フュージョンして盛り上がったっていう経験が全くないから。

[坂口恭平]
そうですね、その、声で言うと闇バイトに行く人の声全部一緒です。

[宮台真司]
面白い。どんな声ですか?

[坂口恭平]
いやまぁどんな声っていうと説明ができないんですけど。つまり本音を言えないんだけど、なんかね「大丈夫ですよ大丈夫ですよ」とかなんかそういう感じの声をちょっとやって、人前で良い服きたりとか、払えないのに先輩に言われて車買っちゃうみたいな。そういう感じなんすけど。ちょっと特徴的な何かあるんすよ。その、なんかスッカスカの人間の、男バージョンみたいな。友達いなくて1人で家でやばくなってない?とか言ったら、「なんでわかるんすか」って。わかるどころかも当たり前じゃんみたいな感じで。そいつに少しずつ幼少の好きなこととかを聞いて、もうそれこそ「ミニカーが好きだった」って言ったらもう1回ミニカーを、前買ったやつをもう1回手にしてみぃ、ってところからも育てるしかないですよ。

[宮台真司]
本当におっしゃる通りなんですよ。広域詐欺だけじゃなくて、あの大学でもうずっと、87年から教員やってて定点観測してるから本当よくわかるんだけど、もう年々、友達がいなくなる。見てくれる人がいなくなる。わかりやすく言うと、孤独になっています。例えばね、女も同じ。昔はね、女の方は人間関係あってどうのこうのって言ったんだけど、この10年は僕言えなくなったと思う。さっきのね、例えば友達関係も全部キャラとテンプレ。デートも含めてセックスも含めて性愛関係も全部キャラとテンプレ。でもこれってね、最近ブーバーっていうね、1920年代の哲学者を出して紹介したんだけど、全部「入れ替え可能」なんだよ。だってキャラとテンプレ。分かりやすく言うと、最近も僕のゼミでありましたよ。結構ね、かわいい子たちがいたりする。「もてるでしょ? 最近の一番わくわくしたデートはなに?」「シーシャに連れてってもらいました。行ったことなかったんで」って。あの、シーシャって俺でも連れていけるんだけど、何なのそれって。もうゼミ1年以上出てんのに何言ってんのって。それってその人がワクワクしたんじゃなくて、場所がワクワクさせてくれてるだけじゃんって。シーシャに連れて行ってくれたら誰でもいいんだろうっていう問題だったりするよね。でね実はこれ、入れ替え可能性、ブーバーっていう人はね、入れ替え可能な人間関係を「我とそれ」って言ってるんです。it、それ。で、入れ替え不可能な、見てくれる人間関係を「我と汝」だと。Youとか、Thouっていうんですけど、古い言葉では。それでいうとね、「我と汝」関係、つまり、汝としての友達がいる人はいなくて、あるいは恋人もいなくて。友達います恋人いますって言っても「それ」なんですよね。別にその人じゃなくても、テンプレデート・テンプレセックスでOKなんでしょ、誰でもいいじゃんそれだったらっていうね。その問題に気が付けないんだけど、気が付けなくても実はね、孤独は必ず襲うんですよ。

[坂口恭平]
そうなんすよね、そこは避けられないんで。結局やっぱね、1人で寝るときに絶対向き合っちゃうんで。もう完全にその人たちのモルヒネになってますね、俺は。

[宮台真司]
とにかく「風の谷の戦略」みたいにしてちっちゃくやって広げていくしかないとは思うけど、やっぱり僕は全然見捨てて切り捨ててるわけじゃなくて、この人たち何とかしたいなとか、特に中学生高校生の人たちにそういうふうになって欲しくないんだよね。この入れ替え可能性ゆえに孤独に苦しんでる人たちってね、ちょっと不安でしょ。不安な人間って、自分は間違ってないっていうふうに思いたいんです。思うとまた不安なっちゃうから。そうすると、まず他責化し、他罰化するんです。「男が悪いんだ、シスジェンダーが悪いんだ、在日が悪いんだ!中国人が悪いんだ!」バカ、お前が悪いんだよって。そういう問題がほとんどですね、残念ながらね。もちろんね、いろんな問題があるんです。でもいろんな問題だけど、お前次第で何とでもできる問題じゃないの? そりゃ人種差別まずいよ、あるいは移民がどんどん増えていくのももしかするとまずいことかもしれないが、あんたの問題、あんたの実存、あんたの困窮はそこから来てるんじゃなくて、あんたから来てる。それをね、移民のせいや、在日のせいや、男のせいにすんな。お前が解決するべき問題を一切反省せず、解決もせず、あいつが悪いこいつが悪いとか言ってインターネットでね、ウンコにたかる銀蠅みたいにね。

[坂口恭平]
そこはね僕も、1回ちゃんと丁寧に怒っちゃいますね。それをしないようにしないと、でもそれで1回怒るとやっぱり拒絶反応して、もういいですとか言って切るんだけど、結局また繋がるのは僕んとこしかないから、またかけてくるんですよね。だからそうやって、じゃあ今から死にますとか、もうそういうこともずっと毎日言われてるけど、でも大丈夫だよって、ここにはいつも繋がるからって、そういうこともね、した方がいいかなみたいな感じで。だいぶそこら辺の対応は上手になってきたし、それのパイがね、もう一桁マルが増えたときに、1桁2桁マルが増えても対応できるかって考えると。でも今は少しずつそれがもしかしたらできると思って、今回多分宮台さんに多分声かけて、ちょっと背中を押してもらおうとしてる感じもあるんで、そうですねちょっといろいろ考えよう。でも協力くださいよ本当に。

[宮台真司]
僕はね、やっぱり正直に喋ると、やっぱ元々思ってはいたけど、いつ死んでも不思議はねぇなって思うじゃん。これをね思うと、なんつったらいいんだろう、もたもたしてるわけにはいかないなっていうのと。俺がどうのこうのじゃなくって。

[坂口恭平]
僕もでも、毎日素手で人を殺す練習は一応。僕の先人っていう師匠みたいな人が、があれなんですよ、まぁ野坂昭如がずっと特集してたような方で、いわゆる任侠の、そういう方がいて。その方にもちゃんと教えてもらって、僕はチャカも、鎧通し刀もくれるって言ったけど要らないって言って、僕は自分の素手で一瞬で殺したいから、素手で殺す方法を教えてくれっつったら、やっぱ殺気の見方から、殺気を消しとけっていうのと、やっぱりいろんな知らない場所に入った瞬間にまず全員の人間を把握しろとかそういうことはいろいろ学んでて。そういう意味でも、そういうとこに行こうとは思ってるみたいなんすよね僕もね。やっぱ襲撃されるかもしれないけどやっぱり変えなきゃいけないから人々に声を届けなきゃいけないっていう場所にちゃんと最終的には行くっていうのは覚悟は決まってるみたいだから。でもそのね、宮台さんのやっぱり身を、体を張った今回の襲撃のことも含めて、ほらもう待ってられないっていうか、時間に猶予がないっていうこともね、感じてるしね本当に。

[宮台真司]
やっぱり繋がって頑張るしかないですよ。

[坂口恭平]
本当に今後は宮台さんにもちゃんとお会いしようと思ってて。2015年から、中沢さんともやっぱり。あぁ11年から。中沢さんともやっぱり話をしてたから。今度中沢新一さんにもやっぱりちゃんともう1回ちゃんと話して、どうやってその革命をするのかっていう研究をする、僕が旅に出るのかなというイメージの一番初めがやっぱり宮台さんかなと思って。今回はなんかそういう感じで、なんか胸を借りる感じで。ありがとうございました本当に。

[宮台真司]
熊本だよね。あの、熊本も行きますので。

[坂口恭平]
まさに神風連の乱っていうね、西南戦争前に、やっぱり新政府に、ぶっ壊そうとしたのはやっぱり熊本なんで。島原の乱もそうだし。まずは都からは離れとけ、っていうのは10年間研究したつもりなんすよね。都から離れた状態で攻撃をできるっていうのは、僕の中では、ここはね電気が消えても大丈夫な状態で何百人って僕の仲間も集まれる状態ではあるんで。

[宮台真司]
中沢新一さんのね、「レンマ学」っていう本がありますよね。

[坂口恭平]
はいはい、分かります。

[宮台真司]
あれはすごくいい本で、今日ね、坂口さんがお話されてることもすごい関係すると。あと東京って、やっぱり南海トラフ30年以内、25年以内に8割方起こるなって。で、東京直下型地震は、10年以内にもっと高い確率で起こるんじゃないかみたいに言ってる地震学者もいるでしょう。東京にいるっていうのは、今ね、逆に***********。つまり、危ないですよ東京にいるっていうのは。なんか東京にいるっていうだけでね、中心、大きなものの中に含まれているような勘違いをする、それは、やめた方がいいよね本当は。僕も電車に乗らないし、移動するときもですね、出来るだけ高架下とかに行かない、車に乗ってるときとか色々気をつけてるし、できるだけエレベーターもう乗らないようにしてます。いずれ必ず起こるんでね。

[坂口恭平]
本当僕もその、まあね、命を投げ出す代わりに、徹底的に命を守るっていう練習をしてるんで。もう本当に有無を言わさず一言もとめずに殺そうという意識でずっと生きてるんでね。もうとにかく俺には関わらないでくれっていう、そういう意味では。関わったら危ないぞっていう環境は作りつつ、でもそれで電話ね、やっぱりそういう意味で本当に困ってる人たちができる空間にちゃんと仕上げられたんで。なんか掃除婦でもあるんですよね、俺。本当に掃除が好きなんで。

[宮台真司]
すごいよ、あのね。任意の時間にそうやって電話を受けるって、自分の思考のペース、いろんなものにノイズになるじゃないですか。そういうときに電話かかってくるでしょ。よくやってるなと思ってね。

[坂口恭平]
そうですね。僕、なので原稿を書きながら電話できちゃうんすよ、今。絵も描きながらできちゃうんで。だからもう逆に言うと、電話してると絵が描けちゃうんですよ、今は。電話してると原稿が10枚すぐ書けちゃうんで。ありがたいんですよね。で僕ギャラ払っちゃうんすよそのとき。1枚全部付き合った場合1万円払ったりするんすよ。だからそこまで行くともう何が何だかその人たちもわけわかんなくなってきて、私は何をしたんですか?って。俺を助けたんだよって、いや私が助けられたんですけどとか言って。いや俺も助けられたっていう感じで。、そういう、すがってるっていう感じは全く僕は受けなくて自分に。いつも嬉しくてなんか。朝電話したいから電話してみたっていう人たちもいるんですよ。俺が電話したいから電話したっていうだけでその人がすごい楽になるから。何かそういうふうに、僕ん中では何か宮台さんのあの「天才」って言ってきてくれたことからなんか、本当に丁寧に人とちゃんと付き合っていこうっていうふうに、この10年間過ごせて、多分かなり盤石な状態ではきてますね。今んところ僕ん中の計画のミスが1個もないですよ。

[宮台真司]
それは天才としては珍しいケースだと思いますよ。天才って大体あの生活廃人ですからね。

[坂口恭平]
だからそこは僕の家族っていう概念があるのかもしれないですね。家族のやっぱり新哲学の概念が僕が持ってて。家族の中で僕たちは全員それこそ企業化してるんで、それぞれ法人の関係で付き合ってあるし。妻も嫌になったら、僕の5000万を持って逃げることができるという環境を全部法人上で作ってるんで。彼女たちにもその自由があるというか、好きでいてくれているっていう。嫌んなった瞬間に離れろっていう。子供たちもその展覧会したら100万ぐらい稼げるようにセッティングされてるんで。もう自分たちで自活してる状態で。僕息子に500万払ってんすよ、年間。幸せですって僕に言ってくれるの。今の世の中で幸せな奴がいないから、お前かなり貴重すぎるから、頼むから、うちの経理から500万払わせてくれっていう。そういうこととか、だから家族の俺の問題があって。もちろん性愛の問題もね、いつかは僕と宮台さんでちゃんとねクローズでやっぱ話したいですからね。そういう問題とか全部リンクして、つまり次の共同体はどういうものなのかっていうのは、僕ははっきり言うと、ほぼ全部自分で言語化できると思ってて。もう僕の中ではわかってるんすよね。わかってないっていう感覚じゃなくて、わかってるんだけど、自分の13万人ではもう実現してるんだけど、日本でやるのか、どこでやるのか。でも暗殺されない、一番暗殺されない場所として僕日本で選んでるんで。もうヨーロッパではこれ絶対できないんで、僕の思ってるのは。ヨーロッパ・アメリカ・ロシア・中国じゃ無理だから。日本ではできる。脆弱すぎるから、政府が。監視システムも脆弱だから。絶対にできるんじゃないかなっていうのが、僕が思ってる、妄想と人が思ってる、僕は本気だし、多分宮台さんにはその本気が伝わってるし、中沢新一さんにも本気が伝わってると。養老孟司さんにも本気が伝わってるけど、「うちではゆっくりお茶だけ飲んだけ」って帰っていくんですけど。

[宮台真司]
やっぱりね、日本でやるべきだと思う。それはね、別に愛国心じゃなくて、日本が本当に駄目だからなんです。そうだな、ヨーロッパに本当に美しい街が多いじゃないですか。これはね、森とよく似ているなって。森って、やっぱりそこにいると見られてる感じがする。歴史のある街、僕は京都で育ったけど、そういう場所にいるとやはり歴史に見られてる感じがする。言葉がうまく選べないけれども、ただそこにガラクタがあるんではなくって、自分よりも長い命を繋いできた何か全体性という生き物が自分を見てるような気がする。森もそれは同じ。で、日本の街って本当、僕は京都で育ったから特に思うけど、京都は昔はね、僕が小さい頃は4階建て以上の建物なかったし、一番高い建物はお寺さんなんですね。もちろん五重塔も高いですけど、本堂とかも。それがずったずたのグッチャグチャ。友達いなくても、ある種ちゃんとした街で、いわゆるその先祖、あるいは祖先からの眼差しを感じるような場所にいれば孤独にならないんだけど、だから本当は必ず人に繋がらなくても、いろんな動植物と繋がったり。

[坂口恭平]
そうそう動植物とね。僕は僕の先祖をずっと辿ってるんすけど、やっぱ先祖がまさに****なんすよ。僕と同じ血は、1人はアルベルトフジモリなんですよ。ペルーの大統領で。それが全部、河内町白浜というとこでしたね。

[宮台真司]
っていうふうにね。だからそういうふうになると、だから見てれる存在って、神でもあってもいいし、動植物、森であっても、実は街がね、注いでくれる歴史の眼差しみたいなものであってもいいんだけど、日本ってどれもない。こんなにね、駄目な社会が言って、京都出身だから特に思うんだけど、ちょっとありえないっすよ。なので、そこでもちろん救われた人たち、当然多くいる。心が壊れる人たち、当然多くなる。さらに誰も見てくれてないっていう鬱屈から、あのいろんなおかしな営みにいくやつが出てくる。だから、ある種、愛国どうのこうのじゃなくてやっぱ、実験場だよね。これだけ駄目な社会で、人が生きられるっていうのはどういうときだろうか。本当に実験だと思う。

[坂口恭平]
そうね、本当に僕の中でやっぱりね、行政システムによってその建物やそういう都市計画自体が狂ってる、僕は元々建築でもあるから、それを僕はまずは音声上でだけでその都市計画を今やってるつもりで。それで見る限り、そっちの声の都市を作ると、その人間がちゃんと正確に機能することだけは確認済みなんですよね。そこのもう僕のエビデンスが半端ないので、だからちゃんとそれはできるし、熊本であれば僕ね熊本市の族長ともすごいちゃんと連携も取れてるし、うん。熊本市と一緒にちゃんと完全自殺ゼロの都市を作るっていう、あの政策をやるっていうのも絶対不可能じゃないので。うん。だからまずは僕は多分中心部の都ではなく多分まずは熊本を多分やるとは思うんですよね。だからそれを、でも常にメディア上では多分メインの、やっぱりNHKの、夜10時ぐらいからの特集でちゃんとみんながゾクゾクわくわく、昔のなんかエンタープライズでやってた特集見るみたいなノリでできるような環境を作ればいいのかもしれない、本当に。

[宮台真司]
NHKのね、いろんな社会問題を論じて素晴らしい番組と言ってもいいけど、何か隔靴掻痒っていうか、どれを見ても、「そこじゃないんだよな本当の問題は」っていう。

[坂口恭平]
でもみんな言えばわかってはくれるんすよ、そりゃ恭平さんは朝5時から1時間だけね、電話相談もおもいっきり生電話の恭平バージョンやったらそれだけでもだいぶ変わるっていうのもわかるけど、まあね本当はそれをいつかちゃんと命かけてやるっていう。だってどうせ俺、俺が地獄生きてんのに、なんでお前らが地獄に来ないんだよっていつも思うんだけど。みんなは結局会社の方に行っちゃってるから、うん。地獄同士ならやっぱ協力がし合えるからね、だからそういう意味では、やっぱり企業の中にいる人たちの心も少し柔らかくしてあげて、ちゃんと大丈夫だよっていう感じで、彼らも守られてればちゃんと実験もできるはずだから。何かそういうことも踏まえて、ちょっといろいろ今後も相談乗らせてください。宮台さん。

[宮台真司]
こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。

[坂口恭平]
お願いします。なんか「革命を巡る旅」っていう本のタイトルができたんで、その本の対談集の一発目、ちょっと宮台さんでお願いします。アーカイブってこれ、いいですか。

[宮台真司]
もちろん

[坂口恭平]
じゃあ後でみんなで多分聞き逃した方も聞けると思うんで。今回これ2500人超えたときもあったんで、結構とんでもない同時視聴がみんな来てくれてて、皆さんありがとうございます本当に。宮台さん本当ありがとうございました。

[宮台真司]
ありがとうございます。あの、スペースで2500人って普通ないから。

[坂口恭平]
ないですね。これはちょっと聞いたことないです本当に。すいません、ありがとうございます。宮台さんのおかげです、本当に。お世話になりました。じゃあ僕あと1曲歌って終わりますんで、宮台さんお世話になりました。どうもありがとうございます。お体気をつけてくださいね。

[宮台真司]
はい、失礼します。(宮台さん退室)

[坂口恭平]
いやすごかったねこれ。じゃあ、今出てきた詩を歌います。

[坂口恭平]
(歌)
みんな知ってるあの山の色。みんな知ってるあの海の色。みんな知ってるあの雲の色。みんな知ってるあの鳥の声。みんな知ってる私の名前。みんな知ってるあの踊りをね。みんな知ってる私の声を。みんな涙流しながら踊るこの町で。いつか見てたあの景色が、虹のように立ち上がり、君が僕の手を、指の中を、旅してるように握りしめた。

右手が切れても、左手切り落として、右足はどこか行って、左足なくなった。右目がなくなってゆくよ。左目こぼれ落ちてゆくよ。花も昔からずっとなかった、口もないのに音楽は鳴り響く。

かつて生きていた人たちが、とても大きな人たちが、雲の上に紙が届くよね、そんな大きな人たちが、みんな死んでしまった人たち。そんな人たちが集まって、布団の上で寝てる僕の前でみんな胡座かいて指指してる。

君は何かのために生まれた。君は歌を歌うために生きる。君は涙を流すことできる。人前で何か踊ることができるのさ。

東に何かあれば飛んでいき、南の島に船に乗ってく。岸の光指す夕日を見に行こう。北は寒くても裸でゆける。私たちは君の言葉だけ、声聞こえるよ、地面の歌。鳥飛んでくよ、鳥飛んでくる、鳥飛んでくる。夢で見たこの景色がなんで手に取るように分かるの。夢で見たあの声を聞いてる。あなたの耳が花となって咲くその町を。僕は歩くの。君たちはねって。

1人で木材を切ってる。木を、木こりの中の、僕の中の。木を集めて橋を作る僕。君は僕の姿を見ている。湖に映る空の色が、見たことのある色で泣けるよ。いつか歌った歌を君たちの前で今日僕は歌うのさ。懐かしいだろう、思い出すだろう。行ったことある景色だろう。知ってる言葉ばかりなんじゃないか。あの村から死んだ人たちが飛び出してくるのです、私たちの手を握りしめて。私たち。私たちの言葉を聞きながら踊りだす骸骨たちよ。



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