「タイミング」が導いてくれた、一生涯貫く家系ラーメン箕輪家の道!チャンスを掴む秘訣は「全力で素直」であること
最近、Twitterのタイムラインを見ているとやたらと目にする「家系ラーメン 箕輪家」。
皆さんは、ご存知ですか?
どうやら、これからオープンするラーメン屋さんらしい。
今は沖縄や下北沢、いろんなところで出店していて、そういったイベントでないと食べられない幻のラーメン!?
「へえー」と思って眺めていたある日、その箕輪家のグッズ制作やデザインのお仕事をラブソルが担当することになっていました。
私、堀は、ラブソルで動画制作のお仕事を長く担当してきましたが、近頃ではデザインの領域に携わることが増えてきました。
今回、ラーメン箕輪家のクリエイティブを担当することになり、この謎のラーメン屋についてもっと深く知りたい!と、店長の丸山さんを※「ラブラジ」のゲストにお招きしました。
※ラブラジ…ラブソルが毎週水曜日にTwitterスペースにて開催しているラジオ
こちらの記事は、ラブラジの放送をもとに再構成してお届けしています。
サンダルにグラサンで講演会!? 自衛隊からトゥクトゥク運転手へ、人生を変えた出会い
ーー僕は、ラブソルで主に動画制作を担当してきたのですが、最近ではデザインの分野にも関わるようになりました。箕輪家さんのグッズ制作やWEBサイトの制作で担当デザイナーをさせてもらっていて、丸山さんには大変お世話になっています(笑)。最初に、ラブソルと出会った時のことを覚えていますか?
はい。編集者の箕輪厚介さんのオンラインサロンに参加したことがきっかけで、ラブソル代表ゆかさんとみかさんのお二人と接点を持つようになりました。ゆかさんは当時から箕輪さんの会社を手伝って秘書をされていたので、僕が箕輪さんのトゥクトゥクの運転手になったことで、更に距離が近くなった感じです。
ーー僕もそのオンラインサロンにいた時期があるので、運転手になったあたりのこと、覚えています。今、丸山さんがされていることを説明してもらってもいいですか?
「ラーメン箕輪家」の店長をしています! まだ実店舗がなく、イベントやオンラインショップでの販売が中心なのですが…。
ーー「ラーメン箕輪家」ということは、箕輪厚介さんのラーメン屋さんということですか?
そうです!8月1日には、箕輪さんと共同で株式会社を立ち上げました。店舗オープンを目指して、日々闘っています。頑張っているという表現よりかは、まさに闘っているという感じなんですよ。
ーー闘っているのですね(笑)。確かに、イベントで販売するグッズ制作や、店舗オープンに向けてWEBサイトの制作をラブソルで担当させていただいていますが、その一端は感じています。
ラブソルは無理難題をきちんと形にしてくれる、本当に有り難い会社です。いつもありがとうございます。これからも、色々とよろしくお願いします。
ーーいえいえ、こちらこそ。作ったものをすぐにSNSでお披露目して広めてくれるので、やりがいを感じています! 同じオンラインサロンにいたとはいえ、詳しくは聞いたことがなかったなと思って…、丸山さんは自衛隊にいたことがあるんですよね?
大学を卒業してから自衛隊に入りました。在籍していた期間は二年ほどです。兵庫県にある伊丹駐屯地にいました。
ーー自衛隊って、肉体的にも精神的にもものすごくきついイメージがあるんですけど、その二年間はどうでしたか?
最初の一年間は楽しくて、あっという間に過ぎました。ただ、一年過ぎた頃から自分の未来を真剣に考えるようになって。「このままじゃダメだな…」という思いが強くなりました。そこから辞めるまでは、時間が経つのが長く感じましたね。
ーー二年で辞めたとのことですが、入隊した時は長く続けようと思っていたのですか?
実は、入隊した時から自衛隊は経験の一つとして考えていました。ただ、中途半端は嫌なんで二年間は続けようとは思っていました。一任期はきちんと満了できたので、最後までやり切った感じはあります。
ーー辞めるまでの期間に、何か次へのステップの行動はされましたか?
たまたまなんですけど、親友から「箕輪さんという人が大阪にやってきて、立命館大学で講演会をやるから一緒に行こうや」と連絡が来たんです。箕輪さんのことはNewsPicksなどで見て、存在は知っていましたが、正直そこまで詳しくはありませんでした。
ーー実際に箕輪さんの講演会に行って、どう感じましたか?
サンダルにグラサン姿で登場したんですよ(笑)。ちょっと疑問を感じながらも、話を聞いていく内に引き込まれて、「すごいな!」と思って。言葉の一つ一つに僕自身もワクワクしていて…。その瞬間にもう、箕輪さんのことが好きになっていましたね。
それがちょうど、自衛隊を辞める半年くらい前のことでした。講演会が終わって、慌てて箕輪さんが書いた『死ぬこと以外かすり傷』という本を読みました。箕輪さんはどういう人なんだろうって調べて行ったら、箕輪さんが勤める会社、幻冬舎を立ち上げた見城徹さんに辿り着いて。今度は、見城さんの本を読み漁ったんです。もうワクワクが止まらなくなって、この人たちに近づきたいという思いが強くなり、辞めてからすぐに東京へ行きました。
ラーメン屋よりカンボジア。自分の直感を信じて進んだ道で、大事故に!
ーーそして、実際に東京に来て、箕輪さんが所有するトゥクトゥクの運転手になった。東京に来たからといって、誰もが箕輪さんに近づけるという訳でもないと思うんです。すごい行動力ですね(笑)
上京して、ある時、Twitterを見ていたんです。たまたま箕輪さんがご自身が主宰されているオンラインサロン「箕輪編集室」についてつぶやいていて、オンラインサロンの存在を知りました。直感で「これや!」と思い、すぐに入会したんです。そこから三日間くらい「どうやったら箕輪さんと一緒に何かできるのか」を考えて、サロン内を色々と探ったりしました。一生懸命考えた結果、自分には自衛隊で培った体力だけはあることに気づいて、運転手やボディガードだったら箕輪さんに近づけるかもしれないと思ったんです。そしたら、これもまたたまたまなんですけど、「トゥクトゥク運転手募集」という箕輪さんのツイートが目に入って、「これしかない!」という思いでダイレクトメールをしました。
ーー運が良いというか、すごいタイミングですね。すぐに採用されたんですか?
そんなことはないんです。本当に沢山の方が応募をされていたので…。それでもやりたい気持ちが強かったから、チャンスがあったらすぐに動こうと思ってはいました。時間だけはたくさんあったから。ある日、箕輪さんがラジオ番組に出ることになって「誰か来る?」とツイートしていたので、すぐに「行きます!」と(笑)。手ぶらで行くのもどうかと思ったので、ハイボールと履歴書と、箕輪さんへの手紙を持っていきました。
ーーハイボールと、手紙! 手紙といえば、なかなか口説くのが難しそうな著者さんに対して、箕輪さんが直筆の長文の手紙を書いたというエピソードを聞いたことがあります。
そうなんです、実践してみようと思って。でも、箕輪さんに会った瞬間にハイボールを渡して「乾杯しましょう!」と調子に乗って…。めちゃくちゃアホですよね。今考えるとかなり失礼なことをしているし、嫌われて当たり前のことを普通にやっていました。その後も、社会のルールというか、色々なことをわかってない自分に、箕輪さんはブチ切れつつ教えてくれて…。素直に謝ると、すぐに「いいよ」と、三文字で終わり。大きな人だなと思いました。
非常識だったけれど、行動力だけはあるところを評価してもらえたのか、そこから約半年くらいトゥクトゥクの運転手やいわゆる鞄持ちをしました。
ーーなるほど、そういう経緯だったんですね。そのあと、確かカンボジアにいましたよね。運転手から、どうしてカンボジアに行くことになったんですか?
箕輪さんは、ここぞという時にいつも声をかけて話をしてくれるのですが、運転手になって半年くらい過ぎた頃「まるちゃん、今後はどうするの?」と聞いてくれて。「いやぁ…、何か見つかるかなと思ってミノトゥク(箕輪さんのトゥクトゥクの愛称)で日本一周したりしたんですが、次やりたいことは見つかってないです」と正直に答えたら、僕の今後のことを一緒に考えてくれたんです。僕の活動を見た方から、社長の専属運転手のお話をいただいていたので相談したら「いや、違うんだよな。まるちゃんはトゥクトゥクだから良かったんだよね」と。確かに普通の運転手になっても、きっと僕はワクワクできない。話の中で、「じゃあ、ラーメン屋さんやるか? それともカンボジアとか、どこか海外に行くか?」と提案されて、ラーメン屋はやりたいイメージが持てなかったので、カンボジアへ行くことに決めました。
ーーラーメン屋のお話は、その時から出ていたんですね! でも、なぜそれを選ばずにカンボジアへ?
少し前に一度、カンボジアへ行って箕輪さんとイベントをしたことがあって、めちゃくちゃ面白かったんですよね。心が本当にワクワクしました。「あぁ、これやったら何かできるわ」と思ったので、一週間後には移住してカンボジア生活がスタートしました。
ーー一週間後…!早すぎる。そのタイミングで、カンボジアで何をするかの構想はあったんですか?
…全くないですね。
カンボジアに行ってから、以前イベントの際に知り合った人のつながりから、ひたすら色々な人に会って話をしました。箕輪さんが出資するという話もあったので、周りの人たちが僕を使って難しいビジネスをやろうと思ったんでしょうね。アドバイスなどを受けて「IT特区をカンボジアでやりたい」と箕輪さんに伝えたら、ブチ切れられました。「お前バカなんだから、バカでいいんだよ。ラーメン屋さんやりなさい。それか石ころ拾って売りなさい。」って。
僕、こう見えてめちゃくちゃ病むんですよ(笑)石ころって…、と思いながら一日病んで。でも、そこから吹っ切れて「ラーメン屋さんはやらないですけど、石ころ拾って売ります」と伝えて、「ミノトゥクカンボジア一周 石ころツアー」というクラウドファンディングをしました。
ーーここでもラーメン屋は選ばなかったんですね(笑) そこでクラウドファンディングしちゃう行動力もすごいですが…。カンボジア一周は無事に終わったのですか?
コロナ禍に突入してしまい、途中で終わってしまいました。日本もそうだったと思うんですけど、カンボジアも地方に行ったらいけない雰囲気があって…、動けなくなってしまいました。「カンボジアでできることを探さなあかん! 」と思ったタイミングで、たまたまある日本人の方々と出会いました。その方たちと飲食事業を始めることに決めて。色々と準備をして、無事にお弁当屋さんと日本食レストランの立ち上げをしました。コロナ禍で苦労も多かったですが、なんとか営業していたその矢先…、バイク事故に遭ってしまったんです。
ーーバイク事故…。海外で事故に遭うって、大変ですよね。怪我をされたんですか?
開放骨折です。骨がバラバラになってしまいました。
ーー大変な事故だったんですね…。
めちゃくちゃ大変でした。「奇跡が重なって生かせてもらった」と思っています。今、歩けているのは奇跡です。血が足りなくてギリギリやったし、命を落としても仕方のない状況でした。普通の人だったら、足がとんでも仕方のない状況だと言われたんです。助かって、本当に有り難いです。
ーー事故があって、カンボジアの病院で治療を終えてから、日本に帰って来たんですか?
そうですね。手術を終えて、ある程度動けるようになってから日本に帰ってきて、すぐにリハビリテーション施設のある病院に入院しました。最初は、足が全く曲がらなかったんです。リハビリのお陰で、100度くらいは曲がるようになりました。ぎこちなくても普通に歩けるようになったので、救ってもらった方々には本当に感謝をしています。
生かされた命、「箕輪家」だからこそ賭ける価値がある
ーー本当に、命があって、歩けるようになって良かったです。帰国してから、これまで二度に渡って避けてきたラーメン屋をやろうと思ったきっかけは、何だったんですか?
カンボジアで事故を起こして帰ってきているので、箕輪さんには中々連絡をすることができませんでした。共通の知り合いを通して、僕が日本に帰って来ていることは箕輪さんの耳に入っていて…。昨年のクリスマスの日、突然箕輪さんから連絡が来て、「箕輪家ってラーメン屋やるんだけど、店長やらない?」って言われたんです。事故の件で、精神的にも金銭的にも家族にも迷惑をかけてしまったし、「僕、今歩けないので…、ちょっと考えさせて欲しいです。」と伝えました。そしたら、「歩けなくても、湯切りはできるでしょ?」という言葉をもらって…。事故を起こした自分の不甲斐なさのせいで、それまでずっと、笑えてなかったんですよね。その言葉を聞いた瞬間、「やっぱ俺には箕輪さんや!」と思いましたね。「人生かけてラーメンやるしかねぇ!」と決めました。ただのラーメン屋じゃない、「箕輪家」だからこそ意味があると思ったんです。
ーー断り続けたラーメン屋、まさに三度目の正直…! 昨年のクリスマスにラーメン屋をやると決めて、今はどんなことをされているんですか?
僕、ラーメンの味とか全然分からなかったんですよ。ちょうど知り合った「博多ラーメンでぶちゃん」の経営をされている甲斐さんから、「もし良かったら来うへんか?」と言ってもらえて。僕も味を教えてくれる人を探していたので、二ヶ月ほど修行をさせてもらいました。
ーーそこでそういう方と出会っているのもすごい! ラーメン屋で修行をしながら、箕輪家の味を追求していると。固まってきたんですか?
そうですね。最近になって、自分の言葉でちゃんと表現できるようになってきました。一気に自分の中でこういう味がいいなというものがイメージできて、作れるようになってきているんです。
ーー丸山さんが、これから箕輪家を通して実現していきたいことはありますか?
僕はずっと箕輪さんを尊敬しているし、本当に大好きなんです。箕輪さんが編集者としてやってきたことは、ある意味常識を覆してきたことだと思うんです。常識には従わないんだけれども、結果はしっかり出していく。鞄持ちをしながら箕輪さんと一緒に過ごしてきたからこそ、自分もラーメン屋をやる中で、それをやっていきたいです。人それぞれ違うので、同じようには難しいかもしれないですけど…。箕輪さんの鞄持ちをしたからこそ出来ることは絶対にあると思うので、それを実現したいという思いはあります。
日本で一店舗作って、しっかりと長続きするラーメン屋を目指します。そこから海外進出もしたいと思っています。
ーー最初の段階から海外も見据えて動いていくということですね。8月1日に箕輪さんと一緒に株式会社箕輪家を立ち上げたとのことですが、今は物件探しをされているのですか?
物件を探しながら、ECショップで「おうちで箕輪家」を販売したり、呼んでくださる方々の元へ地方巡業もしています。お店をオープンした時に、少しでもお客さんが来てもらえるようにしたいので。それプラス、ラーメンの味の追求もしています。
ーー巡業先でラーメンをつくって、いろいろな人に食べてもらう。良いですね! 箕輪家のECショップは順調ですか?
ECの箕輪家では、箕輪さんの誕生日の日にちである28日に、毎月冷凍ラーメンの販売をしています。でも、本当は冷凍よりもお店で食べてほしいという思いがあります。そのためにも、早く店舗を構えたいですね。
ーーこれまで各地でイベントを続けてきたこともあり、確実に箕輪家のファンが増えていますよね。
どうなんですかね。僕自身は目の前のことに集中していっているから分からないです…。でも、皆さんのおかげです!有り難いです。
僕はアホだから行動できた。ただ、「全力で素直に生きる」だけ
ーー丸山さんを見ていると、本当にいろいろな人に応援されているなと思うんです。でも、人から応援されるって簡単に出来ることではないですよね。秘訣を教えてほしいです。
「全力で生きる」ということですかね。全力で生きるといっても、120%で走り続けるということではないです。僕は、走り続けてしまったから事故にあったのかもしれないですしね。長く走り続けるためには力を抜かなあかんところもあるし、走るところは走らなあかんし…。素直に生きるって感じですかね! 全力で素直に生きる! 箕輪さんのそういうところが、僕一番好きなんです。
ーー素直さ。自分にも相手にも嘘をつかないということですかね。それが丸山さんの魅力であり、周りの人から応援されていく秘訣。
僕のやることは、店舗の「箕輪家」を好きになってもらうことです。僕よりも、箕輪家です!
ーー丸山さんは、チャンスが来たときに動くスピードが早いなと感じます。でも、新しいことになかなか一歩を踏み出すことができない方も多いですよね。もし自分の目の前に、悩んでいる方がいたら、丸山さんだったらどのような声かけをしますか?
人それぞれっていうのが、僕の中にはあって…。僕はアホやから行動ができたと思うんです。みなさんはいろいろと考えられているし、その時は行動をしなくても、それが自分だと認めることも大事なんじゃないですかね。みんな違って、みんな良い。僕は僕。皆さんは皆さん。それで良いと思います。
ーーあるがままの自分を受け入れていく。踏み出せない自分も認めていくことが大切なんですね。丸山さんもいろいろと考えて行動しているように見えますが、何か意識をしているところはありますか?
人に喜ばれることが、僕のやりたいことです。もちろん自分のためなんですけれど、誰かのためにやって喜ばれることが嬉しいです。
ーー確かに! 丸山さんの行動はいつも、結果的に誰かの喜びにつながっていますね。
自分がワクワクしたいということも大きいですけど(笑)
「まるちゃんの頑張っている姿を見ると、私も元気が出ます!」みたいな言葉を言われることが、一番嬉しいかもしれないですね。
今、ラーメンという自分の生き甲斐がやっと見つかったので楽しいです。ラーメンの道は一生変えない覚悟です。
ーー一生変えないという軸に出会えることって、凄いことですよね。
本当に有り難いです。これまで、自分の生きがいを見つけるためにずっと行動をしてきました。まさか、それが自分が四年も断り続けたラーメンだとは(笑)
ーー当時は、丸山さんの中では「絶対にない!」と思っていたわけですもんね。やってみないと分からないこともありますね。
タイミングが一番大きいです。一回死にかけて、もう一度歩けるようになった。何をして生きていこう、と考えていたタイミングでの箕輪さんからのオファーだったんです。そのタイミングだったからこそ、「これや!」と思いました。
ーーこれから、人生をかけてラーメンと向き合っていく。では、箕輪家のファンのみなさん、これから応援してくださるみなさんに、メッセージをお願いします。
引き続き、よろしくお願いします!
ーーシンプルですね(笑)
はい…。
実力もないうちに注目度だけが上がっていくのは、正直いやでした。今はその状況を有り難いと思って、実力をつけていこうと思っています。チームの人たちがずっと応援してくれたり、力を貸してくれたりしてくれているので、それが本当に大きいです。ずっとラーメンを買ってくれている人たちもいますし、それがあるからもっともっと頑張ろうと思えます。感謝、感謝です。
ラーメン箕輪家ECショップ
現在、ラーメン箕輪家は、イベントでの出店やECショップでの活動をしながら、実店舗オープンに向けて活動中!
2022年、年内にドバイへの出店が決定したようです。
日本では、都内への出店を目指して物件選定中とのこと。
丸山さんや、ラーメン箕輪家公式Twitterで最新情報をチェック!
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聞き手:堀 基晴
執筆:上村 ゆい
編集:柴山 由香
撮影:池田 実加
バナーデザイン:小野寺 美穂
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