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「別に工夫無し」ー偶然の出会いから、人生の本質に触れる旅 #旅するラブソル @caelum_555

皆様、初めまして。
ラブソル旅部メンバーの小川です。旅部、今(勝手に)作りました。

ラブソルメンバーとは最近一緒に旅することが多く、これまでも写真にも写り込んでいたので、この人誰だろう? と思っている方もいらっしゃっるかもしれません。
私は皆様と同じくラブソルのファンであり、そして旅の仲間です。時々一緒に仕事もさせてもらっています。

そんな縁で、旅に関しての記事でラブソルnoteに登場することになりました。よろしくお願いします。

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行き先はあれど、意思決定は柔軟に


11月12日、素敵な出来事ばかり連続で起こった秩父への日帰り旅行。

今回の旅は、ラブソルアライアンスメンバーでらみのある日のつぶやき、「業が深い」の一言がきっかけとなりました。
短期間に、あまりにも色々なことがその身に降りかかったでらみ。それを見た代表の由香・実加はとある関東屈指のパワースポットを思い浮かべ、でらみを連れてそこへ行くことこを決めました。私はしっかりそれに便乗させてもらうことに。

その関東屈指のパワースポットとは、秩父の三峯神社です。
旅に出ることの多い私ですが、灯台下暗し、近場の埼玉はあまり行ったことがなく、三峯神社も初めて訪れる場所。
これまでの経験から、旅好きの2人由香・実加が勧める場所は良いところばかりであることを知っている私は、今回の三峯神社も楽しみにしていました。

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日帰りドライブ旅行当日、埼玉に行くはずなのに何度Googleルート検索をやっても、山梨経由が推奨ルート。距離的には遠いはずなのに…なぜと思いつつも、この日はなんとも気持ちのいい秋晴れ。富士山を見ながらのドライブも良さそうと、旅好きメンバーたちはあっさり山梨経由で秩父に向かうことを決めました。

すっかり冬化粧を終えた富士山が映える青空が続く中、平日で渋滞に巻き込まれることもなく、順調に山梨入り。
勝沼インターを降り、程なくして黄色く紅葉したイチョウが印象的なお寺の門が目に飛び込んできました。

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一度は通り過ぎながらも、同乗者皆があのお寺なんか良さそうと意見が一致。ラブソルメンバーは意思決定が早いので、すぐさま予定を変更。気になったお寺へ向かうことになりました。

信玄公に呼ばれたかのように

今回立ち寄ったのは、「恵林寺(えりんじ)」という臨済宗妙心寺派のお寺。そう、禅宗のお寺です。山号(さんごう)は「乾徳山」で、朱色の四脚門にも額が掲げられています。

乾徳山の名の由来は、恵林寺を開いた夢窓国師が坐禅の修行をした山が、恵林寺から見て乾の方角にあり、徳和村にあることから乾徳山と名付けられたとのことです。

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このお寺、なんと武田信玄公の菩提寺でした。あの武田信玄のお墓! しかも、たまたま立ち寄ったこの日は、信玄公の月命日。普段は公開されていない、信玄公のお墓も拝観できると判明しました。
信玄公に呼ばれたのではないかと錯覚してしまうくらいの、ぞくっとするような偶然でした。


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信玄公が恵林寺を菩提寺と定めたのは、快川和尚の存在が大きかったと思われます。信玄公の母親は教育熱心な方だったようで、四書五経や孫子等を学ばせたと言われています。
そのため、甲斐の虎と恐れられた信玄公ですが、武人としてだけでなく教養も優れ、同時代の高僧たちを招き、問答や法話に勤しんだと伝えられています。快川和尚もその中の1人です。

恵林寺は武田氏滅亡後、織田信長による焼き討ちにあい、快川和尚は辞世の偈(禅僧が悟境を韻文の体裁で述べたもの)として

「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ずから涼し」

と唱えつつ、炎に包まれ亡くなったそうです。

この言葉は、恵林寺の山門にも掲げられていました。

詩は、元々は中国の詩人である杜荀鶴の漢詩「夏日題悟空上人院」の第3句と第4句にあたり、禅宗の碧巌録(臨済宗で最も重視する高僧たちの語録)にも収められています。

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座禅をするには、必ずしも山中や水辺に赴く必要はなく、無念無想の境地に入れば、火の中でも涼を感じるものだ。

炎に包まれながらそう弟子たちに説く快川和尚の様子を想像すると、その腹の座りっぷりに圧倒されるだけでなく、悟りとはかくあるものかと思わざるを得ません。

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恵林寺は、本能寺の変のあと、徳川家康によって復興されました。五代将軍綱吉の時代に甲斐国主になった柳沢吉保の庇護のもとさらに発展し、柳沢家が転封された後も、柳沢吉保夫妻の墓所は恵林寺にあります。

柳沢吉保は、信玄公と同じ甲斐源氏の一族であることを強く自負していたこともあり、武人としても教養人としても尊敬に値する信玄公の眠る恵林寺で共にあることを望んだのでしょう。
吉保公の霊廟には直筆の納め状も展示されており、その文面からも信玄公を尊敬してることが垣間見ることができます。

一生懸命やるべきことをやればいい

恵林寺での見所のひとつに、開基である夢窓国師によって造られた庭園があります。

夢窓国師は、天皇のみ与えられる一番高い位の僧の称号である「国師」を生前と死後に渡り7回その称号を賜るほどの人でありながら、作庭家としても活躍し名高い庭を数多く手掛けた人でもあります。

恵林寺以外だと、嵐山を借景とした天龍寺、あと通称苔寺で知られる西方寺などが有名です。
夢窓国師は、池泉回遊式庭園を得意としただけでなく、枯山水庭園を日本で最初に手掛けたとも言われています。その意味では、日本文化を造ったと言っても過言ではありません。

おそらく、夢窓国師にとっては作庭すらも修行の一環だったのでしょう。

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夢窓国師は著書『夢中問答』の中で「別に工夫無し」という言葉を残しています。

これは、「あらゆることを一生懸命に努めれば、自ずから工夫など意識せずとも道はなる」との意です。

座禅の時はもちろんのこと、作庭の時、そしておそらくそれ以外でも禅のことを考えていた人だからこそ出た言葉ではないでしょうか。
旅先でも楽しみながら仕事をしているラブソルメンバーに通じるものがある気がしました。

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ふらりと寄ったお寺で、まさかこんな高名な方の庭園を見ることができるとは思っていませんでした。すごい偶然。
これも何かの縁なので、次に京都を訪れる際は、久々に天龍寺と未だ行きそびれている西方寺に足を運ぼうと思います。

恵林寺には他にも見所がたくさんあります。
見事なうぐいす廊下があり、その先には信玄公が生前対面で摸刻させた等身大の不動明王が鎮座しています。武田不動尊と呼ばれるその像には、剃髪した毛髪を漆に混ぜ、信玄公自ら胸部に塗り込んだと伝えられているそう。

その後、道は信玄公の墓所へと続きます。この流れで信玄公を身近に感じられたので、できるなら一度は月命日にこの寺を訪れることをおすすめします。

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偶然立ち寄ったお寺で、日々を生きていく上で大切なことに出会えるとは思ってもみませんでした。それは、私自身も心がけている、ただ目の前のことに夢中になって手を動かすということ。

時代がどれだけ移り変わろうと、テクノロジーが発達しようと、人生で大切なことは本質的には変わらないのかもしれません。

元々の目的地であった三峯神社については、また次回に。


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LA BOUSSOLE 旅部
ゆきえ  Twitter

撮影:ゆきえ・柴山由香・池田実加

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