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分離の体験をなぜするのか?

愛する人と結ばれない

愛する人から愛されない

思っている通りに進まない

望んだことが叶わない

信じていた人から裏切られる

ひどい扱いを受ける


などなど


わたしもたくさんの分離の体験をしてきました


幼少期は親との関係が大きかったように思いますし

大人になってからは仕事や得たいものなどが、努力をしても思った通りに進まなかったり、いいところまでいっても邪魔が入ったり

パートナーシップではツインの分離体験があります


ではなぜ分離を体験したいのでしょうか

大前提として、体験したいからしています

わたしたちは本当に、実は、思った通りのことを叶えています


思った通り、というのは、人間の顕在意識ではなくて

ハイヤーセルフなどと言われる高次の自分自身の意識

潜在意識の思った通りになっているということです


わたしもそうなのですが

そもそもハイヤーセルフとかなり分離していたため

なぜ自分の人生はこんななの?

なぜうまくいかないの?

とずっと思っていました



いまもし、「人生は自分の思った通りになる」ということばに絶望したり、こんな人生望んでない!!と思っていたとしても

ハイヤーセルフと一致してくると、本当に自分の望んだ通りになっていると納得するし、自分自身を誇らしくさえ思います


いまは納得できなくても、誇らしく思えなくてもいいです

そう思える日は進み続ければやってきます



世の中には、大きくわけてふたつの種類の人がいると思います


目覚めの道に進むと決めている人と

そうでない人


目覚めの道に進むと決めている人も

今回の人生が総仕上げの人もいれば

今回の人生が入り口の人もいるのではないかと思います


大事なのは、ほかの人のことではなく

自分がどの段階にいるかです


自分がどこまでいきたいと思っているのか


分離の体験をすることを、自分で決めている

(これはもしかして、生まれる前に決めたかも)

人は、じゃあなんで分離の体験をすることを望んでいるのか


それは、「統合の体験をするため」だと思っています

少なくとも、たぶんわたしはそうだな、と思いますからシェアしてみてます


じゃあなんで統合の体験をするためにわざわざ分離の体験が必要なのかというと、分離がないと統合がなにかもわからないからです


対比があるからこそ、味わい深いのです


はじめからひとつしかなかったら、比べるものがなかったら、味わえない



わたしは、小さいころからどうぶつが好きで、でも母が動物と暮らすことを絶対に許してくれず、繊細で幼いわたしは動物のことで心を痛める出来事も多々あり、心の奥底に本当の気持ち=どうぶつがだいすき

を閉まって、感じないようにしていました


心を解放していくうちに、また動物が好きという気持ちを思い出し、犬を飼いたかったのですが、いのちを育てるということが怖すぎたので、どうぶつの学校に二年通い、そこで出会った白いトイプードルの里親になりました。


犬といるときの自分は、本当に自分らしいな、と自分ではっきりわかります


多くの人は犬を飼うために、わざわざ学校に通い、数百万円も、数年もかけないと思います。

でもわたしにとってはこの労力が必要だったのです


子供の頃に、

だいすきなものを無条件で愛することを許されない環境=分離

を体験しているからこそ


犬といる自分は本当に自分らしいと実感=統合

を味わえたのです


だからわたしは、小さいときから犬を飼うことを許されていたら、もっと幼少期のわたしは孤独を感じず、わたしらしく生きられたかもしれない、と思いつつも、これはじぶんで設定したんだなあ、と非常に納得できます


でもそれは、分離を分離のままで終わらせず、統合体験までやったからです


これは、わたしにとっての自己統合体験の大きなひとつです


カルマの解消も、統合体験です

わたしは今世、統合体験をしまくりたいんだなあと本当に思います


これを読んでいる人はそのようなかた、多いのではないでしょうか


カルマの人間関係に遭遇することによって、お互いの間にある、不要なエネルギーを浄化していきます


それがときには、思いがけない苦痛を伴ったり

理不尽な裏切りだったり、すべてを吸い尽くされるような

体験かもしれません


理不尽だったり、不条理だったりする扱いをされて

相手を憎み、仕返しすることもできます


が、カルマの解消の場合それが叶わない状況だったりします


自分よりも相手のほうが未熟な精神性であるがゆえに、やりあいにならずに一方的に攻撃を受けたりする場合もありますが、この場合、カルマの解消も関係しているのかなあ、と思っています


やり合いになると、またカルマが生まれたりするので、話してもわかりあえいないという設定にして、カルマの解消が終わったら、離れていくという設定にしているのかもしれません


よだんですが、真実の道を進んでいる

分離から統合へと進んでいる人は

そのときどきで、必要な人間関係が現れては消えることも多く、それもまた、自立を促されるので、自己統合へと向かっていくようになっているのだと思います


統合とは、バラバラだったものがまとまってく

という印象なのですが


いらないものは浄化し

自分自身のピースを集めて

たったひとりしかない自分の真実のかたちを

完成させていく、というのが統合体験だと思っています


真実を生きることは気持ちいいです


愛をこめて






いつもありがとうございます!サポートは身近にできるライトワーク。それができるあなたは素晴らしい!!あなたにも愛をお返しします!