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自分を大切にできないときは周りを大切にしなくていい

「自分を大切にすること」について
わたし自身も、もう何年も意識して
今まで自問自答し、実行してきました


本当に最初は自分を大切にすることの
意味がわからなかったし

すでに、大切にできていると思っていました


「自分を愛する」なんて
もうまったくわからなかった


愛がなにかがわからなかった


それでも、精神世界に目覚めたら
もう止まれないですから


自分自身と向き合うなかで

本当に、自分を愛することが
できるようになった


進みながらも
こんな自分になれるなんて
思ってもみなかった


自分を愛することができるようになったのは
たくさん傷ついたからだと思います


与えまくっていた時期
承認欲求や劣等感、不足感があった

だから見返りを求めた

だから満たされなかった


自分のことでいっぱいいっぱいだった時期
与えることをやめた
人になにかをすることを一切やめた


それは、心地の良いものではなかったけど
いまこの状態で自分が我慢してまで与えることは
真の愛ではないし、見返りを求めるから
それはなんか違う

とわかっていたからです


そんな時期は決して
心地の良い時期ではなかったけれど
見返りを一切求めてもいないからこそ
たくさんの周りの愛に気づいた


見返りを求めずに
偽善もなしに
他者への興味も持たず

日本人お得意の忖度もせず
空気も読まず


ただただ、自分のことだけでいっぱいいっぱいな自分を認め、自分のことだけ精一杯、責任を持って生きた


そうしたら、意外なところに愛はたくさんあることに気づいた

というより

「ただ純粋に見返りなく当たり前に愛を与えている存在」

に反応できる自分になったのだと思う


それは意外と
役所の人だったり
レジの人だったり
自然だったり
動物だったりした


逆に、見返りを求めている
不足感や劣等感からの愛との違いも
わかるようになった



だからやっぱり、自分を満たすことがいちばん重要なんだ


逆に
怒っている、狡いなどの存在が
どれだけ不足感でいっぱいなのかが
よくわかるようになった


(怒っていたり、狡かったりする人は哀れだけど
エネルギーを奪ってくるので要注意です)


(見返りを求めている存在は
それが達成されなくなると
離れていったりします)


自分のことでいっぱいいっぱいな時期
与えられなかったりしたときも
愛をもらったときにも

やっぱりわたしは与えることのできる存在でいたい
と思った

だから自分のことをちゃんとしようと思いました

精神的にも物理的にも真の意味で自立すること

自分が自分に満足で誇らしい人間であること

それを達成していこうと思った


自分の周波数、ステージが変わると
自分が反応するエネルギーが変わる

だから環境や人間関係も変わるんだと思う

個人的に、最近自分が変わったなと思ったことは
人間として尊敬できる人に、仕事を通して出会ったことです


プライベートではあっても
仕事を通してはっきりとした体験はなかったので
また一つ変化を感じました



わたしは人間としてステージを上げたい
という思いが強いから

人よりも人生に対して貪欲だなと思います

だからこそ、妥協できないし
自分に嘘はつきたくないしつけない


それは社会では浮く生き方でもあります笑


自分を認めるとそんな唯一無二な自分でいいと
思えるようになります


そういう方を応援したいというのも
わたしの魂の望みでもあります。






いつもありがとうございます!サポートは身近にできるライトワーク。それができるあなたは素晴らしい!!あなたにも愛をお返しします!