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アメリカ横断の旅。序章


カメラに眠ってた写真が泣いてる気がしたので書く。


アメリカ横断を決意した時、私は沖縄にいました。

それは22歳の頃の話で、決意した瞬間は今はもう思い出せないけど、理由はなんか面白い所に行ってみたいとか、刺激が欲しいとかそんなかんじでした。

でも、あの頃は、この話を人には言えなかった。

だって、聞いてくる事はみんな大体同じで、
「なんでアメリカ横断したいと思ったの?」だったから。

でも私はその問いに上手く答える事が出来ませんでした。


と言うか、なんでって何?
なんでってどう言う意味?!

みたいに混乱してた覚えがあります。笑



なんで、アメリカかと言われれば、デカいし面白そうだしなんとなく行きたいと思ったから。だし、
なんでそんなことするのかと言われれば、なんか楽しそうだからだとか、そーいうことやってみたかったから。だし。


でもそれをそのまま言う事はなんだか求められてないような気がして、なんかもっと大それた理由を言わなくちゃいけない気がして。

結局、混乱するのでそれを聞かれるのが段々嫌になり、アメリカの事はあまり口にしないようになりました。(アホ)



今では、普通にアメリカの話をします。
話すだけで興味を持って貰えるし、今は「なんかやってみたかった」もちゃんとした理由だって分かるから。

(というか経歴を聞かれても、飽き性すぎて半年に一回仕事を変えてた(×10回以上)ことや、沖縄で毎日飲んでた事や、アメリカで死にかけたくらいしか話すことがない。ぽんこつである。)

要するにあの頃は、背伸びをしていたし、大人だからちゃんとした事言わないといけない!と思ってたんですね。



アメリカの歴史を知るために自らその場所に行きたくなった。とかね。言わないといけないと思ってた。


そして、もう大人なんだからちゃんとしなさい。という周りからの声を気にしていたんでしょう。というかめちゃくちゃ気にしてた。

のらりくらりと沖縄で暮らしてるのが性に合っていて楽しいけど、まわりはみんなちゃんと仕事したり結婚したりしてるのに、わたしはポンコツだなぁ〜ってたまに落ち込んでた。笑


でも今は、もっと歳をとったのでそんなことどうでもよくなりました。笑



だから書く気になったのかも。


冒頭で言ったように、アメリカに行こうと決意したのはその時住んでいた沖縄ででした。
その話にいいね!一緒に行こう!と乗ってくるような女友達を持った私は心底運がいいと思います。
1人ではきっとのたれ死んでいました。高確率で。

アメリカに発つ約3か月前に生まれ育った茨城に戻り、朝から夜までアルバイトの掛け持ちをして寝ずに働き、アメリカ行きの資金を貯めました。

いやコツコツと貯めとけよ!という話なのですが、私の性格上それは無理でした。笑


毎日貯金箱と通帳を眺め、もう少し、もう少し、と思いながら白目を向いて働き、ついにその日がやってきました。
終わってみれば3か月なんてあっという間でした。終わってみれば。


アメリカへの飛行機代と横断に必要な本当に本当に最低限のお金。
そしてカメラとめちゃくちゃ重たいリュック。

それらを持って、私の旅は始まりました。


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出発前、成田空港にて。

『L』のキャップがそこはかとなくダサくて良い。



次回は、最初に降り立ったサンフランシスコから写真と共に書いていきます。



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