『人生の教科書 よのなかのルール』(藤原和博)を読んで
『人生の教科書 よのなかのルール』を読みました。初版は98年、時の流れを感じながら読めるのも醍醐味です。
藤原和博さんが、接待の理由からみる“世間のドーリ”やハンバーガーからみる“ケーザイの仕組み”(こういう切り口、あったなあ)など「よのなか」を解説していく本書。ただ共著となっており、後半からはさまざまな知識人の方たちがコラムを寄せています。
そのなかで久々に宮台真司さんの文章を読みまして、ひじょーに懐かしかったのであります。学生時代の頃、宮台さんはもちろん、宮崎哲弥さんとのM2のようなユニット?の注釈だらけの対談の本など好きでしたので。
ただ過去に耽るわけではなく、今読んでも通用するというと失礼ですが、そうだよなあ、と思う節がありましたのでクリップします。
基本スタンスとして、宮台さんが述べていることは一貫しています(そういうところも好きです)。
意味なき時代の生き方
成熟社会の日本。豊かさを求める物語は消滅し、意味なき時代へと移り変わりました。この現代社会をどうやって生きていくかというテーマは、2019年現在もいまだに言及されています。
宮台さんはダンスやスポーツなどの分野で、今ここを充実させている若者に注目します。ある若者は「とりあえず勝つこと」を目標と定めているといいます。勝つことは手段であって口実。みんなで集って一生懸命に打ち込むこと自体が目的です。
物語よりも体感。そうして今ここを充実させることを、宮台さんは「素晴らしい知恵」だといいます。
ちなみにニーチェはこう言っています。「意味が見つからない良き生が遅れないのではなく、逆に、良き生を送れていないから意味にすがろうとするのだ」。
偶然こそが力の源泉
僕たちの生の充実は、偶然にさらされていればこそのものです。偶然に左右されないで、食糧を、安全を、所属を、自己実現を確保しようとするからこそ、そこに一生懸命さが生まれ、「今ここで生きていること」の濃密さがもたらせます。
人生の偶然性に対して、人は宗教をはじめとして、あれこれ意味付けをしようとします。なるほど、偶然こそが力の源泉だという考え方はおもしろい。
「しょせん」か?「あえて」か?
「そこそこ楽しいけど、意味がない」のか「意味はないけど、そこそこ楽しい」のか。この対立を、僕は「しょせん」派と「あえて」派と呼んでいます。「しょせん、意味ないだろう」という立場か、「意味はないけど、あえてやってるんだよ」という立場です。
たとえばスポーツをしていて不可能な目的あったとして「あえて」優勝を目指して「今ここ」をがんばるか。「しょせん」時間の浪費ととらえるか。
つまり「しょせん」はネガティブであって、「あえて」はポジティブというお話です。意味なき時代、「あえて」で「今ここ」を充実させる生き方をしませんかと。
読んだとき「あえて」ベタな生き方を選びたいと言ったダイノジの大谷さんを思い出しました。
カラオケで一曲目を「あえて」歌うベタをできるかどうか。マキタスポーツさんも『1億総ツッコミ社会』だからこそ、一周まわってベタをしようじゃないかと提唱しています。
「あえて」はポジであり、ベタ。諦観というか、受け入れて“そのうえで”なスタンスを取っていきたいなあというお話です。
人生の「しょせん」に気づき、「あえて」にもすぐに移行する。若い方にこういう人って一定数いて、これが“ませている”の正体なんじゃないかなあ。
といわけで以上です!
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