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『モモ』(ミヒャエル・エンデ)を読んで

いいタイミングで『モモ』を読めた気がしています。

これまで読めていなくて、ただ「時間泥棒」というキャッチだけ頭のなかに残っていた。先日、篠田さんがnoteで『モモ』を「傾聴」の切り口で紹介されていて、興味を持って買ってみた。

そんな矢先、参加しているコミュニティの読書会の課題本にもなった。ふと「読むタイミングようやく来たんだなあ」と思った。小林秀雄は「古典とはその場その場の取引です」と言っていたけれど、縁って本当にありますね。

あらすじ

ある大きな街の古びた円形劇場に、一人の女の子がどこからともなく現れ、住みつくようになります。モモと名乗るその少女は、じっと人の話に耳を傾けるだけで、人々に自分自身を取り戻させる不思議な力をもっていました

貧しくとも心豊かに暮らす人々の前に、ある日、〈灰色の男たち〉が現れます。時間貯蓄銀行から来たという灰色の男たちは実は、人々から時間を奪おうとする時間泥棒でした。

時間を節約して時間貯蓄銀行に時間を預ければ、利子が利子を生んで、人生の何十倍もの時間をもつことができるという、言葉巧みな灰色の男たちの誘惑にのせられ、人々は余裕のない生活に追いたてられていきます。そして時間とともに、かけがえのない人生の意味までも見失っていくのです。

モモは盗まれた時間を人々に取り戻すために、叡知の象徴である不思議なカメ、カシオペイアとともに灰色の男との決死の闘いに挑みます。

この本はたしかにモモを軸に「傾聴」で読める。友だちはもちろん決死の闘いを挑む灰色の男でさえ、モモは寒気を感じながらも話を聴きます。結果として灰色の男はポロッと本音を話し、物語の振り子がここからぐーっとゆれ始めます。

あ、ちなみに自分のなかのモモのイメージは、奈良美智の女の子であり、チコちゃんのあのかんじ。

読んでいてとくに感じたのは、現代社会のシステムへ対するメッセージ性。子どもならではの感想もきっとたくさんあるはずだし、大人も同じように何かしら得られる本だ。

「時間」と「お金」。

普遍性があって、ずっと考え続けられるテーマ。

楠木建さんがおっしゃっているお金の特徴は「単純性」と「普遍的交換性」と「貯蔵性」。つまり時間は本来「単純性」しか当てはまらない。だからこそ時間は平等であるっていう考え方もできる。

でも「時は金なり」って言う。大事だよねって。で、その時間をお金に変換して物語に昇華させるミヒャエル・エンデって、素直にすごい。

個人としては、時間そのものの価値を訴えているというよりは、お金についてもの申したい印象を受けました。

お金を時間に変換させる物語を通じて「つねにどこか忙しなく生活しなければならない」いまの資本主義の仕組みやシステムそのものの異常さを浮かび上げようとしているんだろうなあと。

「床屋のフージーのように性格がまるで変わってはいないか?」というよりも、

ぼくたちは『灰色の男たち』を生まざるを得ない社会システムのなかで生活していないかい?」という問いかけです。

実際、エンデは資本主義への警鐘をならしている。思った以上にならしていました。『エンデの遺言』という本です。NHKで放送した番組をベースに書籍化したようです。

たとえば序盤にエンデの言葉としてこんな一節があります。

「私が考えるのは、もう一度、貨幣を実際になされた仕事やものと対応する価値として位置づけるべきだということです。

そのためには現在の貨幣システムの何が問題で、何を変えなくてはならないかを皆が真剣に考えなければならないでしょう。人類がこの惑星の上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いだ、と私は思っています

非良心的な行動が褒美を受け、良心的に仕事をすると経済的に破滅するのがいまの経済システムです」『エンデの遺言「根源からお金を問うこと」』

『エンデの遺言』は、エンデの思想が延々と紹介されるわけではなく、彼の価値観を形成づけるにあたって影響した人物も取り上げられています。それは父であり画家のエドガー・エンデであり、ルドルフ・シュタイナーであり、シルビオ・ゲゼルです。

影響元をみていくのもおもしろい。

たとえばシュタイナーの教育法がモモのキャラクター形成に影響していると考えることもできるようです。

また、資本主義をどのようにアップデートしていくか問題。地域通貨とかそういったコミュニティに即した貨幣の可能性にふれていますが、そこにゲゼルの減価する貨幣、つまりエイジング・マネーの考え方はそもそも興味深い。

このあたりも、気になります。

というわけで以上です!



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