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目に見えるものと見えないもの、どちらが大切か。


確かな信頼を築くのには
話し合いが最も有効だ。

どれだけ会話を繰り返し
どれだけ深い話をし
どれほど理解できたか
その確度の高さ、手応えが
相手への信頼となる。

私は相手から放たれる言葉を信じている。
けれど、果たしてそれだけが全てなのだろうか?

時に人は嘘をつく。
言葉だけを信じていたら
大事なものを見落としてしまうのではないか。

ならば、言葉と真意
目に見えるものと見えないもの。
どちらを信じるほうが正しいのだろう?


ー私は、彼の言葉だけを信じる。

ある日、友達がこう言った。
好きな人との付き合いの中で色々と不安に苛まれるそうだ。
そんな時もあるけれど、彼がくれる愛の言葉だけを信じようと思う。
...といった決意を友人の私に示してくれた。

しかし、この言葉を目の当たりにしたその瞬間。
咄嗟に出てきた本音は「危ういな」だった。
彼の言葉“だけ”を信じるというセリフに
彼女のいくばくかの不安定さを感じたからだ。

と、同時に私の中には

言葉で語られない愛もある。

...ということを信じたいという
私の至極、個人的な内側にある問題にも直面した。

いっぽう、私の今体験している恋は
好きという言葉を示しあったことがない。

けれど、「好き」の代わりに
心から信頼している相手だという認識を
互いに持ち合わせている。

それが恋愛としての好きかどうかは置いておいて。
だけど、一時的に惑わされる恋心のそれよりも
深く信頼していると言われる方が
私にとってずっと安心できるものでもあった。

なぜなら好きという感情は一瞬で生まれても
信頼ができるという確信は時間をかけないと生まれない。
少しずつ対話を繰り返し、互いが互いをどう思っているか。
それをあえて言葉にしなくても、分かる。

この感覚を第三者に説明しようと思うほど
なんだかうまくは説明できなくて陳腐になる。
けれど、確かにそこに「 」は存在する。

そんな感覚だ。
それでいいと思っていた。

彼との間に変化が起こったのは年末のこと。
たまたま共通の知人から、彼が私の良い噂話をしていたと聞いた。
彼が私を気になっているという話だった。

嬉しかった。
本人からではなかったが
彼がわざわざ私の名前を気になる人に挙げていたのだ。

大船に乗ったつもりで後日デートに誘った。
その日、私の気持ちを伝えるつもりで。

しかし、結果私は振られた。
恋愛感情にならなかったと言われた。

青天の霹靂とはまさにこのこと。
知人から「いい人いないの?って聞いたら君のことを話してたよ」
と、タレコミがあった日の翌週に振られたのだ。

付き合えないと言われる可能性は考えても
この状況で恋愛感情にならなかったと言われるとは
まさか思いもよらず、ただその言葉を受け止めるので
その日の私は精一杯だったのだ。


あれから数ヶ月。
何度思い返しても分からない。

よく考えた結果、恋愛感情ではなかった。
そういう結論を出したにすぎなかったのかもしれない。
むしろそう考えるほうが自然だ。

でも、、、
でも、、、

何度もいろんな深い話をして
彼を深く理解したと自負していて
彼からもよく理解してくれていると言われた
私の見解では、あれが、あの空気が
恋愛感情ではなかっただなんて信じ難い。

何を思って、この結論に至ったかは分からない。
私の思い過ごしかもしれないけれど
なんだか腑に落ちない。

やはり彼の言った言葉がすべてなのだろうか。。。?
年末から今日に至るまで私はこの疑問と戦っている。

その折で、友人から受けた
「好きな彼の言葉だけを信じる」というセリフに
思わず私は「NO」と強く意見を否定してしまったのだ。

ー彼の言葉だけを信じることにする。
ーううーん、、でも彼は結局あなたを苦しめているその環境をなんとかしようと行動には移さないじゃない。根本が解決していなければ、また不安にならない?

ーそうだね、本当にそうだと思う。
ーそれに愛の言葉を囁くのは、自分を好きでいてほしいからという欲が優っているのであって、本当に愛しているのなら不安になんかさせないよ。

ー正しいと思う。でも、それでも好きなの。
ーそっか、そしたらどんな結果になっても今度は弱音を吐かずに頑張るしかないね。

そうやって、恋に悩む友人を突っぱねてしまった。

彼女は他に女性のいる彼を好きになって
彼は女性の影がありながらも私の友人と深い関係にある。
その曖昧な関係に痺れを切らし、別れを選んでは戻ってを何度も繰り返している。

茶番とも言える別れ・復縁の話を繰り返し
聞いているのもあり最終的には語気が強くなってしまった。

無論、今でも間違ったことは言っていないと思う。
...が、私がそんな感情をあらわにしてしまったのは
少なくとも私の内側に問題があったのだ。

彼女の言った、「彼の言葉だけを信じる」。
これが正しいことなら、私の好きな人は私を好きじゃなかったというのが真意になる。その事実を受け止めたくなかっただけなのだ。

いやに言葉が全てじゃない!と主張したかったのは
言われた事実があまりにも私には辛く苦しいものだったから。

信頼関係があったと信じて疑わなかったのに
何も生まれなかったのなら、何を信じればいいのか分からない。
彼の態度、表情、行動、それらを見れば何もないわけがないのに。

でも、、言葉がすべてだというのなら
やっぱり私たちの間には何もなかったということになるのだろう。

さて、話が長くなってしまったが
あなたはどちらを信じる?

好きな人の「好きだ」という言葉か。
好きな人の態度や行動による愛情表現か。

恋愛に限った話ではない。
目には見えるものが大事?
それとも、目には見えないもの?

これは
時と場合、状況により大切なものは違うだろう。
人によって重きの置き方も違うはずだ。

どちらが正しいではなく
今は、どちらを、どんなふうに信じているか。
そして、その気持ちに揺らぎはないか。

言葉が人と人の心を確かにすることもあるし。
言葉が時に人と人の信頼を揺るがすこともある。
今、何を見極めるべきかはその人の在り方にかかっているのだ。

では、私の場合は?
私は彼を今も心のどこかで信頼している。
彼に恋愛感情があったかどうかは定かではないけれど。

私が好きになった彼は
私をむやみに傷つけるような人ではない。
それだけは疑うことなく信じられるからだ。

なぜなら1年以上かけて彼と対話をし
トラブルに巻き込まれた時や彼の友達との接し方
物の見方、捉え方、そのすべてを対話してきたから。
表情、仕草、態度ぜんぶを見てきた。

その上で、彼は私を安易に傷つけるような人ではないと信じている。
恋愛感情にならなかった。それが本当の本心であっても、そうでなかったとしても。
そう言うほうが私のためになるという優しい心で結論を出したのではないかなと思う。

そう思いたいだけかもしれない。
揺らぐこともある。

そんな時、友達の一言がトリガーになって。
私は私で友達を傷つけてしまう。

バカだなぁ。
けど、信じるって本当に難しい。

だから、こうやっていろんな方面で
私の信じる気持ちが試される出来事がやってくる。

私こそ、どんな時でも揺らがず。
自分が苦しい時でも友達に八つ当たりなどせず
周りの幸せを心から応援できる人でありたいな。

そのためには、まず私が私を幸せにさせてあげなくてはね。


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