ladygaya

備忘録。関心領域は社会の紐帯の遷移。既掲のものも加筆したりします。息子11歳。Zwei…

ladygaya

備忘録。関心領域は社会の紐帯の遷移。既掲のものも加筆したりします。息子11歳。Zwei Dinge sollen Kinder von seinen Eltern bekommen: Wurzeln und Flügel. Johann Wolfgang von Goethe

マガジン

  • 祖父母の話

    祖父母からの聞き書きをまとめました。 古いもの(タイトル先頭の数字が若い方)から順に読んでいただくと、謎が解けていく感覚を味わえるつくりとなっています。

  • マージナル・マン(仮)

最近の記事

  • 固定された記事

カステル・デル・モンテの兜

 イタリア南部のプーリア州にあるカステル・デル・モンテ城砦は、晴れた日には空の青と城壁の白が美しいコントラストを成す。神聖ローマ皇帝フリードリヒII世(フェデリコⅡ世)が建てた、中世ヨーロッパとイスラム文化圏の中間に位置づけられる幾何学的な形状をもつ世界遺産だ。 https://worldheritagesite.xyz/castel-del-monte/  2003年に訪れた際、城内にある兜(かぶと)の前でたまたま見聞きしたことがあった。  兜のリンクか画像があればよいの

    • 10 祖母編集による昔語り

      先日祖母に電話をしたら、時々唐突に始まる昔語りが始まったので口述筆記(時々解説)します。 昔叔父(息子)の戸籍の父親欄で、祖父の出生地にソビエト連邦共和国大泊とあるのを見たとのこと、 「ファミリーヒストリー」的に言うと、祖父の生家金沢の薬問屋が支店を開いた時に生まれたのだそうだ。 祖父の昔語りでは、祖父の母は金沢で孟母三遷すの古事のごとく子の教育のために引越しを繰り返し最終的に寺町というところに落ち着いたという。あるいは大泊から戻ったころの出来事かもしれない。祖父の金沢の

      • 40年前の記憶

        昨日リモートミーティングで会ったセルビア系の人がなぜか懐かしいような気がして「俳優?」「知り合い?」と脳内フォルダを探ったが思い当たるところがない。 今日、たまたま目にした呟きがシューマンの交響曲第3番ラインに触れているのが気になりwikiにあたったところ、ドイツ語タイトルが”Rheinische”でシューマン自身による初演がDüsseldorfで行われたとのこと。 そしたら急に脳内フォルダが開いたのですよ!Da kommt ein blitz! Düsseldorfか

        • 8 祖父の話④

          以下2009年11月20日の日記の再録。 北海道の家を引き払って実家の近くに2人で住んでいた時の一コマです。祖父93歳、祖母89歳。 〜 おじいちゃんは今日、とてもお元気で安心しました。 5日間の出張(ショートステイ)からお帰りになったところをおばあちゃんとお迎えしたわけですが、やはり長く他の方とお話した直後とあって、とても会話がはずみました。 じ「しかしこうして見るとおばあちゃんはなかなか美人だねぇ・・・。 ショートステイのご婦人方は、・・・ご婦人に年齢を聞いたら悪い

        • 固定された記事

        カステル・デル・モンテの兜

        マガジン

        • 祖父母の話
          10本
        • マージナル・マン(仮)
          10本

        記事

          許してほしい物語

          「許してほしい物語」 という類型がある。 (正式名称は思い出せない) 先住民族などと関わる物語に見られる。 昔ドイツのテレビ西部劇にWinnetouというネイティブ・アメリカンと白人の友情の話があり(wikiで40年ぶりにドイツ人作家原作のベストセラーだったと知った)それなどは典型のように思う。 太田川で泳いで育った祖母が「朝鮮人街の子とも遊んだ、家に招かれて食事を共にしたことも」と昔語したのもその範疇か…などと思う。 祖母の昔語は一筋縄ではいかなくて、総軍で李鍝(ぐ

          許してほしい物語

          バスク人に口説かれた話

          昔々のハタチの頃、 年齢  30歳 身長  197cm 職業  ビジネスコンサルタント 性格  漢気、コミュ強 顔立ち ザビエル 髪型  ザビエルの短髪 
に口説かれた事がありまして。 語学学校の夏期講座で
生徒の年齢も国籍もバラバラなクラスにいた人。 自国の食材テーマにフリートークをした時
「ワカメは髪を黒くしてくれると言われている」と言ったら
「増えたりもする?今日から食べるよ」
とご自分のトンスラ気味の頭を指差したのが自虐じゃなく笑える感じでした。
 お顔立ちがイ

          バスク人に口説かれた話

          組織が運営されるということ

          この前の戦争が終わった後、一宗教一宗派のくびきから解かれた数名のプロテスタントの人々が海の街に教会を建てた。はじめは個人の家の一室で祈るだけだった。指導者もいない。 同時並行で、幾多の話し合いを経て、その教会の所属する日本キリスト教会という会派が使徒信条と規約を定めた。やがて神学校が整えられ、牧師にたつ方もあり、祈りの会は礼拝堂と牧師館をたてて牧師を迎えた。 教会員が持ち寄った基金の運営なので、そして人(牧師)一人とその家族の生活をお預かりしてのことなので、会の運営は何

          組織が運営されるということ

          7 メタファー

          食後に新ゴジラ見ようかという流れで夫が 「アメリカのヒーローは巨大化しないけど日本のウルトラマンや怪獣は巨大化するよねなんでだろうね」と言ったので素で 「祖父母は決して原爆を落とされたと言わない、常に落ちたと言う。なぜならば 戦前巨大悪だった鬼畜米英が戦後スーパーパワーの尊敬すべきアメリカとして君臨し戦前の責任関係の処理も戦後復興の価値づけも整理はされないままであり、その風景は『突然やってきて破壊しあう何者か』というメタファーとして表象されている」 的な内容をさらさら述べたら

          7 メタファー

          ひとりごと

          ちょっと自己分析をしておくと、私 脳科学的にいう「物語の一貫性」の危機に陥ると 高速で「新しい物語」=「新しい名前」を自己修復構築しだすよう(デフラグ、再起動のようなものか)。 1980 独→日転居カルチャーショック 1986 チェルノブイリ原発事故 2011 東京電力原子力発電所事故 2021 今ココ 物語構造もついでに説明してみる。 大きな枠組みは多神教→(一神教→)立法社会と、部族社会→(仏教→)藩幕政治→法&管理社会?を認識しつつ EndeのDie Unendlic

          ひとりごと

          “Guard your line!”

          Aujourd'hui, j'ai regardé un film très doux. Un film nostalgique du monde qui n'existe plus ou qui disparaît maintenant. J'ai visité le monde pendant un certain temps et j'ai vu des professionnels brillants là-bas. Ils étaient assez pour as

          “Guard your line!”

          6 祖母の話②

          「太田川の水が枯れても満足屋の富は涸れない」と言われた商家の末娘に生まれた曽祖母の話では、往来は賑わい店々の前には味噌や小魚を山盛り盛った樽が置かれていたそうだ。そんな街路を遂に見られるのか…(何かを録画した)。 その娘の祖母は女学校にあがっても毎日太田川で泳いで真っ黒に日焼けし渾名はモンキーのモンちゃんだった。モンちゃんは朝鮮人の友達のうちにも遊びに行って出されたものはなんでもいただいたけれど、曽祖母言いつけで牡蠣だけは食べなかったそうだ。上下水道未分離のリスクを経験的に

          6 祖母の話②

          プロジェクトアイコン

           昨年3月に書いた時は記憶が生々しくて公開しないまま放っておいたのですが、時が経ち、目の前の課題が山積みの今となってはささやかで可愛らしい思い出ですらあるので、少し整えて公開します。  昨年3月、幼稚園謝恩会の企画立案遂行という半年がかりのプロジェクトを完了しました。  これはフラットな園風の幼稚園のなかに一人「ママカーストの上位」を自認する人が入った(例えるならハリー・ポッターのハッフルパフand/orグリフィンドール寮にスリザリン寮生が一人入った)ときにどうにかしてwi

          プロジェクトアイコン

          5 祖父の話③

           戦争体験を聞くのは難しい。困難すぎる話は自分の身に引き寄せて考えられない。「そういう時代だったのでしょう」「昔はみんな精神的に強かったのだ」と、ひとごととして聞いてしまう。  ところで、子どもが安心できる環境でショッキングな物語(昔話など)を聞く事は出来事を客観視する練習になるという。  また、「ストレスは、一度受けた後はいなしやすい」という傾向との合わせ技で、安心できる環境で困難の度合いの軽い話から重い話に徐々に慣らしていくことが、子どもに戦争体験を伝える際には必要なの

          5 祖父の話③

          4 祖母の話①

           祖母のうちに遊びに行った時、祖母が若かりし頃元第二総軍の作戦部(当時広島市へ業務移管中)を結婚退職?するにあたって贈られた和綴じの寄せ書きを2冊をみせてくれた。1冊は上官から、もう1冊は同僚からのものだった。  1冊目筆頭は終戦時の高級参謀。送辞と記名と花押が黒々と記されている。「高級参謀」の役職名ひとつとっても、現在はwikiに記載されているから分かることであってやはり73年前(祖母23歳)ははるけき昔なのだという感慨が湧いた。  「戦後自衛隊の上の方へ行った方もあれば

          4 祖母の話①

          3 祖父の話②

           子どもの頃、長期の休みによく祖父母の家に遊びに行った。  祖父はスポーツ中継に興味がなく、昼間やっている映画などを好んだ。居間の一人掛けソファーで微動だにせず「ランボー」系のコマンドーものを見ていたのを思い出す。  同じ居間で、途上国のドキュメントについて「かわいそうにな、こんな暮らしにどんな幸せがあるというのか」とつぶやき、それに対して正真正銘の元60年代ヒッピーでアジアを放浪した叔父が額に青筋をたてて「それぞれにそれぞれの幸せが存在する!!」とマジ切れしていた。

          3 祖父の話②

          2 祖父の話①

           節分→鬼→虎から連想して思い出した話。  祖父が生前「大陸東北部で部隊を離れて釣りをして帰ったら子虎が捕まえてあった。高く売れるから捕獲したという。捕らえた場所が自分が釣りをしていた辺りと聞いて背筋が凍った、母虎が怒り狂って探していたはずだから、会わなくて幸運だった」と言ったことがある。  中公文庫の『偉大なる王(ワン)』をみせてくれながら。 https://www.amazon.co.jp/偉大なる王-ワン-中公文庫-ニコライ・-バイコフ/dp/4122016223 Am

          2 祖父の話①