ほどほどキレイに生きている

僕はtwitterをやっている。

なんかいつもタイムラインにいる人的な扱いをされている気もするが、それはともかく。

このnoteを見る大半の方もtwitterをやってるだろうから多分わかって貰えると思うんだけど、こんな意見を目にしたことはないだろうか?

・自分にとって都合の良いフォロー、フォロワーだけにするのは不健全で、そうしてしまうと意識や考え方が偏る
・『清潔』過ぎるタイムラインは良くない

ご尤も。

同じような考え方であったり属性であったりの人で自分の周囲を固めてしまうと、いつの間にか意見が凝り固まったり先鋭化し過ぎてしまうから、そうならないようにしないとね、という話だ。

そこで、敢えて『自分と意見の合わない人』であったり『感覚の合わない人』をフォローして半自動的にタイムラインに異物が入るようにする。

こうして書くとなんだか偉そうだけど、これって多くの方がほぼ無意識に実行してることだと思う(例えば芸能人さんのアカウントなんかも非日常って点においては『異物』だろう)。

ただし、自分にとって明らかにストレスになるような人をフォローしていても、それはそれで疲れてしまう。

そんなことをここ1週間くらいぼんやり考えていた。

気付いた、これは僕にとって自分の家のキレイ度合いへの感覚とよく似ている、と。

僕はキレイ好きってわけでもないが汚すぎるのは嫌だ。

完璧に清潔な状態を保つためには多大な労力を要するが、放置し過ぎれば汚すぎる状態になる。汚すぎる状態はストレスだし、キレイな状態に戻すにも、これまた多大な労力を要する。

だから僕の家は僕の感覚で『ほどほどキレイ』な状態に保たれている。清潔を維持するってほど手間をかけず、ストレスを感じるほど汚くしない、そんな感じだ。

僕のタイムラインもまた、完璧に清潔な状態を維持するためにはフォローする人をもっと厳選しないといけないだろうし、ブロックを今よりもっと使用しなければならないだろう。そんな手間をかけてやるもんではないと思う、twitter。

しかし、タイムラインを程ほど『手入れ』しないと自分として汚くなり過ぎてストレスを感じるようになる(実体験)。

今日も『ほどほどキレイ』なタイムラインと家で、僕は生きている。


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