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俵万智『サラダ記念日』河出文庫,1987年

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

「現代短歌を知ろう」と思い立ち、読んだ。
僕的にビビッときた歌を淡々と紹介していこうと思う。

まずは、「サラダ記念日」のイメージ通りの、恋をする爽やかな女性、な歌たち。
たまたまどちらも、写真・カメラを題材にした歌。

江ノ島に遊ぶ一日それぞれの未来があれば写真は撮らず

「野球ゲーム」より
三脚とカメラをいつも連れて来る 二人っきりでいようよ今日は

「路地裏の猫」より

特に後者は、「THE “女ごころ”」といった感じ。
恋のときめきが感じられてとても素敵です。

続けます。

思い切り愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花
白よりもオレンジ色のブラウスを買いたくなっている恋である
オムライスをまこと器用に食べおれば〈ケチャップ味が好き〉とメモする

「元気でね」より

三首目「オムライスを〜」は、「サラダ記念日」と同じような題材でありながら、手料理を美味しく食べてくれた喜びに加えて、「ケチャップ味を喜ぶ男の味覚の幼さ」への皮肉と愛着が盛り込まれていて好きだ。


ここまではカラッとした恋の歌を載せたが、
一方で、恋というよりは愛、ほんの少しの執念や怖さを備えた愛、にまつわる歌もある。

君を待つ土曜日なりき待つという時間を食べて女は生きる
落ちてきた雨を見上げてそのままの形でふいに、唇が欲し
この時間君の不在を告げるベルどこで飲んでる誰と酔ってる

「八月の朝」より

「待つという時間を食べて女は生きる」。
「待つ女」という題材は古くからあるが、俵万智ワールドでは、ただ寂しさに暮れて待つのではない。待つという時間を「食べて」、より積極的に「女は生きる」。
彼女が1980年代後半、短歌の世界、ひいては日本社会に吹き込んだ新風が伝わってくるよう。


下掲の二首は、少しの可笑しみと共に。

いい男(ヤツ)と結婚しろよと言っといて我を娶らぬヤツの口づけ
街頭の占い師吾に結婚の兆し見ゆとう声をひそめて

※「吾」は「あ」と読み、一人称である。
「待ち人ごっこ」より


次の二首は、女や恋が題材だが、少しぶっ飛んだ発想。

母性という言葉あくまで抽象のものとしてある二十歳の五月
左手で文字書く君の仕草青 めがねをはずす仕草黄みどり

「モーニングコール」より

「母性という言葉あくまで抽象のものとしてある二十歳の五月」。
なんということでしょう(絶句)。


収録されているのは、恋愛の歌ばかりではない。
以下で紹介するのは、恋愛以外を題材としたものだ。


俵万智は、「朝のネクタイ」という連作で、自らの父親についても詠っている。自分が男だからか、これがやたらと沁みる。

ひところは「世界で一番強かった」父の磁石がうずくまる棚
「また恋の歌を作っているのか」とおもしろそうに心配そうに
おしぼりで顔を拭くとき「ああ」という顔見ておれば一人の男

「朝のネクタイ」より

父は磁石の研究者で、彼が70年代に発明したサマリウムコバルト磁石は、1982年にネオジウム磁石が登場するまで世界一強い磁石だった。
上掲の一首目は、そのことから来ている。

「世界で一番強かった」が鉤括弧の中にあることによって、「世界で一番強かったんだぞ」とお父さんが鼻の穴を大きくして言っている様子が連想される。
その磁石が棚にうずくまっているというのも、自らのキャリアを終えつつある男性の年輪と悲哀を感じさせる。


また、彼女はサザンオールスターズが好きらしく、度々歌に出てくる。

思い切りボリュームあげて聴くサザンどれもこれもが泣いてるような
「風になる」より


1986年、23歳だった俵万智は、二週間ほどの中国旅行をした。「夏の船」は、その時のことを詠った連作で、旅情が強め。

日本を離れて七日セ・リーグの首位争いがひょいと気になる
パスポートをぶらさげている俵万智いてもいなくても華北平原

「夏の船」より

一首目、「ふっと」気になるのではなく、「ひょいと」気になる。
こういう軽やかさが良い。
二首目は、「俵万智」という名前(本名である)が、詩的だし五文字だし、短歌のためにあるような名前で、「ズルいなあ」と思わされる。


次は故郷や家族を詠った歌。

東京へ発つ朝母は老けて見ゆこれから会わぬ年月の分
初恋の人をまだ見ぬ弟と映画観に行く きれいでいたい
ふるさとの我が家に我の歯ブラシのなきこと母に言う大晦日

「左右対称の我」より」

二首目「初恋の人を~」は、男としては全然分からない心理なのですが、
なんだかドキドキするので。


彼女は大学を卒業後、高校で国語の教員をしていた。歌人としてのデビューも、本書の大ヒットも、その間のこと。「橋本高校」では、教員としての経験を歌にしている。

青春という字を書いて横線の多いことのみなぜか気になる
髪型もウエストもまた生徒らの話題なるらし教壇の上
薄命の詩人の生涯を二十分で予習し終えて教壇に立つ
親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト
数学の試験監督する我の一部始終を見ている少女

「橋本高校」より

「数学の試験監督~」などは、生徒の個性への慈しみが素敵。
国語の先生が、こんなに感受性の豊かな人だったらどれだけ幸せだろうか。

それにしても、教壇は彼女にとっては職場であって、職場を題材にこんなに良い短歌を詠んでいるわけである。

だったら僕も、編集室で短歌を詠んでみようかと思ったりする。
そうすれば、職場でのウキウキもモヤモヤもみんな輝きだすだろうだろう。


(しばらく短歌週間が続きます。)

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