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川本三郎 『 「それでもなお」の文学 』 春秋社,2018年

タイトルに惹かれて購入。

文学とは、人が生きる悲しみ、はかなさを語るものではないか。
それも大きな言葉ではなく小さな言葉を重ねることによって。

(まえがきより)

僕は、「それでもなお」の物語が好きであることに最近、気がついた。

僕がいう「それでもなお」の物語とは、
映画にしろ小説にしろ、作品の大部分を使って、主人公が穴に落ちていく、絶望的な現実にぶち当たっていく、物語だ。
そして、そうした状況の中で、主人公が「それでもなお」何かを主体的に選択し行動していく、未来へ自己を投企していく、物語だ。

いずれ死ぬという現実、貧困から抜け出せないという現実、夢が叶わないという現実、愛する人に愛されないという現実、他者と根本的に分かり合えないという現実。絶望のバリエーションは結構ある。

物語の冒頭で、一つの問題に直面した主人公は、それを解決したり、そこから逃れたりしようと、もがく。その様子が精緻に描写される。
しかし、どれだけ主人公が願おうと、その問題を解消することができない、または、そこから逃れたと思ってもまた別の問題に直面する。
場合によっては、これを何度か繰り返す。
そうこうしているうちに、主人公は自分が絶望的な状況に置かれていることに気がつく。鑑賞している僕だって絶望的な気分になる。

でも、そんな八方塞がりの中で、主人公は一つの行動を選択する。
受け入れがたい現実を覆す、起死回生の一手などではない。なんの解決策にもならないとすら思える。

それでも、主人公は選択する。希望とも怒りとも違う、諦めのような表情を浮かべて、何でもないような行動を選択する。
なす術がない状況で、「それでもなお」彼ができることをする。

こういう物語がなぜか好きだ。


最近、出会った「それでもなお」の物語であり、僕が大好きな作品が、
濱口竜介監督の映画『寝ても覚めても』。

2人の男女が、互いの根源的な、分からなさ、信用できなさ、に直面し、
他者と生きることの避けがたい痛みを知る。
しかし、「それでもなお」2人は、共に生きることを選択していく。

ここでは書ききれないほど厚みのある作品なので、
全く言えていないが、これまでにしておく。


『「それでもなお」の文学』の話も少々。
本書は、1944年生まれの文芸評論家、川本三郎が、東日本大震災以降に書いた評論をまとめたもの。
タイトルは、震災という悲劇を目にした筆者が、「悲しみを語ることで悲しみを慰める」という、文学の力、を再確認したことから来ている。

昭和の文学だけでなく、桜木紫乃、乙川優三郎など、2000年以降の直木賞受賞作家についても紙幅を費やしており、読みたい本がまた増えてしまった。

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