見出し画像

「誰かの役に立つ」は目指さない、デザイン工房ネコの手に込めた想い

「ネコの手も借りたい」という言葉の意味は「ネコの手がとびきりの働きをしてくれて、役に立つから借りたい」ではない。

気まぐれでツンデレなネコの手なんて借りたところで役に立たない、そもそも人間ではない。でもそんな手ですら借りたいぐらい忙しいという意味。そう、ネコの手は「忙しい人にとって最も役に立たないモノ」を代表する言葉だ。


1人でちいさなブランドを立ち上げたいと思ったとき、どんな名前にしたいのか、どんなコンセプトでやっていきたいのか、何度も何度も考えては試して、試してはボツにして、また考えては試して…の繰り返しをここ2、3年ずっとやっていた。

そしてたどり着いたのが「デザイン工房ネコの手」

「ネコの手も借りたい」ということわざを作った人が誰なのか存じ上げないけれど、きっとその人は机に向かって締切に追われてあれやこれやと仕事をしていて、ふと窓の外を見たらのん気にくつろいでいるネコでも見つけたのだと思う。

そして皮肉混じりに「あぁもう!ネコの手も借りたいよ!」と言ったのだろう。内心そのネコがうらやましかったんだろうな。
「オマエはいいよな、マイペースに毎日のんびりしててさ」と。

わたしが会社員だけではなく個人事業主として新たなシゴトのステージに行きたいと感じたのは、もっと自分らしく生きられる選択肢が広がったからだ。会社員のシゴトも楽しいしやりがいはある、だけど心のどこかでいつも「ネコみたいにもっと自由に生きられたらなぁ」とつぶやいているわたしもいた。大切なことを大切にして、行きたい時に行き、見たいものを見る。

忙しい人が「自分はネコのようには生きられない」と決めつけている「ネコの手」になりたいと。誰だって、忙しくてもネコの手になれるのだと。決めるのは自分だと。選択肢は自分が持っていることに気づいたからだった。


デザイン工房ネコの手は「誰かの役に立つ」ことは目指していない。

役に立つモノが増えると、途中までは便利だと感じるけれど、ある上限を超えると人はまた忙しくなると思う。

もっと効率良く動けるようになってしまい、前までは1日待たないといけなかったことが即時にわかるようになることで、より生産性を求められたり。「空いた時間で好きなことをしよう」という、その「空いた時間」を役に立つ便利なモノたちがどんどん埋めにかかって来るおかげで、どんどんバージョンアップされた便利なモノについていくために、好きなことに使いたかった時間はナゼかなかなか見つからない。そもそも「好きなこと」ってなんだったけ?そんなことすら麻痺してしまう。

「誰かの役に立つため」というのと「自分らしく生きた結果、誰かの役に立った」というのとでは少しニュアンスが異なると思っていて、わたしは後者のようなサービスを提供したいと思っている。

ネコの手のコンセプトは「心と時間に余裕を創り、今を満たす」

心と時間は前もって余裕を創れない。
明日ゆっくりするために今日無理して忙しく過ごしたところで、明日になれば別のことで忙しいものが降ってくることもある。
心と時間の余裕は今この時を満たすことでしか生み出せないし、今この時を満たすことで心と時間に余裕が生まれる。

今この時に価値があること、今この時に意味をもつこと、そんなことに心を使えるような、ネコのような世界で自分も生きてみたい。誰かの役に立つのではなくあなたにとって意味のある存在になりたい。

忙しい時に目に入ってきた「ネコ」を見て「わたしもそうなれる」と決めることができたような「ネコ」のような意味ある存在に。


デザイン工房ネコの手はあなたを支援したりサポートするような、誰かの伴走をするようなシゴトがメインだけれど、目的はあなたを支援することじゃぁない。

最終目的は支援するべき人が居なくなる世界で生きること。そう、自由気ままなネコの手なのだから。


* 日記的なsomethingはこちらで公開しています*


ありがとうございます!いただいたサポートは執筆のお供のコーヒーと夢の肥料に使わせていただきます!