noteでの活動を再開する
突然だが、noteでの活動を再開しようと思う。以降はその経緯について説明する。
そもそも投稿をなんでやめたの?
私は以前までnoteに毎日日記を投稿していた。休むことも多かったがなるべく毎日書くように心がけていて、具体的には数えていないが確か投稿数は優に百回を超えていたと思う。(現在は大半が非公開済み)
当時の私にとってnoteに日記を投稿する事は最早歯を磨いたり、食事をする位の普遍的な生活ルーティンの一つとして自分の中に組み込まれていた。これは怠惰な性格で三日坊主になりがちな自分にとっては考えられない様な出来事だったと思う。正直、今の自分でも結構意外な結果だなと感じる。
でも、つい先日投稿をやめてしまった。
やめた理由は端的に言えば「続ける理由が見つけられなかったから」である。
どうしてそう思ったの?
何故、その様な結論に至ったか紐解いていく為にまず
「noteを継続出来た理由」を考えてみる。
「どうして怠惰な性格をしている自分が、毎日日記をnoteに掲載し続けられたのだろうか?」
そう、改めて問い返してみる。
・・・そんなの答えは決まっている。
「それは読んでくれる人の存在があったから」だ。
言い換えればフォロワーの存在のおかげだ。最初から誰にも読んでもらえずこの世界から淘汰されていたら、私はnoteを続けられなかっただろう。
始めてnoteに投稿をしたその日から今日に至るまで私はずっとフォロワーと共にあった。だからこそ今でもフォロワーには頭が上がらないし、感謝している。
しかし、それは喜びであると共に束縛でもある。
フォロワーを意識して活動を続ける中でいつからか自分が日記を書く意味が変化してしまったのだ。
「自分が思ってた事を纏める為」の文章として始めたはずの日記が気付いた日には「フォロワーの為に書かなければならない」文章になっていた。
要は悪い意味で義務感や焦燥感が生まれてしまったのである。今、思い返せば当時は「フォロワーが待っているから早く投稿しなくちゃいけない」とか「フォロワーが見てくれるのだから面白くなくちゃいけない」とかそんな思いで自分で自分を追い詰めて毎日を過ごしていた。
(こうして言葉に起こせば贅沢な悩みである。読んでくれる人が居るだけでありがたいのに、それに依存するなんて私の身勝手でしかない)
しかし、ハッキリ言ってこの考え方は良くない。なぜならばこの考え方が結果的にフォロワーに迷惑をかける事に繋がってしまうからだ。
実際、上記の様な思いを抱えた最中書かれる日記は不安定な内容が多くなった。
「全てはフォロワーの為・・・」
そんな風にいつもフォロワー第一の思考を働かせ相手の存在を意識し過ぎているが故に、フォロワーに対して不安をあおってしまう様な文章を投稿してしまった事もある。現在ではとても馬鹿な行いだったと猛暑している。
「フォロワーの為に書いていたはずなのに却ってそれがフォローに迷惑をかける結果となってしまった事」
この事実は私に重くのしかかった。こんなの本末転倒。「そんな事になるなら最初から投稿するな」という自戒の思いも次第に強くなっていき・・・
そして結果的にnote自体を続ける理由が分からなくなり活動休止に至った。
これから
紆余曲折あったが活動休止の原因となった「フォロワーの為に文章を書く」という考えを私はやめることにする。
確かにフォロワーは大事だけど意識し過ぎるのも良くない。依存しすぎて自暴自棄になって迷惑をかけてしまうのはもうやめだ。
もう一度迷わぬ様にここで改めて自明にしておこう。
日記という物は誰かの為じゃなくて自分の為にある。
自分の日記は誰かの為にじゃなくて自分の為の言葉を思うがままに書こう。それでいいんだ。
そしてそれは日記だけじゃなくてnote全体の投稿に対して同じ事。
誰がどうとか、数字がなんだとかより「自分はどうなのか」に活動理由を依拠しなくちゃ私は何処かでおかしくなる。
だからこそ、これからの活動方針としてもうnoteではこうじゃなきゃいけない、こうあるべき、こうならないとダメみたいな凝り固まった固定概念は捨てて自分の書きたい事を好きな時に投稿する場所として利用することにする。
ちなみに日記の掲載も再開した。こちらのサイトに掲載している。
このサイトの選んだ理由としては競争性が殆どなくて自分のこれからのマインドに近い場所だと思ったからだ。面白い事は大して書いてないから見たい人だけ見てくれ。
まぁ色々書いたけど、つまりは義務とかじゃなくて好きな時に書きたい事について書けばいいんだ。適当でいいんだ。肩の力抜いていこうぜ。なぁ。
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