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香港海防博物館が再開~抗日関連展示を拡充、英国統治時代は遠く~

香港島東部の香港海防博物館が11月下旬、大規模改修工事を経て、約4年ぶりに再開した。2018年9月の大型台風で深刻な被害を受け、改修工事が続いていた。常設展示も大幅に刷新し、抗日戦争に関する内容を増やしたのが特徴だ。一方で、改修前の主要部分を占めていた英国統治時代の展示が大幅に減った。

海防博物館の前身は英軍が1880年代に建設した鯉魚門(レイユームン)砲台(要塞)で、ビクトリア港東部の鯉魚門海峡南岸に位置し、当時は香港最大規模の沿岸防衛施設だった。敷地面積15万平方メートルで、トーチカ、砲台、塹壕、火薬庫、地下室、魚雷発射場などで構成される。1941年12月8日のアジア太平洋戦争勃発後、香港島に上陸した旧日本軍と英軍が激戦を展開し、日本軍が占領した場所でもある。

常設展示の部屋数は11と従来と同じだが、グッズ販売コーナーを展示室に改装するなど事実上面積を拡大。アーカイブ映像や音声、コンピューターグラフィックス(CG)動画、解説パネルを増やし、初めて訪れた人でもある程度興味が持てるよう工夫を凝らしている。

展示内容は方針転換を鮮明にしている。以前は軍事遺跡を生かしつつ、英国統治時代や日本占領期を含む香港の歴史的記憶を淡々と説明する印象だったが、刷新後は中国本土との結びつきと、抗日戦争における香港の役割を認識させることに主眼が置かれた。

日本の中国侵略や抗日戦争関連の展示は、従来の2部屋から4部屋に増えた。「1931年9月に日本の軍国主義者が柳条湖事件(中国語で『九一八事変』)を起こし、中国東北地方を侵略した」のを契機に、1937年7月に始まった日中戦争、1945年9月の日本の降伏文書調印までを「抗戦(抗日戦争)」と見なして、関連の出来事を紹介している。中国本土の抗日関連施設と全く同じ文脈だ。

念頭にあるのは、観光客だけではなく、香港市民、特に若者だろう。中国指導部が考える「集合的記憶」を共有する狙いがあるとみられる。

1931年9月の「九一八事変」(柳条湖事件)をきっかけに日本の侵略が始まったと紹介 

また、戦時中の中国共産党系抗日遊撃隊(ゲリラ部隊)「東江縦隊港九独立大隊」の活動や功績への周知も、刷新後の大きな狙いとなっている。同隊は1942年2月、日本占領期に香港の新界地区・西貢で創設された。英軍が日本軍に投降した後も「戦い続けた」と強調している。今年は同隊創設80年に当たり、香港内で関連のイベントが相次いだ。

日本占領期の東江縦隊港九独立大隊の活動範囲を示す地図

英国統治時代の展示に関しては、中国語で「英治時期」と題していた展示室が従来の3部屋からゼロとなった。「不平等条約と香港割譲」と題した1部屋に集約された。英国統治時代の記憶は、展示内容を見る限り、一段と遠くなった。

屋外では、見どころを「鯉魚門軍事要塞史跡コース」として再整備。従来の16カ所から24カ所に増やした。途中、任務遂行に当たる英軍兵士の等身大の銅像や、平和をイメージさせる鳩のレプリカが置かれているのを目にするが、いずれも以前はなかったものだ。「インスタ映え」なども考慮し、ある種のエンターテインメント化を図って、これまでの軍事や歴史愛好家以外のファンを獲得していきたいもようだ。

このほか史跡コースのうち鯉魚門海峡を望む一角は、1941年12月18日夜に旧日本軍が実施した香港島上陸作戦で日本軍が上陸した場所の一つと紹介されており、訪れてみる価値はある。

玄関口の看板も、新たに考案したロゴを入れてリニューアルした

■香港海防博物館 ウェブサイト
https://hk.coastaldefence.museum/zh_TW/web/mcd/home.html

見出しの写真中央は旧日本陸軍二党兵の軍服

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