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わたしの 「居場所」 になってゆく。

気づけば上京して5度目の春が訪れようとしている。

こうやって少しずつ、物心ついてから福岡にいた時間より東京にいる時間のほうが長くなっていくのかしら、と少し寂しく思う気持ちもある。

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思えば、4年前の春は東京なんて大嫌いだと思っていた。
取り立てて「東京」という地に憧れを持って来たわけではなかったので、どうしても「わたしはよそ者だ」という感覚が抜けなかったんだろう。

新宿は迷路だし、渋谷は人の群れで動物園みたいだし。
福岡にいた頃には天神にいくだけでお買い物が済んでいたのに、東京では選択肢がありすぎてどこに行ったらいいのかもいまいちよく分からない。

方言を話せば「え、博多弁?可愛い〜」とお決まりのセリフを言われるし。
最初は嬉しかったけれど、だんだんその言葉でコミュニケーションが中断されるのが億劫になってきて、初対面の人と話す時はできるだけ脳内で標準語に訳してから話すようになった。

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大学生活において、東京で一番訪れた大きな街は?と聞かれると
わたしの答えは「渋谷」になると思う。

大学によって拠点とする駅は違うが、だいたいわたしが友達とごはんを食べたり呑みに行ったりお買い物にいくのは、渋谷だった。
長く働いたインターン先も渋谷にあった。


最近引っ越しをして、どこへ行くにも渋谷を通らなければいけなくなり
また渋谷を歩き回る機会がぐんと増えた中で、気づいたことがある。

それは、無意識的に渋谷の街で知り合いの姿を探してしまっているということだ。

基本的にわたしは外でばったり知り合いに会うのが嬉しくて、
昔から外に出ると誰かいないかな〜ときょろきょろしてしまう癖がある。

それがこの前渋谷で発動していることに今更ながら気が付いて、ちょっとびっくりした。

「そうか、わたしにも東京でばったり会えるかもしれない人たちができたんだ」


4年前の春、渋谷を歩いていたときには知り合いと会う確率なんてほぼ皆無だった。周りを歩いている人たちは、知らない人だらけだったから。

今でも相変わらず街は知らない人で溢れているけれど、ごくたまに、ばったり知り合いに会えることがある。そんな嬉しい偶然があるから、スクランブル交差点なんかでは向かってくる大量の人々の顔をついつい眺めてしまうんだろうな。
そんなことを考えていたら、ちょっとだけ、東京も悪くないかななんて思えてくる。

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東京に住み続けて、この地に骨を埋めるなんてまっぴらごめんだとは今でも思っているが、おこがましいかもしれないけど、それでも少しずつ東京は「わたしの居場所」になってきていると思うし、大好きな人達と出会える場所に変わったんだな、としみじみ感じた卒業間近。


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