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子供たちへの教育・成長に接する大人の認識。part1


なぜ私が、『教育』に対しての取り組みを柱の一つに掲げているのか。
その理由の一つに触れておこうと思う。

私は、下妻市内の企業に数社勤めた。
規模は厳密にいうと少し違うのだが、
だいたい
小・中・大規模企業に分類できる。
また、
純粋に下妻市の企業なのか。
市外の企業なのか。
外資なのか。
それもそれぞれ違いがある企業で仕事をした。

そこで
新人教育と称される指導を受けた経験がある。
また、
自分が管理職を含め、
会社全体、もしくは担当部署の改善業を任されたときに、
僕自身が「指導者」という立場を経験した。
指導対象は年齢・性別・住まいや出身はさまざまだったが。

その多くは下妻在住か下妻出身者だった。

下妻市内の学校教育を経て、
社会へ出た方達の働き様を見て触れたわけである。
つまり
「下妻市における学校教育の結果」を見たとも言える。

どういう売り上げがあがり、
何人の従業員数を抱え、
下妻市を含めた社会に対してどんな商品、製品、サービス、事業を提供しているかなど、データ的なもの含めて
数値的に、統計的に見ることは外部の人間でも触れる機会があるとは思うが、
それと合わせて、
中にいる視点から、
実際に下妻市で教育を受けた人たちがどのように仕事をし、
そこで得た収入からどんな生活をし、
その循環の結果をその就業先の自分の仕事にそれらを反映させているか。
というのを知っている人はどの程度いるだろうか。

その内部の
おかしいところをとことん改善することに向き合い続けた人が、
どれくらいいるだろうか?
私の年齢で数社にわたってその経験がある人間は稀であろう。
かつ、その中での成功事例を複数もっている人間も稀であろう。

外と中からしっかり分析しなければ、
『現場で何が起きているかを知ることができない。』

そこの詳細なフィードバックなしに、学校教育をしていて良いのか?

良かれと思って施している教育は狙った結果に行きついているのか?
それらを
ちゃんと精査しているのか?

私は
その答えはNOだと思っています。
仮にやっているのだとしてもそれは不十分だと言わざるを得ない。

それを身をもって体験した。と、
はっきりそう言えるレベルで、
不十分さを感じた。
あれは『おかしい』
そのおかしさを克服していくつも改善を成し遂げたわけだから、
同じ内容の仕事をしたことがある方の大変さは身に染みてよくわかる。

実際にそこで何が起きているかをまずは知るべきだ。
でないと
その『おかしい』ところを『おかしい』と認識することすらできない。

でないと
話は先に進められない。
何を話しても議論しても絵空事でしかない。茶番でしかない。

と思っている。

以前、
『働く環境が大事』と言ったことがあるが、

私が言っている『働く環境』は
その『おかしさ』を乗り越えた先にある『働く環境』である。

さらには
私が言っている『働く環境』が形成できれば、
今、いろんな方が取り組もうとしていることの多くが機能すると確信している。うまい循環を形成できた経験があるから。

ただ、その次元で言葉を交わせる方が、
現状、下妻にどの程度いるのだろうか。。。。

言葉を投げつつ、
こっちの胸を撃ち抜いてくれる球を投げ返すか、
打ち返してきてくれる方を私は探している。

いなければいないで、
一人でやるから良いが。

できることなら
『バルス』のボタンは押さずに、
協力し合えることを私は望んでいる。

それはさておき、
『大人の再教育』についても触れることがあるが、
これも先に述べたものと同様である。

『おかしい』ものを『おかしい』と識別し、
今と未来において必要になるものに向けて、
適切な手直しができる。
もしくは、
その変化を促す指導ができる人材がいなければ、

結局何をやっても
危険な未来にしかならない。

私は
そんな未来を
子供に託したくない。

そう考えている。

企業における新人教育についても、
物申したいところはたくさんある。

合格点をあげられるのは、
市外の外資系企業の新人教育の手厚さだ。
あれには感動したし、
私自身ビジネスの基礎と言えるものをあれほどの質で短期的に叩き込んでもらえたのは非常に素晴らしかったと感想を持っている。

それ以外は基本的にクソである。
あれは指導と言わない。
指導の『し』
教育の『き』の字もわかってないやつが
それをやっている。
そもそもが教育のプロフェッショナルでないから致し方ないと言わざるを得ないが、
しかし、その人選をしてしまったのも問題点だし、
そういう才覚がない人にでもきちんとした教育を施せるマニュアル的なものを企業側(経営層)が用意できていないのも問題点だ。
むしろ
その経営層が教育指導も含め、優れた知識、知恵を持ってない場合がある。
そこを自覚できていない場合には、
かける言葉すら見つからないほど、呆れたものだ。

と、いくらでも問題点を論うことができるが、
この辺にしておこうと思う。

総じて言えるのは
今循環しているものは、
はっきり言って狂った循環である。
私はそこを直したい。
そのためにも
適切な教育は、
『どの世代にも、大事である』と考えている。
だから、
教育にもこだわっているのである。

狂った大人たちが指導・教育をすれば、
子供も狂う。
これから先にどんな人材が必要ですか?
という「問いに」明確に答えられる大人は、
かつ
やってきてしまう未来に合致した答えを出せている大人は
どの程度いるだろう。
私はそこの割合が少ないことを非常に危惧している。
昭和と平成を眺めている場合ではないと、
よく口に出すのもそれが背景にあったりする。

子供たちに向けて行う教育とは
また別の視点の
『教育』の話でした。

もっといろいろ触れたいけど、
長くなりすぎるので投稿上ではここまで。

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