どうせ死ぬしという生き方

人によるとは思うけど。

「死ぬなよ」「死んじゃダメだ」「逃げていいんだよ」という文言よりも

生きることを考えるよりも
「生きてたら良いことあるんですか、なるほど」と思うけども

「どうせ死ぬし」「どうせ死ぬなら」と
死ぬこと大前提でいると

今までいろいろ気にし過ぎて
“出来なかったしなかった”ことが
「どうせ死ぬし」で出来たりして、思いのほか楽しかったりしました。

楽しかったのでもうちょい生きてみるかとなり、生きることを考え始めると、
死ぬことより生きることを考えている時のほうがクヨクヨしたり落ちこんだり人が怖くてオドオドしたり、人に好かれたい歓迎されたい人から好かれるためには歓迎されるためには生きやすくなるためにはああだこうだ悩んで気分が悪くなりがち。

「どうせ死ぬしと思わなきゃ行動も発言も好きなことも出来ないのかよ?!」
別に死を思わなくても好きなことやりゃあいいじゃんと思うんですけどね、
なんでしょうね、死を考えたほうが開き直りやすいんです、私の場合は。

開き直ってなんも気にせずなんか行動して楽しかった時は
「ああ死ぬこと真剣に本当に真剣に死を考えて良かったな」と
死を考えた甲斐というものを感じました。
生き甲斐をずっと探し続けて見つからず、「死」甲斐を先に見つけて感じました。

不思議ですけど死を考えたほうが素直になれます。
“人間なんて皆いつ死ぬかわからないし”みたいな生ぬるいレベルではなく、もっと現実味を帯びる必要がありました。

どうせ死ぬならと考えないと楽になれなくてどうせ死ぬしと思えば楽しい
もっと真剣に死ぬことを考えてゆく。


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