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エンパイアの記憶

 我が家のすぐ近くには横浜薬科大学という大学がある。この薬科大には図書館棟という建物があるが、それは他でもないこの場所がかつては横浜ドリームランドだった場所で、図書館棟はその頃ホテルエンパイアという豪華ホテルだった。1960年代後半から営業を始めていたが当時から1泊最低でも1万円はするホテルだった。

 ホテルとしての営業は1995年には終了し、その後10年近く廃墟だったものが横浜薬科大の図書館棟として再利用された。それが今から15年以上前の話。廃墟だった頃までは五重塔を模した姿が目を引く有名な建物だったが、各階の庇を取り払って屋根がついた高層ビルのような姿になった。さらに去年から改修を行い現在の姿になっている。

 廃墟時代は廃墟マニア垂涎のポイントだったがセキュリティ万全で侵入者を寄せ付けなかった事も再利用に繋がったと思われる。実際10年近く廃墟だった時には崩壊を恐れて周辺地域では解体を望む声が高まっていた。時を同じくして営業を開始してわずか一年半ほどで運休になったドリームモノレールはその後営業再開もできずに解体されたが、エンパイアは解体の憂き目に遭わなかった。

 そこにはこの「日本初の高層ビル」を作った大林組の意地のようなものが感じられる。

 この横浜薬科大の図書館棟の最上階は展望台で、学祭の時だけ一般開放される。それも去年まではCovid-19の影響で学祭もなかったので4年ぶりくらいの開放だった。これはいかないわけにはいかないだろうと妻と二人で学祭に行くことに。

 大学にしては敷地が狭くて学生も少ないので一般的にイメージされるような大学祭に比べたら規模は小さいが、とにかく図書館棟開放がこの学祭の目玉で展望台に上がる人の行列ができるくらいだ。

 まずはこの学祭の名物でもあるたこ焼きを食べる。すでにたこ焼きブースの前には長蛇の列ができている。このたこ焼き屋は実家がたこ焼き屋という薬大の教授の研究室が出店していることもあって味は確かなのだが、今年は忙しいようでイマイチしっかりと焼けていなかったのがちょっと残念だったかも。それでもわんこのイベントなどで出店するキッチンカーのたこやきと比べたら次元が違う。

 たこ焼きを食べるとさっそく展望台に上がることに、長い行列の待ち時間は30分近くもかかったと思うがそこには事情もある。この元ホテルエンパイアができたのが1960年代後半、21階建ての高層ビルは当時日本で初めてのもの。その時にはまだエレベーターも今ほどのものはなく、定員6名が2基しかない。それも今日ひとつは点検中で6人ずつ上へ運ぶより他なかったようだ。

横浜薬科大図書館棟展望台

 展望台へ上がるとしばらくソファに腰掛けて我が家のある方角を眺めていた。上の写真にも我が家が入っている。

 展望台は360度のパノラマビューで江の島から伊豆大島、今日は見られなかったけどもちろん富士山も見えるし、八ヶ岳、横浜ランドマークタワー、ベイブリッジ、東京スカイツリーまで見ることができる。今日は天気が良かったのでスカイツリーまで見られた。

江の島越しに伊豆大島まで見える
展望台からかつて「夢の国」があった方面を見下ろす

 ホテルエンパイア時代は展望レストランとして営業されていた。そのレストランの目玉は回転フロアで一時間で一周し、食事をしながら眺めを楽しむことができた。大掛かりな円盤フロアの上にテーブルがあったために一つ下の20階は機械室と厨房だけのフロアだった。

展望台から我が家と横浜医療センターを見下ろす
右の大きな建物が横浜医療センター

 展望台から下りると図書館棟の脇にあった薬草園も見学。かつてホテルエンパイアだったときには広い庭があった。夏には毎晩ビアガーデンが行われ、バンドの生演奏が行われていたがいまは静かな薬草園として使われている。

 薬草園を出ると模擬店でカレーを食べ、すこしキャンパスの中を歩き回る。歩き回ると言うよりは「夢の国」だった頃の名残を探していたと言ってもいいかもしれない。ちょっとした場所に変わっていない部分があったりと当時をよく知っているからこそ楽しめたと思う。

 帰りも歩いて帰ってきたが、たこ焼きにカレーにフランクの燻製まで食べて明らかに食べ過ぎてダウン。夕方からわんこの散歩に行く予定もとても出られずずっと横になっていた。横浜薬科大の学祭、食べ物には気をつけた方がいいかも。あれもこれもリーズナブルな値段なのでついつい食べてしまう。

 昨日は阿佐ヶ谷ジャズストリート、今日は横浜薬科大の学祭とこの週末は随分と楽しめたと思っている■

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