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お遍路ウォーキング日記(69:三十一番竹林寺へ)

【2024年3月13日(水曜日) Day 69】

 今日は札所三十番善楽寺を打った。この寺は本当にこぢんまりとした小さくて静かなお寺だが最近ではオリジナルのお香(線香ではなくて塗香ずこう)や匂い袋などのワークショップも行っている。

 個人的には納経所の人がとても穏やかで親切だと感じたが、時間にはとても厳しく五時以降にやって来てご朱印をくれと我が侭を言う者にはかなりキツい対応をして追い返しているのを見たことがある。やって来てごねている方はここでは書くに忍びないような言葉で詰り倒してやがてはあきらめて立ち去っていった。

 ご朱印をもらいに来たのならお遍路と呼んでも良いのではと思うが、中には商売でご朱印を集めるような輩もいるのでそう言う者に遍路という言葉を用いるのは本当のお遍路さんには申し訳ないし、自分も遍路の端くれとして許し難い。このような人種の殆どはお詣りを一際せずに一日に20ヶ寺以上御朱印だけ掛け軸や笈摺おいずるにもらって次を急ぐ。こうして完成した全ての御朱印つき掛け軸は相場で五十万円近い値段で取引されているらしい。御朱印代が四万四千円かかるとしても非常に高価である。

 でも、そんなの金じゃないんだけどさ。御朱印もらうのならその札所も打っておけばお金にはならないが掛け軸の価値以上の経験や功徳はあるだろうに。この御朱印集めて売るなんざまさに餓鬼の所業としか思えない。

 この善楽寺はそういった商売でご朱印を集めるような輩や時間をあまりにも守らない者にはとても厳しいという印象がある。


 さて、この善楽寺の話は昨日の日記でもしたが、かつては隣にある土佐神社の別当寺として弘法が作った二つの寺のうちの一つだったが明治初期に一つに統合された上で廃寺の憂き目に遭っている。その後高知市内のまったく別の寺がこの二つの寺の本尊、寺号、弘法大師像のうち本尊の阿弥陀如来像を受け継いで札所三十番として復興したことまでは昨日書いた。仁王像は室戸の二十四番最御崎ほつみさき寺に移されたままで、現在も最御崎寺の仁王門には裏と表に一対ずつ合計4体の仁王像がある。

 当時の札所三十番は安楽寺という寺で、善楽寺や神宮寺と同じ頃に廃仏毀釈により廃寺となるも、土佐藩主などの救いにより再興をした寺だ。

 安楽寺復興後は札所三十番は安楽寺だったが、昭和の初めに埼玉は与野にあった東明院という寺が善楽寺のあった場所に移転をし、土佐国分寺に移されていた弘法大師像を再び招き入れ、東明院に縁のある阿弥陀如来像を移して善楽寺が再興。再興後は本尊は安楽寺、大師堂は善楽寺と札所が二つある状態が半世紀以上も続いていた。これが昨日の日記にも書いた別の理由で二つになった札所のことである。

 平成六年に安楽寺は善楽寺の奥の院となり、現在でも札所三十番を名乗っている。それはもちろん間違いなどではなく奥の院までお詣りするお遍路さんには通過はできない場所だ。

 ただ個人的感想を言えば高知市の中心からほど近い安楽寺が札所だったときは次の札所三十一番竹林寺がまた高知市のはずれにあるので結構な遠回りだっただろうと思う。

 これまでも何度となく登場した「神仏分離」、「廃仏毀釈」や「神仏習合」と云った言葉は知っておいた方がずっと四国巡礼を楽しめると思う■

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